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Vol.529 伝統食が消えてゆく [韓国の食]

 筆者は韓国の食品流通事情がよく分からないが、ソウルその他のマーケットやら農協やらをぶらついている経験から考えてみると、ここ十五年位の間に様相が大分変わったのではないだろうか。

 「だいぶ変わった」というのは、生産者から流通に乗って消費者に届くまでの仕組みが、昔よりも「上からの力」で一本化、均一されているのではないか、ということである。

 そう思う理由として、お店に並ぶ品物が大手企業系列のものばかりになり、地方で細々と生産されているようなマニアックな名品が目に見えて減ったことがある。

 もちろん単に売れないから中央に出てこなくなったのかもしれないし、毎度おなじみ、財閥大手による中小・零細生産者の駆逐が進んだのかもしれないが、特に食材の分野でこの全国均一化がやたら進み、韓国での買い物がやけにつまらなくなってきている。

 かつて巷のコンビニであっても、そこがフランチャイズでなければ、訳の分からない製品が細かく並び、個人経営の食料品店などでは、独自ルートで仕入れたと思われる地方企業の製品が置いてあることは珍しくなく、「日本にない」という点では非常に面白いものがあったが、今の韓国、特にソウルでは、そういうものは壊滅状態になった。

 地焼酎や地酒、地テンジャンや地コチュジャンなども、十年くらい前までなら、そこそこ手に入ったが、今では、どんどん「幻」になっている。

 筆者が好きな銘柄のテンジャンは既に入手が困難になり、生産地の通販サイトで探しても見当たらなくなった。
 そういった特別なものでなくても、以前は楽しみの一つだった風味豊かな独特の清涼飲料やジュース類も、ほとんど店頭で見かけなくなった。
 だが、それらは特別な製品ではないのだ。

 結局、一般のお店で入手できるものは日本で入手できる「韓国食品」と対して変わらなくなってしまった気がするのである。

 色々な分野で自文化の「国際化」と「優位性」、「多様化」を標榜し続ける韓国ではあるけれど、伝統的な食文化は、つまらないモノクローム化がどんどん進んでいるように思える。

 対外的に、臭いキムチやら、食べ方が汚いビビンパブやら、TVドラマに合わせて創作されたような怪しい宮廷料理を無理やりアピールするよりも、昔ながらの朴訥なもの、一般家庭で普通に食べているものを大切にして、維持してゆく方が今の韓国の食では、より必要なのではないか。

 そして外国人たちが、それらに対して独自に価値を見出してゆくことこそ、韓国食の普遍化、第一歩だと思うのだが…

miso.JPG
数年前、ソウル某所で購入したテンジャン。
今だ使用中ですが、熟成して美味しくなっています。


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