Vol.248 映画『ウォッチメン』ヒーローたちは暗闇に沈む [韓国と関係ない話]
ザック・スナイダー監督の『ウォッチメン』は下馬評とおりの傑作だ。
原作と比較すれば文句が出るかもしれないが、そもそも映画と出版は別物だから、あんまりどうのこうのいっても意味がない。
前作『300』も、グラフィックノベルを映像化した映画だったが、手間暇かけて作っているのはよくわかるものの、全体が止まって見え、退屈で苦痛な作品だった。
男気と根性と体力だけが過剰に溢れかえった脳ミソ筋肉なスパルタ人たちと、ハチャメチャお笑い百鬼夜行ペルシャ軍の戦いが笑えたのは最初だけ。
ザック・スナイダーのメジャーデビュー作『ドーン・オブ・ザ・デッド』の場合、そこまでひどくはなかったが、アクションの方向に映画がさばけてしまっていて、あのJ・ロメロのオリジナルが持つ、憂鬱な時代性と絶妙なサバイバル・アクションの融合を、今の時代に再現することは、すでに無理であることを証明してしまったかのようでもあった(面白いんだけどね)。
ところが、今回の『ウォッチメン』、最初からワンシーン、ワンシーンが素晴らしい。
冒頭、ヒーローのひとり、“コメディアン”が惨殺されるところから始まる。
でも、いくらジジィとはいえ、豪腕強力、下品とスケベで名を轟かした“コメディアン”はそんなすぐにはやられない。
凄まじい乱闘の挙句、高級マンションから突き落とされて惨殺されるが、捩れた彼の死体こそ、コスチューム・ヒーローの現実であり、色んな作品が避けてきた真実の姿そのものだった。
その後、どういう風にみっともないコスプレ・ヒーローが誕生し、どのような最後をたどり、そして『ウォッチメン』へと繋がるか、サクサクと軽快に綴られ、物語は幕を開ける。
もちろん、メジャーの商業作だから、お話がハリウッド・パターンから外れることはないし、あんなラストじゃなければ、さらに傑作になっていたとは思う。
だが、163分という長尺に関わらず、“4時間あってもいい!”と、久々に引きこまれた、素晴らしい作品だった。
冷戦時代が舞台でも、それが今のご時世ときちんと重なるところも驚きだが、物事をリアルに、リアルに、と突き詰めるほど、ヒーローがリアル=世間の邪魔になるという矛盾が見事であって、これが物語をやたら面白くした。
出てくるヒーローたちは、ダサくてみっともなくて、ブサイクだが、恥ずかしい仮面の裏側にある情けない人間像をきちんと描いたシナリオは、それらを映画的魅力へと転換してしまう。
物語の語り部たるロールシャッハは、ただの小汚いオッサン、頭のいかれた正義漢ではあるけれど、狂気をはらみつつ、信念一徹に突き進む姿が、あまりにもストイックで格好良過ぎる。
ロールシャッハを演じているのは、あのジャッキー・アール・ヘイリーだが、そのキャラはクリント・イーストウッドへのオマージュでありパロディであり、いつ“Go ahead. Make my day”と言い出すか、ハラハラさせられた(結局いわないけど)。
ロールシャッハは罠にはまり、ぶち込まれた刑務所で絶体絶命危機一髪に陥るが、逆境を手にとって、敵をぶち殺してゆく姿は、まさにヒーローそのもの。
つまり、ヒーローなんて、手が綺麗、汚いなんて関係ないのである。
もう一人、忘れてはならないキャラが、原子を自由自在に操る、真の超人、Dr.マンハッタンだ。
超人すぎて、いつの間にか人間社会を守ることの意義を忘れてしまった、この怪異な存在は、物語の真髄が凝縮されているようなキャラクターでもあった。
Dr.マンハッタンは、状況に応じてきわどいブリーフやスーツを着用するものの、基本は素っ裸、南極だろうと火星だろうと、チンポコをブラブラさせて悠然としている姿は、俗世間というものを完全超越してしまっていて、笑えるどころか、まさに“フルチンは超人の印”なのである。
スーパーヒーローなんて、結局はどこでも異形の人、アウトサイダーの極みなんだけど、『ウォッチメン』のヒーローたちは、どんなに強くても最後の最後まで人間であり、神的英雄にはなれない。
そのみっともなさがアメコミ・ヒーロー全般の魅力でもあるんだけど、それを全面に押し出すことに成功した『ウォッチメン』は素晴らしい。
おそらく、アメコミ・ヒーロー映画版の中でも、ベストの一本になるだろう。
大人だったら、『ヤッターマン』よりも、『ウォッチメン』なのさ!!!
PS.
あんまり、面白かったので、また観にいく。
改めて見直すと、伏線が幾つも仕込まれていることに気が付く。
そして、上映時間優先のため、かなりのシーンが切られていることもよくわかる。
俳優としては、“コメディアン”演じたジェフリー・ディーン・モーガンが秀逸だ。
男から見ても、色気があって格好いい。
また、地味だけどグレッグ・キャノム の老メイク仕事も、いつものことだが、何気に凄かったりする。
やっぱり、2009年度BEST10の一本だろう。
原作と比較すれば文句が出るかもしれないが、そもそも映画と出版は別物だから、あんまりどうのこうのいっても意味がない。
前作『300』も、グラフィックノベルを映像化した映画だったが、手間暇かけて作っているのはよくわかるものの、全体が止まって見え、退屈で苦痛な作品だった。
男気と根性と体力だけが過剰に溢れかえった脳ミソ筋肉なスパルタ人たちと、ハチャメチャお笑い百鬼夜行ペルシャ軍の戦いが笑えたのは最初だけ。
ザック・スナイダーのメジャーデビュー作『ドーン・オブ・ザ・デッド』の場合、そこまでひどくはなかったが、アクションの方向に映画がさばけてしまっていて、あのJ・ロメロのオリジナルが持つ、憂鬱な時代性と絶妙なサバイバル・アクションの融合を、今の時代に再現することは、すでに無理であることを証明してしまったかのようでもあった(面白いんだけどね)。
ところが、今回の『ウォッチメン』、最初からワンシーン、ワンシーンが素晴らしい。
冒頭、ヒーローのひとり、“コメディアン”が惨殺されるところから始まる。
でも、いくらジジィとはいえ、豪腕強力、下品とスケベで名を轟かした“コメディアン”はそんなすぐにはやられない。
凄まじい乱闘の挙句、高級マンションから突き落とされて惨殺されるが、捩れた彼の死体こそ、コスチューム・ヒーローの現実であり、色んな作品が避けてきた真実の姿そのものだった。
その後、どういう風にみっともないコスプレ・ヒーローが誕生し、どのような最後をたどり、そして『ウォッチメン』へと繋がるか、サクサクと軽快に綴られ、物語は幕を開ける。
もちろん、メジャーの商業作だから、お話がハリウッド・パターンから外れることはないし、あんなラストじゃなければ、さらに傑作になっていたとは思う。
だが、163分という長尺に関わらず、“4時間あってもいい!”と、久々に引きこまれた、素晴らしい作品だった。
冷戦時代が舞台でも、それが今のご時世ときちんと重なるところも驚きだが、物事をリアルに、リアルに、と突き詰めるほど、ヒーローがリアル=世間の邪魔になるという矛盾が見事であって、これが物語をやたら面白くした。
出てくるヒーローたちは、ダサくてみっともなくて、ブサイクだが、恥ずかしい仮面の裏側にある情けない人間像をきちんと描いたシナリオは、それらを映画的魅力へと転換してしまう。
物語の語り部たるロールシャッハは、ただの小汚いオッサン、頭のいかれた正義漢ではあるけれど、狂気をはらみつつ、信念一徹に突き進む姿が、あまりにもストイックで格好良過ぎる。
ロールシャッハを演じているのは、あのジャッキー・アール・ヘイリーだが、そのキャラはクリント・イーストウッドへのオマージュでありパロディであり、いつ“Go ahead. Make my day”と言い出すか、ハラハラさせられた(結局いわないけど)。
ロールシャッハは罠にはまり、ぶち込まれた刑務所で絶体絶命危機一髪に陥るが、逆境を手にとって、敵をぶち殺してゆく姿は、まさにヒーローそのもの。
つまり、ヒーローなんて、手が綺麗、汚いなんて関係ないのである。
もう一人、忘れてはならないキャラが、原子を自由自在に操る、真の超人、Dr.マンハッタンだ。
超人すぎて、いつの間にか人間社会を守ることの意義を忘れてしまった、この怪異な存在は、物語の真髄が凝縮されているようなキャラクターでもあった。
Dr.マンハッタンは、状況に応じてきわどいブリーフやスーツを着用するものの、基本は素っ裸、南極だろうと火星だろうと、チンポコをブラブラさせて悠然としている姿は、俗世間というものを完全超越してしまっていて、笑えるどころか、まさに“フルチンは超人の印”なのである。
スーパーヒーローなんて、結局はどこでも異形の人、アウトサイダーの極みなんだけど、『ウォッチメン』のヒーローたちは、どんなに強くても最後の最後まで人間であり、神的英雄にはなれない。
そのみっともなさがアメコミ・ヒーロー全般の魅力でもあるんだけど、それを全面に押し出すことに成功した『ウォッチメン』は素晴らしい。
おそらく、アメコミ・ヒーロー映画版の中でも、ベストの一本になるだろう。
大人だったら、『ヤッターマン』よりも、『ウォッチメン』なのさ!!!
PS.
あんまり、面白かったので、また観にいく。
改めて見直すと、伏線が幾つも仕込まれていることに気が付く。
そして、上映時間優先のため、かなりのシーンが切られていることもよくわかる。
俳優としては、“コメディアン”演じたジェフリー・ディーン・モーガンが秀逸だ。
男から見ても、色気があって格好いい。
また、地味だけどグレッグ・キャノム の老メイク仕事も、いつものことだが、何気に凄かったりする。
やっぱり、2009年度BEST10の一本だろう。
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