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Vol.475 『ハン・ゴンジュ 17歳の涙(한공주)』 誰も彼女を救えない [韓国映画]

 2014年4月17日に韓国で公開が始まった『한공주』は、絶望と哀しみに彩られた衝撃作だ。

 製作・脚本・監督の이수진にとって関わった作品としては6本目の映画だが、彼の名前が一般的に認知されたのはおそらく今回が初めてであり、主演の천우희にしても、キャリアはそこそこだが、世間では無名に近い(日本で公開された作品では『母なる証明/마더』と『サニー永遠の仲間たち/써니』に端役で出演している)。

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2015年1月3日 日本一般公開

 ヒットとは程遠い要素がひと通り揃っている中、映画祭で好評をはくしたこともあってか、約一ヶ月で観客動員数20万人(※)を超えたことは特筆すべきことであり、フェリー沈没事故がなければ100万人はいっただろう、という下馬評も聞こえてくる話題作となった。
(※)2014年6月の段階で約22万人。数字だけ見れば商業作品に敵わないが、インディーズは1万人台動員でも成功の部類に入り、観客動員数1000人台というのは珍しくない。

 しかし映画は暗く冷たく、排他的ですらあり、決して観客に迎合していない。
 親切な語り口ではなく散文的であり、観る側のイマジネーションを強く求めて来るし、ティーンエイジの世界を描いてはいても、18才未満観覧不可だ。
 そういう観る側を選ぶ作品だったにも関わらず、大人の観客を集めたのは、この作品にも韓国が抱えた負のレガシーに対する熱い怒りと憤りがあったからではないだろうか。

 映画の元になった事件は、おそらく이창동監督の『ポエトリー アグネスの詩/시』で取り上げられたものと同じだが、『한공주』はこの作品とは異なり、視点をあくまでも被害者少女側に据え続けた。
 そして、現在と過去という二つの時間軸が交差し続けるうちに、主人公の少女に何が起こり、それに対して第三者たちはどう反応したのかが、次第にひとつの物語として浮かび上がってゆく。
 だから当初はノリが非常に悪く、若干の忍耐と考察を必要とするが、中盤を過ぎて終焉に向かうにつれて、主人公の何気ない行動の一つ一つが大きな意味を持ち始める。

 이창동作品との大きな違いは、やはり核となる対象が違うことだろう。
 『ポエトリー アグネスの詩/시』は、子どもたちが起こした事件に対して終始、他人事でやる気のない大人たちの態度を厳しく弾劾しつつも、被害者自身については正面から触れることを敢えて避けていたように思える。
 これは実際の事件における加害者側の保護者、学校関係者の立場に近いであろう이창동監督の正直で潔い判断だったのかもしれないが、作品は率直ながらも曖昧になってしまったことは否めない。

 だが、『한공주』は愚直過ぎるくらいストレートに、『ポエトリー アグネスの詩/시』が避けたものへ果敢に挑もうとしているように見えた。
 監督の이수진にしても主演の천우희にしても、あえて無謀にそれをやってしまった感すらある。
 だから、この作品は一部の観客、特に女性からすれば偽善的かもしれないが、仮にそうであっても、困難な題材にがぶり寄った熱意は作品に十分反映していたと思うし、それゆえ、多くの支持も得られたのではないだろうか。

 この映画が報われない不幸だけを描いたものだったのか、希望に繋がる道を暗示していたのかは、あくまでも観る側に委ねられてはいるけど、どちらにしても一つの残酷な結論が提示されていたと思う。

 「誰も彼女を救えない」

 その慟哭は観た後も胸の内で囁き続けるのである。

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