Vol.111 「おかあさんは死んでいない」/河明中氏の思い出 [韓国俳優]
韓国の俳優、ハ・ミョンジュン。
こう書くと大半の人は誰のことやら思い浮かばないかもしれないが、「河明中」と書けば、心当たりのある人は結構いるのではないだろうか。
彼は1970年代、韓国のTVや映画で二枚目として引きもきらない活躍をしていた、当時の代表的な韓国の人気男優といっていいだろう。
そして不遇の天才監督して今も名を残す故・河吉鐘監督の実弟としても知られている。
彼が日本において俳優として監督として、単独で評価・認知されたことはほとんどないが、イム・グォンテク監督の「族譜」主人公の日本人青年を演じていた俳優といえば心当たりのある人はさらに増えると思う。
俳優から映画監督に転進し幾つかの作品で高い評価をおさめた後、映画の製作や配給事業を手がけて成功し今に至っている。
その河明中氏が映画監督としては16年ぶり、俳優としては23年ぶりに「おかあさんは死んでいない」で韓国の映画館に戻ってきた。
映画そのものは昔懐かしき韓国映画そのままなので今の日本でも韓国でも受けるような作品ではないが、画面の隅から隅まで丁寧な美しさに満ちていて、最近の韓国映画に一番欠けているものが、ところどころキラキラと輝いている。
今を去ること約十五年ほど前、筆者は河明中氏にソウルで会った想い出がある。たぶん筆者が韓国で直接会った最初の有名な韓国映画人だろう。
ことの成りゆきは格段特別なものではなく、知人の「韓国映画のPDに会わせてやる」という一言にノコノコついて行ったら、そこが河明中氏の会社だった。
「族譜」はすでに日本で観ていたから河明中氏の名前は知らなくとも顔はなんとなく覚えていた。それに河吉鐘監督の名前は当時の日本でも知られていたから、その弟でトップ・スター兼映画監督と聞かされて「なんだか凄いなぁ」と無知な筆者は圧倒されているだけだった。
当時、氏の会社があった江南某所は辺り一面工事中で埃が沢山舞っていたことだけが記憶に強く残っている。
近所の食堂でカルククスとヘイムル・ジョンをご馳走になる。
その時、彼から興味深い話を聞いた。
かつて二枚目で活躍していた頃、数ヶ月だけではあるけれど日本語の勉強をするために日本の某大学にある日本語講座に通っていたという。
韓国のトップ・スターが日本に留学していたなんて、その時は初耳だったので驚いたが、そういう人は意外にも何人もいた事をその後知る。
さらに驚くべき話が続いた。
留学当時、日本の某映画会社から映画出演のオファーが河明中氏にあったというのだ。
ただし、これには条件があって韓国人ではなく日本人として売り出すことが前提だったという。
だから河明中氏はこの話を断ったが、なんとも因縁を感じる奇妙なエピソードだなぁと思った。
その後、彼とは会っていないが「おかあさんは死んでいない」で楽しそうに初老の作家を演じている河明中氏を観ていたら、機会があればまたお会いして今度はお酒でも一緒に飲みたいなと、映画とは別のところで何かジーンと来てしまったのだった…
今日は~^^またブログ覗かせていただきました。よろしくお願いします。
by バーバリー (2013-08-03 04:06)