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Vol.434 いつの間にやら大スター [韓国俳優]

 なんやかんやで彼の国と因縁が出来てからかなりの年月が経つが、韓国で知り合った人たちの浮き沈みには激しいものがある。
 それを見ていると「なんて日本は安定しているんだろう」なんてよく考えるのだが、韓国における五年前、十年前とは、日本の二十年前、三十年前に匹敵するんじゃなかろうか。

 彼女と初めて会ったのは十年くらい前のこと。
 江南某所のホテルでグーグー寝ていた夜中、突然知人の映画監督から電話がかかって来た。
 「女優と会わせてやるから、今来いよ」
 「はぁ???もう寝ているんだけど、どこ?」
 「狎鴎亭の船の上」

 “狎鴎亭の船”とは、韓国のドラマや映画でお馴染みの某場所だ。
 ホテルから遠くはないが、あんまり行きたいと思う距離ではない。
 第一眠い。
 だから、その時は断った。

 それからしばらく経った後。
 やっぱりカンナムの同じホテルで寝ていると同じ人物から電話がかかって来た。
 「女優と会わせてやるから、今来いよ」
 「はぁ???もう寝ているんだけど、どこ?」
 「狎鴎亭の船の上」

 あまり断ってばかりだと失礼だし、友人の顔に泥を塗りかねないから今度はイヤイヤ行ってみることにした。

 その時、紹介された一人が芸能界デビューしたばかりの彼女だった。
 当時は大学に通いながら女優修行の真っ最中。
 可愛いといえば可愛いし、美人といえば美人なんだけど、私は別に興味を抱かなかった。
 総じて綺麗どころというのは直接会うと魅力を感じないものだ。
 天然ボケなキャラだったことだけを覚えている。

 次に会ったのはある打ち上げの二次会だ。
 二次会といってもこじんまりとしたもので大したことはない。
 その時、彼女はマネージャーとやって来たのだけど、なぜか私の名前と顔を覚えてくれていた。
 たぶん、それまで日本人と直接会う機会がなかったんだろう。
 カラオケ屋だったので彼女も一曲歌うけど、当時売れっ子のK-POP歌手が同席していたので目立たなかった。
 でも、彼女も歌はヘタではなかったことだけは覚えている。

 それからまたしばらく経って、友人に彼女の近状を世間話がてらに聞いてみた。
 あんまり芳しくないという。
 でも、それはそうだろう。
 キャリアのない若い女優がルックスだけでスターになれるほど世の中は甘くない。

 …とまあ、ここで私と彼女の出会いはオシマイである。
 そして、再会することもないだろう。

 なぜならその後、彼女はとんとん拍子で驚異の大出世を遂げ、大スターの仲間入りをしてしまったからだ。
 主演に抜擢された映画が大ヒット、そこで歌った歌もヒット、TVドラマもヒットして人気急上昇、知人の映画監督でさえ簡単に会えない雲の上の存在になってしまったのだ。
 今では日本でもファンクラブが設立され、ファンミーティングなんかもやっているらしい。

 最近、彼女が主演している映画を観た。
 容貌は衰えていなかったけど、かつての天然ボケな愛嬌はすっかりなくなり、プロの顔立ちになっていたし、演技も随分上手くなった。
 でも彼女もそれなりのお年頃。
 その年齢を考えるとそろそろ女優として分岐点に差し掛かっていると思う。
 果たして、セレブとの結婚に逃げてしまうか、俳優として更に研鑽を積むかは全くわからないけど、正直ここまでスターになるとは想像出来なかった。

 韓国と腐れ縁が続くと、たまにはこういうこともあるワケだが、それもまた彼の国の面白さなんだろうな…

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Vol.379 魔物に導かれる彼、パク・ヘイル(박해일) [韓国俳優]

 2012年4月25日に韓国で公開された『은교』は、色々な意味でダークホースになりそうな作品だ(韓国内興行成績はイマサンだけど…)。 

 박범신の小説を映画化した作品だが、全編、最近の韓国映画では観たことがないような、形容し難い魅力と個性が漂っている。
 「映画」でありながら、まるで小説を読んでいるかのような「行間」の感覚が観るものを捉え、ジャンルでいえば、人間ドラマであり、エロスであり、サスペンスであるが、一言で括ることを拒否しているような映画でもある。
 それは冗長であるとともに、なにか波間を漂うような、不気味な心地良さも感じさせるのだった。

 全編にかけて、정지우監督の強い執念が貫かれているようでもあって、特に김무열が好演した지우の悲惨な最後のシーンは、そのエネルギーが結集したかのようだ。

 もうひとつ、この映画『은교』の特異な点は、1977年生まれの박해일が、最初から最後まで凝ったメイクの老人役で出演することである。
 だが、これもまた、登場人物の一貫性にこだわった정지우監督の執念だとしたら、納得ゆくものであって、映画を見終わると、ダブルキャストにしなかった選択が正しかったことがわかる。

 この映画を観終わった時、私が強く感じたことは「遂にこういう感性の作品が韓国映画に出現したか」という感慨とともに、主演の박해일が、映画という「魔物」に、何か宿命を背負わされた俳優なのではないか、ということである。

 박해일が2001年に公開された『와이키키 브라더스』でデビューした時、その存在感と個性は将来性を期待させたが、同時に、安易なアイドルに落ちぶれてしまいそうな危うさと、方向性がはっきりしない不安定さも持ち合わせた、若手ルーキーの登場でもあった。 
 その後、박해일は、韓国映画界で順調にキャリアを積み上げてゆくが、いつも中途半端という印象がつきまとう。

 そんなイメージを一変させたのが、2003年の名作『살인의 추억』だった。 
 だが、この作品で演じた不気味な容疑者役は、それまでのイメージを極端な方向に反転してしまう。
 それはどう考えても、박해일の個性に準じたものではなかった。

 主演級の俳優としての地位を得た彼だったが、やはり、そのイメージはあやふやで曖昧なままだ。
 アイドル、というにはすでに歳を取りすぎていたし、演技も格段上手い訳ではなく、「個性派」というにも弱すぎる。

 キャリアとしては順調でも、俳優としての存在が、相変わらず、はっきりしない。
 だが、ここでまた、運命の邂逅とも言えそうな「事件」が起った。

 2011年に公開された主演作『최종병기 활』の大ヒットだ。
 全編、ひたすら追跡と戦いに明け暮れた、この時代劇もまた、박해일のイメージに決して結びつく作品ではなかったが、彼は重い運命に立ち向かう青年남이を演じ、敵役の류승룡と正面から渡り合う。

 そして、今回の『은교』における「異様」な好演。
 『은교』は、再び彼のイメージを混乱させ、不明瞭にする。
 しかし、そこに、박해일を予測不能の未来へ導こうとする、謎の存在がいることを幻視してしまったのは、果たして私だけだろうか?

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Vol.376 「老けたけど、それもまた良し」 / 고수 [韓国俳優]

 どういう風の吹き回しか、『초능력자/超能力者』が日本で公開されたので観に行く。

 このキッチュな映画の感想は他の方々にお任せするとして、つくづく思ったのは、「고수がやっぱり老けたな」ということだった。
 この作品の後に公開された『고지전/高地戦』では、もっと老けていたりする。

 고수を初めて知ったのはTVドラマではなく、映画初主演作『サム/썸』が2004年に韓国で公開された時だったが、関心は彼よりも、장윤현監督の久かたの作品である、ということの方だった。

 当時、「고수」と言われても全くピンと来ず、知り合いの韓国人女性に尋ねたところ、当時TVドラマで人気が出ている若手、ということではあった。

 キャリアを調べてみるとかなり浅いので、ちょっと意地悪く「人気があるって、ホントですか?」とシツコク追求してみると、バツが悪そうに「よく分からない」と本音が返って来る。
 でも、一般の認識はそんなもんであり、それが韓国における【普通の生活】というものだろう。

 この時期の고수はいろんな意味で非常に若く、映画ではヘンな髪型だったこともあってか、ちょっと特異な印象を受けた。
 演技に深さや骨太さに欠けるが、筋の良さは感じさせたので、「今後、チャンスに恵まれれば伸びるんじゃないのかな~」などと思いながら映画を観ていたのだった。

 しかし、何よりも一番特徴的だったのは、韓国の若者間で顕著になり始めた「草食系男子」を体現するような若いスターが登場した、ということである。
 この表現が適切か否かは分からないが、いい意味で「ナヨナヨ」、ヘンにマッチョさを誇らない繊細さに、ちょっと好感を持ったのであった。

 残念ながら、この『サム/썸』はあまりヒットしたとも、評判になったとも言えなかった。
 だからという訳ではないだろうが、しばらく고수の姿は韓国のスクリーンから消えることになる。

 それから時を経て、彼を久しぶりに観たのは、2009年の『白夜行/백야행』だったが、愕然とした。
 なぜなら、彼の風貌があまりにも老けていたからである。
 そのお陰で私の知人によく似ていることにも気がついた(どうでもいいけど)。

 고수が兵役、というか公益勤務につき、シャバに復帰後、演劇(東崇劇場恒例のやつ)に出ていたことは聞いていたので、チャラい流行りもの芸能人から脱出する計画を実行し始めたんだろう、とは想像していたが、やっぱり、その変わり様には驚いた。

 勤め先が芸能関係者が近所でひしめく某区役所、毎日家に帰れる「公益勤務」といっても、何をやっていたのか知らないので、彼の変貌ぶりがそこに影響されたのか否かはわからないけど、ぜんぜん違う人にしか見えなかったのである。

 でも、よーく考えてみれば、彼が巷で最初に注目された時期は、本人の志向よりも、業界の偉い人達の意向に沿った芸能界デビューだったろうから、実は「激老け」の고수とは、本来の「地」に近いのかもしれない、とも思うのだった。

 その後、コンスタントに映画俳優としてのキャリアを積み始め、日本で2012年秋公開予定の戦争大作『고지전/高地戦』に至るワケだが、この作品では「激老け」ぶりに拍車がかかり、ホント、「韓国の街角によくいる、おっさん」である(役柄上、まあ正しいワケだが)。
 共演の신하균や류승수の方が、若く見えるくらいだが、歳をあらためて調べてみると、고수の方がやっぱり若かったりする。

 しかし、これはこれでいいと思う。

 芸能人がデビュー当時、本人の望まないイメージで売りさだれてしまい、成功しても、後々まで苦しむ、ということはよくあることだ。
 それは、意欲ある人ほど苦痛な事だろう。

 고수の場合、「おっさん化」したことで、役の可能性は拡がっただろうから、戦略として正しいような気もする。
 これからも「とっつあん」キャラで邁進し、さらなるキャリアを目指すのも、ありなんじゃないのかな?

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「日本では誰が観るの?」な、ドメステック朝鮮戦争モノ。
レプリカですが、北朝鮮軍のT34/85が遂に登場します!

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Vol.358 やっぱり目立つ人/전수경 [韓国俳優]

 전수경。
 前から妙に気になって仕方ない女優の一人だった。
 なぜなら、発せられるオーラの迫力が普通じゃないからだ。

 韓国では俳優にも縄張りと言うか、活躍する分野がはっきり分かれているところがあって、10年前の映画バブルはそこら辺の境をだいぶ緩和したが、「この人は演劇!」「この人はミュージカル!」「この人は映画!」みたいな境界線がどうやらあるらしい。

 中にはこれを超えて活躍している人もいるけど、最終的には原点だったところに戻る、というか、そこを基軸にして仕事をしている人が多いと思う。

 特に舞台と映画、TVにおいては、かなりはっきりした差異があって、「演劇を続けるために映画やTVに出ている」という俳優も結構いるようだ。
 だから彼らにとって日本なんかで「韓流」印を付けられてしまった芸能人は、あまり同業者として受けれたくない心理も見え隠れする。
 「ボロは着ていても心は錦」という志の連中からすれば、海外メディアにちやほやされる「韓流芸能人」は、「都落ちした金持ちのドサ回り」みたいなモノかもしれない。

 전수경という人は、ミュージカルの分野では以前から名前が轟いていた、立派な人気女優だ。
 わりとTVや映画にも出ているけど、メジャーにおいて知名度が微妙なのは、やっぱり活動のスタンスがあくまでも舞台にある、ということだろう。

 韓国でミュージカルを観れば分かることだけど、オーラを放つ俳優が結構たくさんいて、「もっと他で活用できないのかな?」とはよく思うのだけど、映画に出てみるとなんか冴えないというか、浮いていたりして、興行にも結びつかないから、あまり続かなかったりする。
 結果的には映画やTVではバイプレーヤーとして定着することになる。

 전수경という人も、映画で見た限りでは、すごく周りから浮いている事が多い。
 でも、それは彼女がヘタだからではなくて、主演の若手人気モノたちとは明らかに異なった、強烈なオーラをギンギラギンに放っているからではないだろうか。
 だから、主演連中と同じフレームにいると、彼女の方が目立っていたりする。

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 そんな訳で、一度、彼女の舞台を観なくては、と考えていたのだが、折しも『뮤지컬 맘마미아!』の公演が始まったので、観に行った。
「전수경=맘마미아!」という印象もあったからだ。

 今回の公演は혜화でも강남でもなく、下町にある地下鉄신도림駅の脇にできたばかりの디큐브아트센터だ。
 大型商業複合施設の最上階に、この劇場はある。

 母体になる디큐브시티と名付けられた商業複合施設はちょっと変わった構造で、脇にそびえる巨大なツインタワーも日本では見かけないような様式の、非常に目立つ建物だ。

 だが、全体的に突貫工事で無理やりオープンさせたような安普請さも漂い、おそらく日本の震度5レベルの地震に遭ったならば、大惨事の現場になりそうな気がする。
 大きな地震がほとんどない、というの羨ましい。

 食堂街は非常に凝っていて、特に韓式専門街は面白いデザインだ。
 だが、全体的にラーメン屋とトンカツ屋ばかりで、あまり食指が沸かない。
 仕方ないので調理場に中国人が詰めている炒め物屋でエビ焼きそばを注文するが、これは美味しかった。

 디큐브아트센터に入ると、そこは一種のフラッグシップを目指した作りなのか、大変立派な施設だった。
 ただ、観覧料は대학로辺りに比べると遥かに高くて、日本とあまり変わらない。
 円高でないと、ちょっと躊躇してしまう。

 『뮤지컬 맘마미아!』は、日本でも定期的に上演されているお馴染み『マンマミーア!』の韓国版だ。
 ABBAの名曲をベースに、スウェーデンPOPと縁もゆかりもない地中海のリゾート地を舞台にした物語だが、このミスマッチぶりというか、強引さは、戯曲を作り上げたクリエイターたちの凄さを感じさせるものでもあった。
 韓国と関係ないけど…

 座席に着くと結構、色んな年齢層の人達が来ていて、後ろの若い女の子は、どうやら私のように전수경を観に来ていたようだった。

 公演が始まると、驚いたことに、演奏は生、ここら辺も、観覧料金が高い理由だろう。
 だが、生演奏はどこかでトチるという楽しみもある。
 今回はギターが大きくトチっていた。

 肝心の전수경はすぐには出てこない。
 だが、出てくると一発で彼女だと分かる。
 比較的長身であることもそうだが、声の通りが素晴らしいことに加え、あちこちピョンピョンと飛び跳ねているで、目立つこと、目立つこと。
 30歳過ぎるとミュージカルという仕事は相当キツイと思うのだけど、天性の身体のバネの良さを感じさせる動きだ。
 もちろん、日頃、かなり鍛えているのだろう。

 とりは、おばさん三人組が例のABBAっぽい衣装でヒットメドレーを歌いまくるという、「最初からこれでやれよ」的な楽しい締めくくりで終わるが、一番華があって、声もはっきり分かるのが、やっぱり전수경。
 この人は舞台でも目立つ人なのであった。

 ただし、今回の舞台、なにも전수경だけが活躍していたわけではなくて、女性陣はみな良かった。

 それなりのお歳ではあるのだが、若手を圧倒して歌って踊る姿は、韓国ミュージカルを支える俳優陣の質の高さを感じさせる舞台でもあった(でも、日本の俳優がダメ、ということではありません)。

 逆に、男性陣は妙に存在感がない。
 もともと、そういう戯曲だから、ということもあるが(母系家族がテーマでもあるし、ジェンダーフリーの思想も感じさせる)、異常に地味である。

 あとで調べたら、이현우も出演していたのだけど、「えっ?どこにいたの?」

 でも、それって、彼もまた、的確で、いい仕事をしていた、ということなのかもしれない。

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Vol.349 我が郷土のロキュータス/パク・チョルミン(박철민) [韓国俳優]

 ここ十年ばかり、韓国映画では地域性、郷土色を強調した作品がたくさん作られている。
 慶尚道にある都市周辺が舞台になりがちなのは仕方ないとしても、最近は全羅道や江辺道に済州島、それにソウル市そのものをテーマとして内包した作品が次々と製作されている。
 各作品が興行的に成功しているかどうかは全く別の話だが、「地方もの」「郷土もの」という、一種のジャンルを形成しているといっても過言ではない。

 元々、韓国(というか朝鮮半島)は古来より、幾つかの国家や地域に分かれて統治されていた歴史があるので、こういった「郷土もの」作品は、いくぶん地域的なナショナリズムに載っかっている気配がなくもないが、生まれ育った郷土に対するこだわりは、日本人が考えるよりはるかに強く、それがまた、人的ダイナミズムの源にもなっているのではないかと思う。

 全羅南道の光州市も『화려한 휴가/光州5.18』(2007)がヒットした辺りから、映画の舞台として再び注目されている。
 この街を舞台にした場合、どうしても5.18事件が核にならざるをえないが、これは今さらな訳ではなくて、1990年代から光州出身の映画人たちは一貫してこだわり続け、作品に投影しようとして来ていた。
 『꽃잎/花びら』(1996)やTVドラマの『모래시계/砂時計』(1995)は、その代表だろう。
 純粋なエンターティメントとして企画・製作され、世間に受け入れられるようになったのは、最近になってから、というだけの話である。

 光州と映画の関係を語るとき、絶対触れなければいけない俳優がいる。
 光州出身の俳優、パク・チョルミンだ。
 光州を舞台にした企画では必ずと言っていいほど顔を出し、それが韓国映画界では一種のお約束になってもいる。

 公式の映画出演第二作は『꽃잎』というから、光州をテーマにした作品への出演は15年を超える。
 それだけ、光州もしくは全南羅道出身の監督やプロデューサーたちが活躍している、ということでもあるのだろうが(韓国映画界は郷土会の集まりのようなところがあって関係が強い)、パク・チョルミンという人は、いわば「光州のアイコン」代表格である。
 しかし、彼がこだわっているのは自分の故郷だけではなく、地方性を重視した企画も積極的に支援し続けており、普遍的な意味で「郷土の代弁者」といえるのかもしれない。

 ここ数年、映画にTVにと、その姿を見ないことはないくらいの大活躍ぶりだが、これだけ売れているにも関わらず、家は光州にあるという(もちろん、ソウル近郊にセカンドハウスはあるのだろうけど)。
 この話が本当なら、なんでもかんでもソウル江南中心で動く韓国映画界、芸能界の中にあって、キラリと光るかっこいいレジスタンスぶりだ。

 パク・チョルミンもまた、舞台出身だが、韓国におけるバイプレーヤーの例に漏れず、映画やTVでは「人情味のある三枚目」だとか「ちょっと哀しい道化役」といったステレオタイプの役が多く、ちょっと残念でもある。
 だが「動かず・語らず・騒がず」の表現も出来る実力派であり、そのポテンシャルは高い。
 7月28日に公開されて大ヒット中の韓国アニメーション映画『마당을 나온 암탉』では獺ダ(タ)ルスの声を演じているが、ムン・ソリやチェ・ミンシクを差し置いて、抜群の名演と存在感を見せている。

 日本では某お笑いコンビのかたわれにそっくり、という程度しか話題にならないのは仕方ないけど、彼もまた、今後の韓国芸能界を支える名優の一人になってゆくのではないだろうか。
 舞台にもまた復帰してくれないかな~。

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※「ロキュータス=Locutus(Paramount©)」はアメリカのTVドラマで使われた用語で、人によってはネガティブなイメージを抱く方もいるかもしれませんが、言葉自体にはそういう含みはないと考えますので、流用させていただきました。平たくいうと「代弁者」とか「スポークスマン」といった感じです。

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Vol.344 端正なまでに不細工な男/ユ・ヘジン(유해진) [韓国俳優]

 見逃していたリュ・スンワンの新作『生き残るための三つの取引/부당거래』を新宿で観る。
 だが、映画の出来栄えとは別に、上映している劇場があまりにもひどいので、お金を騙し取られた気分になった。
 やっぱりシネコンで観ておくべきだったと後悔する。

 内容は一応社会派、それはそれで結構だったのだが、すっかり如才ない映画ビジネスマンと化してしまったリュ・スンワンに、かつての魅力は全く無い。
 成り上がりの出世頭として、ずっと動向を注目していたクリエイターだったけど結局、メジャーデビュー作『血も涙もなく/피도 눈물도 없이』で魅せた眩しさは、これ一発の幻だったのかもしれない。
 がっかり。

 さて、『生き残るための三つの取引』は主演がファン・ジョンミンとリュ・スンボムだが、もうひとり、私の好きな俳優が重要な役で出演している。
 ヤクザの建設会社社長を演じたユ・ヘジンだ。
 その端正なまでに「ヘンな顔立ち」が気になっている人は多いと思う。

 とりあえずデビューは1997年の『블랙잭』(主演チェ・ミンス)ということになっているが、その存在を一気に知らしめ、スターへの足がかりを掴んだきっかけになったのは、なんといっても『アタック・ザ・ガスステーション/주유소 습격사건』(1999年)だろう。

 大きな役ではなかったけれど、彼が演じた金歯の「ペイント」は、この作品で最も観客にインパクトを与えたキャラのひとりだった。
 成り行きで音楽の才能を見出され、人気ミュージシャンになってしまうギャグも笑えたが、そのあまりにも個性的な風貌は、当時の韓国映画では衝撃的ですらあった。

 この作品の後、映画バブルの追い風もあって、次々とユ・ヘジンにはオファーが相次ぎ、2007年の『里長と郡守/이장과 군수』では準主演、2008年のサイコ・サスペンス『トラック/트럭』では遂に主演に登りつめることになる。

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 考えてみると『アタック・ザ・ガスステーション』という作品は、やはり同じく特異な個性派キム・スロが注目されるきっかけになった作品でもあった訳だから、この二人は、同窓生のようなものだ(奇しくも同じ1970年生まれ)。

 韓国芸能界には昔から個性的な俳優たちは大勢いるが、ギャグマンではなく一般の俳優として、ここまでメジャーな存在になった「ヘン顔」スターは、ちょっと他に見当たらないのではないか。

 男も女も、スターは手段を問わず「容姿端麗」でなければいけないという、強迫じみた暗黙の了解がある韓国で、ユ・ヘジンのような個性派が大活躍できるようになったことは、1990年代後半から顕著になってきた「価値観の多様化」の一つでもあり、それに沿った映画や芸能界の変化の顕れのようにも思える。

 そういう点で、今の日本におけるマスコミ主導型の「韓流」が強要するイメージは、先祖返りというか、時代に逆行しているというか、日本社会が後ろ向きに保守的になってゆく予兆のようにも見えるのだった。

 妙な顔立ちばかりが語られがちな俳優ユ・ヘジンだが、実は結構、いろいろ出来る人である。
 ステレオタイプの端役が多いこと、喋り方に癖があることなどから、特定の枠に固定された印象を持たれがちかもしれないが、それなりの役を求めれば、色々と器用にこなせる人でもある。

 B級のショボイ作品ではあったけれども、初主演の『トラック』で演じた貧しい運転手の姿は彼の演技者としての本質を改めてわからせてくれたし、今回の『生き残るための三つの取引』で見せた身分の壁に苦しむ成り上がりヤクザの姿もそうである。

 彼のようなタイプの俳優が日本で注目を浴びたり、評価されたりすることはまずないだろうけど、1990年代後半から沸き起こった韓国映画の波と、今後の流れを考えるとき、スター俳優ユ・ヘジンの存在は、画期的なことだったのかもしれない。

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最新作の一本ですが、出来はイマサン




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Vol.342 チョ・ジェヒョン、原点に還る/『민들레 바람되어』 [韓国俳優]

 俳優チョ・ジェヒョン(조재현)は、基本的に舞台の人なんだろうと思う。

 他のスターたちが、映画その他で高額な出演料を取ることができる立場になった途端、演劇活動を辞めちゃう傾向があることに比べて、彼は定期的に続けていた。

 東崇劇場の『エクウス』や『ハムレット』が有名だったが、チケットがすぐ売り切れてしまい、観ることがかなわない。
 そして、以前ほど舞台に立たなくもなり、半ば忘れかけていたのだけど、2011年の春、遂に『민들레 바람되어(たんぽぽ、風になって)』において、「生チョ・ジェヒョン」を観ることができた。

 この『민들레 바람되어』は、ちょっとオカルテックな話である。
 ある男の数十年に渡る妻への愛を、韓国の伝統的な話術ともいえる時間軸構成(回想を中心に話が巡り、現在、過去、未来とあっちこっち飛ぶ)で語ってゆく。

 2009年に初演された際には大きな話題を呼び、今回の舞台はアンコール企画として催されたらしい。
 長期興行のためか、主演がトリプル・キャスティングなのは同じだが、チョ・ジェヒョン以外はチョン・ボソクとイ・グァンギに刷新されての上演だ(前回はアン・ネサンとチョン・ウンイン)。
 チョン・ボソクの舞台にも興味があったけど、一番の中心は、やっぱり今回もチョ・ジェヒョンだろう。

 観た場所はソウル・惠化、マロニエ公園の裏の裏にあるコンプレックス型の劇場「アートウォンシアター」だ。
 観覧当日、観客の年齢層はかなり高く、地方から観に来ているらしい人が多かったが、若い人もそれなりにいる。

 舞台は、どこかの見晴らしのいい山の中で語らう、元夫婦らしき男女の会話から始まる(見晴らしのいい山の中、というのが重要になってくる)。
 だが、どこか話が噛み合わず、様子が変。
 ふたりは相手に対峙しているように見えても、結局、独白なのだ。
 そこに別の老夫婦が狂言廻しとして登場することで、妙に見えた理由が明らかになってゆく。

 私が観たときに、妻役を演じていたのがソン・ヒジュンという、横顔が綺麗な女優(正面は普通)で、ちょっと演技に余裕はないが、独特の聡明さがあって、それが今回の舞台にはうまく活きていた。
 特に、最後のシーンが非常にいい。

 肝心のチョ・ジェヒョンは、もう、余裕しゃくしゃくといった感じで、「チョ・ジェヒョン流メソッド」とでもいうべき、結構クセのあるスタイル。
 色々やらせれば、なんでも出来ちゃうタイプの人だが、これはこれでまたよし、無手勝流が許される若手の天才肌もいいけれど、彼のような芸風が確立したオーソドックスな演技は安心して観ていられる。

 今回の舞台では、初デートで落ち着かない青年期から、働き盛りの中年期、そして静かに死を迎える老年期までを、最低限のメーキャップで演じわける。
 そこに「怖い人、悪い男」のイメージはなく、ホンワカな普通のオッサン系だったりするところが、彼の「素」がちょっとだけ、垣間見えているようでもあった(体はよく鍛えていました)。

 最近、チョ・ジェヒョンは政界入りに意欲を見せているという噂もあるけれど、その原点が演劇にあるのなら、一時は離れても、いつかは再び舞台に戻って欲しいな、と思うのだった。

 上演が終わり、舞台の裾へ行ってみる。
 一面、芝生が敷き詰められていたので、人工芝かと思いきや、生の芝生だ。
 舞台の上でも、チョン・ジェヒョンはカップラーメンを作って食べ、焼酎の口金をぱりん、と開けて飲んでいたけど、あれも本物だったんだろう…

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Vol.335 キム・スロ舞台に初参上!『イ・ギドン体育館』 [韓国俳優]

 2010年12月31日から2011年2月26日にかけて、서울、東国大学構内にある이해랑芸術劇場で演劇『イ・ギドン体育館/이기동 체육관』の公演が行われた。
 この企画最大の目玉は、キム・スロ(=김수로)にとっての初舞台ということだろう(真実か否か定かではないけど)。

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 キム・スロもまた、1999年から2000年代初頭にかけてスターになった個性派俳優の一人である。

 近頃では『ドラゴン桜』の韓国ドラマ版『공부의 신』で主演を務めていたので、日本でも結構、知名度はあると思う。

 彼がブレイクするきっかけになったのは、やっぱり『注油所襲撃事件/주유소 습격사건/アタック・ザ・ガスステーション!』だと思うが、その後、映画でたくさんの脇や準主役をこなし、遂には主演級まで登りつめた。

 ただ、脇役としては非常に魅力がある俳優なんだけど、主演級のキャラではないと思っているので、無名時代から彼を応援していた立場からいうと、最近の芸能界におけるステイタスはあまり嬉しくない(そこら辺はイ・ボムスにも共通する)。

 演技スタイルは一定というか、世間から求められるパターンをこなしているタイプに見え、それはそれでファンサービスに応えるプロとしての立派な姿勢ではあるのだけど、もっと異なった側面もまた見せて欲しい俳優の一人でもある。

 逆に、いまさら『シュリ』なんかを見直すと、当時の若々しさとキャラを表に出さない役どころが新鮮だったりするので、皮肉な気もするのだった。

 今回、公演が行われた이해랑芸術劇場は、駅を出てエスカレーターで上り、大学敷地に入ってすぐのところにあった。
 見た目は小さいが、中は結構広くて立派な劇場だ。

 私が行った日は12月31日初日で、キム・スロ目当てのファンがいっぱい来ているか否か、ちょっと興味があったのだが、あんまりそういう人が来ているようにも思えず、どちらかといえば業界関係者絡みの人々の姿が目立ち、一種のお披露目会のような印象、なにやら熱気も低い。

 座席も満席とはいえない状態で、見た目の印象はよくて8割程度。
 そんなに入りが悪いわけでもないのだろうけど、スター初出演の初日舞台にしては、なにやら寂しい気もした。

 舞台セットはかなり大掛かりで、よくある抽象的・象徴的なものではなく、ボクシング体育館をまんま再現した、映画かテレビのセットのような作りだ。

 やや白けた空気が漂う中、舞台は唐突に幕を開ける。
 本編とは関係なく、MCによる前説が始まるが、これが結構長い。
 大晦日の初日、ということもあるだろうけど、さっそく彼は客いじりを始めた。

 「みなさん、どこからいらっしゃったんのですか?」という問いに、私の後ろの男性が「釜山から来ました」と元気よく答えると「大晦日なのにたった独りで?」とおちょくられる。

 前方S席には「大阪から来ました」という女性がいて、「えー、そうなんですか!皆さん、拍手!」続けて「テーハンミンググ、チャ、チャ、チャ」と手拍子でおちょくられる。
 果たしてこれが仕込みかどうか判然としないが、ちょっと不愉快になる。

 ちなみに本編でも「竹島じゃなくて、独島だ!」というギャグがあって、いつもの定番とは思いつつも、いつまでこういうネタを公共の場でやるんだよ、とも思うのだった(日本の演劇で「独島じゃなくて、竹島だ!」なんてやったら、どうなることやら)。

 やがて長い前説とオープニングが終わり、早々にノソっとキム・スロが登場する。

 彼は働きながらボクシングジムに通う朴訥な青年役で、なかなか適役に見えたが、正直いうとタイトロールには程遠く、スペシャル・ゲスト的な印象が免れない役でもあった。

 出番はそれなりに多いのだけど、物語のフォーカスはあくまでボクシングジムに集う人々のドラマだ。

 途中、キム・スロは全然出てこなくなったりして、おそらく公演を運営する側は彼の扱いに、かなり気を使っていたような印象を強く受けた。

 戯曲そのものは血湧き肉踊る、といったエンタティメントではなくて、暗くグチグチしている芝居が延々と続き、結構シンドい。

 それなりのパフォーマンスを魅せる部分もあるが、ドラマの部分は総じて退屈至極。
 もちろん言葉の壁も大きいのだけど、それを理由にすべきではないだろう。
 魅せる舞台は言語なんて関係ないのだから。

 途中観ていてハタッと気がついたことがあった。
 舞台設計に、演出をする上での大きな問題があるのでは?という疑問だ。

 横長の舞台にデデーンとフルセット作ってしまったばかりに、芝居をやる領域がカミテとシモテに視覚上、真っ二つになってしまっている。

 しかも、芝居を片方に絞ってやっていればいいのだが、両方でやっているから、非常に見づらく集中し辛い。

 セットをもっと中央に配し、美術も簡素にして俳優の芝居を集約しないと、無駄な情報量ばかりが増えてしまってダメ、という見本かもしれない。

 さて、肝心のキム・スロだが「無難」という域は超えず、残念ながらあまり感銘はうけなかった。

 長尺の台詞と難しいアクションをミスなくこなし、それなりに見せてくれていたから、決して悪くはない。
 でも華が無く、とにかく地味、演じた役そのまんま、という感じだ。

 映画でのキム・スロは、いつもあざといキャラばかり演じているけれど、地は寡黙で大人しい性格なんじゃないかといつも感じていたのだが、今回の舞台でその印象をさらに強くした。

 でも、この華の無さ、地味さは彼のキャリアに決してマイナスではないだろう。
 逆に「個性派」というステレオ化された世間の看板をブチ壊す、よいきっかけになってくれれば、とも思う。

 劇が終了すると、初日のサービスなのか、出演者と観客の記念撮影会が始まった。
 でも、キム・スロだけがいない。
 それが一番残念なことだった。
 
 私にとっても、他の観客にとっても…

(追加公演情報/2011.4月現在) ☞2011/04/22 ~ 2011/04/24
 MBC 롯데아트홀(부산시)
☞2011/05/07 ~ 2011/05/08
 대구학생문화센터 대공연장(대구시)





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Vol.322 ムン・グニョン、彼女は王道を歩いているのかも/『Closer(클로져)』 [韓国俳優]

 2010年8月6日から10月10日まで、大学路はマロニエ公園の裏側にある劇場「아트원시어터」で舞台『클로져/Closer』が封切られた。
 オリジナルはイギリスのパトリック・マーバーの戯曲『Closer』。
 2004年には映画化された作品なので観た人も多いと思う。

 今回の韓国における舞台がなぜ話題かと言えば、女優ムン・グニョンの本格的な初舞台だったことだが、彼女がきわどいストリッパー役を演じていたことも大きかったのではないだろうか。

 ムン・グニョンといえばまず思い出すのが『恋愛小説/永遠の片思い』であり、『薔花、紅蓮/箪笥』の幼い女の子然とした面影だが、公称では1987年生まれなので、もう二十三歳/二十四歳(2010年現在)。
 月日が過ぎるのは本当に早い。

 考えてみれば、今回の劇場がある場所と彼女が通っているらしい成均館大学文系キャンパスは目と鼻の先だったりする。

 彼女は二十歳を過ぎたあたりから、それまでのイメージを変える努力をしていたけど、元があまりにも個性的な顔立ちなので、ちょっと損をしていた感は否めない。
 なによりも「おさない」とか「かわいい」といったイメージがどうしても先だってしまい、俳優としての志向性、可能性がイマイチ伝わりにくかった。

 初舞台『Closer』自体は、残念ながらノレない作品だった。
 話が話なので『아트원시어터』のような規模の劇場には合わないし、演劇的な面白さもあまり感じなかった。
 でも、こういった題材を映画や舞台で魅力的かつ面白く観せることができれば、それは大変な技量が必要ということでもある。

 ムン・グニョン演じるアリスはのっけからミニスカートで脚を組んでの登場、それ以外にも半裸の幕が多く、挙動不審の男性客が結構目立つ。
 でも、舞台上での彼女の演技はまさに基本に忠実。
 余計なことはやらないし、かといって不足もなく、セリフは舌滑よく、挙動や立ち位置も的確でミスがない。
 その分、アドリブやアドリブに見える芝居を求められた時、ちょっと危ないかな、という気はしたが全体的にきわめてセルフ・コントロールが一貫した演技ぶりだった。

 その如才なさは演技に個性がない、という見方もできるけど、元々彼女は個性派ではないし、演出側が求めるものに柔軟に合わせることができる素養の証明かもしれない。
 ただし、TVや映画だと、そういった器用さが没個性につながってしまうので、プラスに活かしにくい、というきらいはあるだろう。

 現実の彼女は意外にガタイがでかくて、ヒョロヒョロしている。
 顔が小さいのでわかりにくいが、共演している男優たちと、あまり背丈の差がない。
 それまでは、小さくてコロン、としているイメージしかなかったけれど、現実のムン・グニョンはアメンボみたいだ。

 そしてハタと思ったことは、彼女は今後、舞台をこなすことで、正統派女優としての道を着実に堂々と進むのではないか?ということである。

 ムン・グニョンの本格的な映画デビュー作でもあった『恋愛小説/永遠の片思い』は、ソン・イェジンの本格的な映画出演作でもあったけど、ソン・イェジンが有名になればなるほど、俳優として劣化してしまったことに比べ、ムン・グニョンは全く逆の、明るく素晴らしい未来が開けつつあるのではないか、と今回の舞台を観て、しみじみ考えてしまったのであった。

 おそらく彼女が女優として正念場を迎える次の時期は三十歳前後だと思うが、テレビや映画の仕事なんて思い切ってやめちゃって、活動の中心を演劇に据えてしまうというのもアリなのではないだろうか?

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Vol.306 「怪物くん」に似てきたような/ソン・ビョンホ(손 병호) [韓国俳優]

 2010年、日本テレビ系列で放映された『怪物くん』は、昔のマンガを実写ドラマで、というえらくベタな企画だったが、大野 智演じる『怪物くん』を粗暴でガラの悪いキャラにすることで、原作の持つエッセンスがうまく抽出された作品だった。

 この『怪物くん』を観ていたら、どうしても、ある韓国人俳優が、そのイメージに重なって来た。

 彼の名は、ソン・ビョンホ(손 병호)。
 最近、急激に見た目が若返り、実写版『怪物くん』みたいな雰囲気になっている。

 映画での出世作、代表作といえば『大統領の理髪師/효자동이발사(2004)』で演じた、大統領警護局室長役をまず挙げたいと思うが、この人は映画デビューから一貫して、軍人や、ヤクザの親分といった、腹黒の「怖ーいオッサン」役ばかり。

 「仕事を選んでいないのでは?」という勤勉ぶりは、イ・ボムスと近いものがあって、ある意味「プロの役者」だ。
 でも、沢山の作品で同じような役ばかりやっているせいか、近頃は、ちょっと手抜き気味な感じがしないでもない。

 元々は舞台畑の人で、演劇集団『ZIZ 레퍼토리컴퍼리』の代表かつ演出家でもあり、韓国で出版されている雑誌のインタビューでも「演劇が俳優の故郷(=原点)」と語っていたから、映画やTVドラマでまめに稼いで、それを演劇活動の方に廻すという、ウィレム・ディフォーや仲代達也なんかと、似たスタンスなのかもしれない。

 そんな訳で、「怖ーいオッサン」専門の感があったソン・ビョンホだったが、ちょっとユーモラスで家庭的な役が増えている。

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この役が一番好きです

 個人的印象では、根は三枚目じゃないか、と考えていたんだけど、それがドンピャはまっていたのが『吸血刑事ナ・ドヨル/흡혈형사 나도열(2006) 』の、おかまヤクザ役だ。
 ソン・ビョンホ演じるコミカルな役では、今もこれが一番だと思っている。

 話題作『グット・バッド・ウィアード/좋은 놈, 나쁜 놈, 이상한 놈 (2008)』で演じた売春宿オヤジは、映画がひどいことも加え、あまりにもガックリな役だったが、「飛べ!ペンギン/날아라 펭귄 (2009)」では、彼のユーモラスなキャラがうまく出ていた。

 インディーズバンドの道行ライブを描いたドキュメンタリー『好きで作った映画/좋아서 만든 영화(2009)』では、ひょっこり、飛び入りで出演、カジュアルでナイスなオッサンの一面を垣間見せた。

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 新作『大韓民国1%/대한민국 1%(2010) 』では、「また軍人役かよ!」という、いつものパターンだったけど、この作品が他と違っていたのは、ソン・ビョンホ演じる中佐が、部下をいつも温かい目で見守る「父親」的役割だったことである。

 想像するに、ソン・ビョンホ氏、「怖ーいオッサン」から、親しみのある「お父さん」的イメージへ、変換を試みているんじゃないのだろうか。

 それが、若返った理由なのかな?

 ソン・ビョンホが日本の作品に出ることは、限りなくありえないが、日本のTVや映画に出るとすれば、「怖ーいオッサン」ではなく、「一見怖いけど、ちょっと間抜けで、本当は優しいお父さん」の役を演じて欲しいと思う。

 ちなみに、サイワールド(싸이월드)でミニホムピィ(미니홈피)も開設していて、奥さんと娘さん一緒の写真が堂々と紹介されている(ID登録していれば、だれでも、訪れることができます)。

 その写真を観ていると、実際のソン・ビョンホは、『飛べ!ペンギン』のお父さん役に近い人なのかもしれない、なんて想像してしまうのだった。

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