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Vol.460 心霊映画としての 『結界の男』(박수건달) [韓国映画]

 映画というのは「幸運の賜物」だ。
 傑作をコンスタントに生み出すチームは、おそらく強運の星の下に生まれたんだろう、と羨ましく思う。

 だが韓国で2013年1月9日に公開され、約389万人を動員した『結界の男』こと『박수건달』は、必ずしも「幸運」を全て呼び込めたかどうか疑問だ。
 韓国ではヒットしたから、「結果オーライ」なんだろうが、ユニークな題材が活かせず、最後までぐちゃぐちゃの実にもったいない作品でもあった。

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 生彩に欠けた演出とメリハリのない展開は観る側を混乱させ、退屈させる。
 キャスティングの難しさから撮影開始が長い間ペンディングになっていただけあって、主演のパク・シニャンは素晴らしい仕事をしているが、彼の新境地を拓くまでに至らなかったのは、この映画が「ヤクザ」「オカルト」「アクション」「コメディ」「浪花節」「地方物」といったミスマッチで多様な要素を上手にまとめきれず空中分解寸前だったからだ。
 だが最後まで私がこの映画をなんとか見続けられたのは、おそらく韓国映画として珍しく正面から「心霊」を描いていたように見えたからだろう。

 1999年の『シックス・センス』が大ヒットして以来、韓国映画でも心霊現象をある程度真面目に捉えようとする傾向は出て来ていたが、「子供の絵空事」として撥ねつける風潮の方がまだまだ強いので、コメディとはいえ、こういう企画が一流スター出演の承諾を得て製作されたこと自体は特筆すべきことかもしれない。

 この映画最大の特色は、主人公のヤクザ幹部クァンホが傑出した霊能力の持ち主という設定にある。
 そのため彼は救いを求める浮遊霊たちに導かれ、韓国のシャーマニズム「坐俗=ムーダン」の巫女となり、「巫女=霊視能力者」として「霊とコミュニケーション出来る者」の視点で物語は進んでゆく。

 韓国人が「ムーダン」を外国人に説明する時、「韓国独特のものだから理解できないだろう」と勝手に決めつけられたことがあるが、「ムーダン」の源流は世界中にある自然信仰の一つであり、人々の暮らしの中で行われていたプリミティブな存在との対峙であり、決して特別なものではないはずだ。
 だが当の韓国人たちは意外とそこら辺を理解していないような気がする。

 『結界の男』は決して「ムーダン」がテーマの全てではないものの、パク・シニャン演じる主人公が死者たちとの対話に最初は戸惑い、やがてそれを受け入れて行く様子が、かなり雑だがそれなりにきちんと描かれている。
 「理解できないもの」という枠に祀り上げてオシマイ、にしていないことは評価したい。

 敵対する検事とその亡くなった恋人を巡るエピソードや、女医ミスクと娘スミンの別れのエピソードはダラダラと長く、映画のリズムを完全にぶち壊していてイライラさせられるが、未練を残した浮遊霊たちがクァンホに助けを求めて集まって来る様子や、死んだ暴力団会長とクァンホの対話シーンなどは韓国の心霊映画としてはなかなかいい線を行っていて感動的だ。
 
 この映画の初期シナリオが実体験基づいて書かれたものかどうかは分からないが、骨子の部分では「現象としてのムーダン」にかなり真剣に取り組んでいるように見えた。
 そこら辺がチョ・ジンギュ監督の持つ指向性ゆえか、妙に捻じ曲げられていた事は残念だったが、この『結界の男』は隠された真実を少し含んだ映画だったのかもしれない。
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