Vol.125 「キングダム」シンドい国際化社会 [映画]
「国際化」だとか「グローバル化」だとか、声高にいわれるようになってしばらくが経つ。
でも外国語がいくら出来ても「グローバル化」するわけでもないし、英語をいくら習っても「国際人」になれるわけでもない。「国際相互理解」をいくら謳っても世界が平和になるわけでもない。
「グローバル化」とそれに類するものがもたらしたもの、それは愛や平和、平等よりも、不満と不公平、悪意と敵意、流血と環境悪化の方だったかもしれない。
アメリカ映画「キングダム」は、アラブとアメリカの対立、ということよりも強引な「グローバル化」推進による文明の疲弊を訴えた内容にも解釈できる作品だった。
そのオープニングは素晴らしい。
アメリカとアラブ首長国連合の複雑で危うい関係をシンプルにスピーディーに解説するとともに、「グローバル化」なんてものは一部利権者のビジネス戦略でしかないことをさらりと批判する。
そしてアラビア半島周辺で、中央アジアで、その他世界中で暴れるイスラム原理主義者過激派にとり、日本もまた憎悪対象であることをはっきりいってしまう。
日本人が「対岸の火事、どうせ関係ないや」と思っていても、災いは向こうからやってくるという事実を突きつけるのだ。
主人公四人組は、残酷な報復テロにあっても、白旗掲げて、相手の良心に期待したりしない。
敵意をむき出しにする相手に、「やられたら、やり返せ!」と武器を持って殴りこみ、老若関係ない大虐殺だ。
でも考えてみれば、彼らの「なめられるな!」精神って、グローバル化や国際化、もうひとつの根幹なのではないか??
そうだとすれば、「国際化」「グローバル化」というものは、なんとシンドくて疲れるものであることか。
「キングダム」、それは憂鬱な王国でもあった。
©Universal Pictures
Relativity Media
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