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Vol.250 旧・全南道庁は風前の灯火/光州を行く① [韓国映画]

 旧・全南道庁。

 それは光州事件(5.18虐殺事件)のアイコンでもあり、日本でもよく知られた建物だ。
 韓国になんらかの関心がある日本人だったら、光州を訪れた時、まず立ち寄る場所だろうと思う。

 光州事件は韓国現代史の中でも、最も海外に知られた出来事だったが、それを受け取る韓国人の思惑は、それぞれであり、日本人が考えるほど一律ではない。
 軍事政権が終焉すると共に、日本のマスコミは、すっかり取り上げなくなったので、今では知らない人が多いかもしれない。

 韓国の若い人も、この光州事件に対しては、だいぶ前から関心が薄い印象を受けるし、それなりに年配の人でも、事件を経験しているか、いないかで、姿勢は全く異なるように思える。

 お世辞でも出来が良いとはいえない『華麗なる休暇(=光州5.18)』が、なぜ、あれだけ韓国で大ヒットしたかは正直、さっぱりわからない。

 たぶん、客の多くは「韓国人による、韓国人のための娯楽アクション・スペクタクル」として観に行っただけ、目的意識を持って観に行った人は、日本人が考えるより、はるかに少ないんじゃないの?と考えているのだが、仮にそうであってもマスコミがそんなことを書くわけには行かないだろう。

 初めて光州を訪れたその日、すでに夜はふけていた。
 あとから高速バスでやってくる友人との待ち合わせまで、かなり時間があったので、宿をとった後、街を探索することにする。

 ソウルの観光公社でもらった韓国語の観光地図(日本語版だと逆に利便性が悪い)を手に歩いてみるが、コンパスを持っていなかったこと、夜だったことから、三時間も彷徨うはめになった。

 夜の街は閑散としていて、まるでどこかのシュルレアリスト描く風景のようだ。
 街は広いが、人がいない。
 
 明かりが落ちた巨大なショッピングモール傍に地下道があったので、潜ってみる。
 階段途中には、妊娠検査用のプラスチック・バーが無造作に転がり、モルタルの壁が冷たく輝くだけで誰もいない。

 歩き始めて一時間も経った頃だろうか。

 目の前に、ちょっと奇妙な白い建物が姿を現す。
 「もしやここ?」と、正門の表札を確認する。

 そう、ここがあの旧・全南道庁なのだった。

旧庁夜改3.jpg


 あまりに唐突に出会ったので、かなり拍子抜けしたが、漆黒の闇に白く輝く姿が、これまたシュール。
 建物前の有名なロータリー地下は“出会いの広場”と名付けられた商店街になっているが、すでにピークが過ぎて久しいことは一目瞭然だ。

 「なんだか切ない場所だな」と、その日は苦労してホテルに引き上げる。
 タクシーで帰れば簡単なんだけど、道に迷うということは、色々な発見に出会えるということでもあるので、わざわざ、徒歩で宿へ戻ったのであった。

 翌日、光州出身の若い友人と共に、日の出ている内にもう一度訪ねてみる。

 光州という街もまた、ソウルその他と同じく、再開発が進み、古い街並みがどんどん消えているから、友人は、あまりの変りように、驚き呆れていた。

 彼曰く、「旧道庁の建物だけでは、“韓国民主化運動”の象徴として、なんの意味もなさず、ロータリーを含めて、初めて成立するものなんです」

 幼い頃から、親族に事件の残虐性をさんざん教えられて育った彼らしい意見だとは思ったが、部外者にとっては、分るような、分らないような理屈だ。

 しかし、「5.18虐殺事件」自体、そもそも日本人には非常にわかりにくい出来事でもあって、この事件を外国人や、後世の人たちが、したり顔で語ることの方が、本当は滑稽なことかもしれない。

 まあ、それはそれでいいとして、驚きの事実をここで初めて知る。

 旧道庁が「風前の灯火」なのだ。

 この建物の取り壊しを巡る論争については以前から耳にしていたものの、ここまで破壊が進んでいるとは思わなかった。

 盧武鉉政権終了後、急速に取り壊しの方向に向かったらしく、5.18事件を認めたくない李明博政権にとって、ここはどうやら、「あってはならないモノ」ということらしい。

 そこら辺は、ことの事情を語る若い友人の、個人的政治思想に依存した見解にも聞こえたから、決して鵜呑みにしてはいけないが、組織のトップが変れば、前任者の行ったことが良くても悪くても、基本的にリセットされてしまうのは、韓国社会の悪習ではある。

 旧道庁門前には取り壊し反対のパネルが掲げられ、建物右側には大きな抗議の垂れ幕がぶら下がる。
 この建物の歴史的意味を表すために、アウシュビッツ強制収容所跡と、広島の原爆ドームが引用され、「旧道庁を壊すなんてけしからん、暴挙だ!」といった意味の言葉が書かれている。

 うーん、確かに、それはそうだろう、でも、アウシュビッツ強制収容所や、原爆ドームを比喩に使うことに関しては、異論を唱える人も、当然いるだろうな…

 さて、旧道庁の裏側はどうなっているのかと廻って見れば、そこは、もっとひどい光景が拡がっていた。

 ただ、ただ、更地があるだけ。

 つまり、一部の人々にとって、大きな象徴である旧道庁は、表側だけが、かろうじて残っている状態なのであった。

 だが、現実的な視点で考えてみれば、こうなってしまうことは分からなくもない。

 地元の人にとって、そこは古ぼけた、既に役目を終えた建築物に過ぎないことは事実であって、この施設を維持するにしても、それは市民の血金だ。
 経済状況が芳しくない行政側からすれば、真っ先に「再開発すべきターゲット」になりうる対象であることは想像できる(一等地だろうし)。 

 街の商業中心地を、空港寄りの新市街地へ移動させた時点で、旧道庁建物の運命がきわどいものへ陥ってしまうことは、おそらく地元の人々も分っていたのではないか。

 そして、旧道庁の前で足を止めながら、小理屈こねて、写真を撮っているのは、私のような「スキモノ」外国人くらいなものなのではないか?などと、同時に考えてしまう。

 史跡が地味で、しょぼいのは東西共通のよくある話だが、人影の絶えた街中で、かろうじて残っている旧庁の風貌は、想像外に脆く惨めであり、時のエントロピーが生む非情さを心に切りつけてくる光景なのだった…

道庁改3.jpg


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