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Vol.417 問答無用の必見作!台湾映画『セデック・バレ』 [映画]

 2013年4月20日、渋谷・ユーロスペースを皮切りに台湾映画『セデック・バレ(賽德克·巴萊)』第一部、第二部が同時公開された。
 一本の映画として観ると276分の堂々たる大作だ。

 台湾では2011年に公開され、大ヒットしていたが海外の映画祭では評判が芳しくなく、日本でも「反日映画」と悪意をもって一部報道される有様だった。
 極めてドメスティックなテーマである上、長尺なので日本公開はインターナショナルバージョン公開、もしくは最悪DVDスルーになる可能性もあったが、映画ファンの熱い応援があったのだろう、きちんと完全版で劇場公開に至ったことは非常に嬉しいことである。

 筆者は台湾に縁が薄いので、韓国映画よりも台湾映画を観る本数は圧倒的に少ないが、日本で公開されたものはなるべく観るようにしている。
 韓国映画は何本観ても今だに「異形の外国映画」だが、台湾映画はどういうわけか他人事とは思えない親近感を感じることが多い。

 私が最初に台湾映画で影響を受けたのは、今から二十年以上前にシネ・ヴィヴァン六本木で公開された侯孝賢の『童年往事 時の流れ』である。
 当時、侯孝賢は一般に知られていない監督だったが、この『童年往事 時の流れ』は地味な物語にも関わらず、形容しがたい不思議な衝撃があった。
 その後、侯孝賢は中国語圏を代表する有名監督になるわけだが、日本のマスコミが持ち上げることに比例して作品から魅力が失せてしまったことは本当に悲しいと思う。

 もう一本、忘れられないのが楊德昌の手による不朽の名作『牯嶺街少年殺人事件』だ。
 先に公開された2時間版はあまりピンと来なかったが、4時間版の方は日本人が知り難いショッキングな台湾人のトラウマが生々しく、情緒いっぱいに描かれていて、思春期の悲劇を描いた作品としても非常に優れていた。
 楊德昌はその後、映画を撮ることをやめてしまい、アメリカで数年前に亡くなってしまったが、彼の『牯嶺街少年殺人事件』に今も思いをはせる日本の映画ファンは多いのではないだろうか。
 この作品が幻になっていることは嘆かわしいことである。

 今回公開された『セデック・バレ』もまた、これら台湾映画の名作群にきっと仲間入りすることだろう。
 編集は荒く、いまいち整理仕切れていないため分かりにくい部分や、二部以降は話が間延びしてダレてしまうこと、VFXの仕上がりが良くない(韓国の会社が担当)など気になる点もあるにはあるが、そんなことがどうでもよくなるくらい、この映画には作り手の熱い「伝えたいぜ!」パワーが漲っている。

 登場する日本人像はステレオタイプだが、日本人俳優が真面目にかつ好演している上、種田陽平が手がけた美術は説得力があるので、それほど気にならない。
 日本人キャラの多くが典型的なヒールとして簡単に間抜けに殺されてしまうシーンが多いので、そこに反感を感じる人もいるだろうけど、多くの日本人観客はセデック族の人々に同化し共感して、その悲劇に涙することと思う。

 台湾側キャストも素晴らしい。
 セデック族頭目モーナ・ルダオ演じた林慶台のはまり方は尋常ではなく、彼を見出すことが出来た時点でこの映画は半分勝ったようなものだ。

 セデック族出身の警察官演じた徐詣帆と蘇達の二人も見逃してはならない。
 日本とセデック族の間で苦しむ二人の姿は、この映画の最重要な狂言回しであり、映画のテーマを体現したアイコンでもあるからだ。
 二人の演技力も高く、今回の作品を機に日本映画でも起用してほしいくらいである。

 隣国と日本の政治関係が悪化している今、台湾は例外的な「親日優等生」として日本のマスコミで持ち上げられることがより増えたが、台湾の人々からすれば、そんな十羽一唐揚げな決めつけは憤慨ものではないか。
 日本で「特亜」と悪意を込めて称される国々の人々全てが理性の欠如した反日の人々ばかりではないように、台湾の人々もまた、お花畑な親日家ばかりではないはずである。

 私が今まで接して来た台湾の人々は、誰かさんのように「反日」を無邪気に唱えこそしなかったが、無条件な「親日」では決して無かった。
 日帝時代そして日本に対して鬱鬱とした複雑なものをいつもどこかに抱えていたと思う。
 そうした彼らの心情を日本に住む日本人が垣間見ることは非常に困難ではあるけれど、この『セデック・バレ』は多少なりともそのことを伝えてくれる作品だったのではないだろうか。

 魏徳聖の監督デビュー作『海角七号』は日帝時代から今に至る日本と台湾の関係を、隠された悲恋を通じて描いてみせたが、「日本」という要素に無理矢理感があり、必然性があるように思えなかった。
 だから中国でDVDを発売する際、当局にとって都合の悪い部分を切ったら尺が60分になってしまったという笑い話もあるが、それはそれで納得できてしまったりもする。

 だが、『セデック・バレ』において「日本」とは、物語を紡ぐ上で避けることが出来ない、作り手も観る側も「ガチンコ勝負」で臨まざるをえない「必然」なのである。

 映画で日本人は沢山殺されるが、セデック族も残酷な報復を受ける。
 しかし、そこには戦後世代が歴史的事実を真摯に再構築して考察しようという努力と熱意が確実にあったと思う。
 この映画にはプロパガンダと悪意に満ちた「歴史的正義」の押し売りはないのである。

 この映画を観て「台湾は反日だ!」と怒り狂ったり、「台湾の人々も日本に対して共闘しましょう!」とやるのは個々人の勝手だが、まともな人々の支持はまず得られないだろう。

 この『セデック・バレ』、自分の歴史を考える上でも多くの日本人、特に若い人たちに是非観てほしい。

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Vol.414 いまさら『エヴァQ』ですが [映画]

 長らく韓国でアニメーション映画は「まんが映画」という蔑称で大人たちに呼ばれていたが、ここ五、六年、その状況が変化し始めている。

 特に2011年の『돼지의 왕』や『마당을 나온 암탉』のヒットは、韓国製アニメーション作品にとっては特筆すべき出来事であった…と思いつつ、過去にヒットしている作品はあったわけだから、やっぱり韓国では自国の映画史から偏見を持ってアニメーション作品が外されていたことを皮肉にも証明した気がしなくもない。

 日本の作品については「海賊版の視聴」というアンダーグランドから開放されつつあり、劇場作品として『名探偵コナン』や『クレヨンしんちゃん』、St.ジブリ系作品群は定番だし(マンネリだけど)、その他作品もやたらとかかるようになった。
 最近では『おおかみこども雨と雪/늑대아이』がロングラン上映され、DVDが異例とも言える売れ行きを見せている。

 そんな風向きの中で、昨年11月17日、日本で公開されて旋風を巻き起こした『エヴァンゲリオン 新劇場版: Q/에반게리온: Q』が、4月25日にCINES系列(=MEGA BOX)独占で韓国一般公開されることが決まった。
 上映館数は現段階では不明だが、前作、前々作を超える規模の公開が行われる可能性もある。

 『エヴァンゲリオン 新劇場版: Q/에반게리온: Q』は、TVを含む全シリーズの「踏み絵」的存在だと思うので、韓国における『エヴァ』人気をより明解にするという意味で、結果が大コケ、酷評であってもどうなるか興味津々だ。

 1995年、TVシリーズから始まった『エヴァ』の韓国における具体的な反応が見え始めたのは1998年前後くらいではないかと思う。
 当時、日本のアニメーション作品は一般市場に出回っておらず、海賊版VCDか違法ダビングされたVTRで観るしかなかったが、トンガリモノ好きや日本文化マニアは違法コピーでこぞって観ていたし、バンダイのHGやPGはすぐ模型店に並んだ。
 ある人は日本における『エヴァ』の存在と人気を韓国の仕事で初めて知った、なんて話もある。

 私がいた韓国の会社では、女性スタッフが机の上にバンダイHGシリーズの零号機を二機も並べていたので「へぇー、バンダイの零号機じゃないか」と話しかけたところ、彼女は「私はいつも“逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ”と自分に言い聞かせているんです!」と拙い日本語で力説していたことは鮮烈な思い出だし、1999年に公開された韓国製デジタルアニメーション『철인사천왕』が、どことなく『エヴァ』によく似ていたことは、韓流以前の韓国ウォッチャーの間では割と有名な事実である(この作品がTVシリーズ化に至らなかったことはとても残念!)。

 結局、当時の韓国において『エヴァ』に価値を見出していた大人たちとは、アウトサイダーに位置する人たちであり、逆に最も価値を理解できていなかったのが、韓国の業界ヒエラルキー上位でふんぞり返っている連中だった気がする。

 『エヴァンゲリオン 新劇場版』の前回、前々回における韓国内動員数と上映館数を調べてみたところ、次の通り。
・『エヴァンゲリオン新劇場版:序/에반게리온: 서』
→観客動員数7万4千564人、公開館数19館
・『エヴァンゲリオン新劇場版:破/에반게리온: 파』
→観客動員数6万4千955人、公開館数34館
※数字は韓国映画振興委員会のデータベースより抜粋。
 「ありゃ??」
 意外(というか想定内というか)にも、公開当時報道されていたほど大入りという印象の数字ではない。

 しかも『エヴァンゲリオン新劇場版:破/에반게리온: 파』については上映館数が増えた上に、権利価格も前作の二倍だったらしいから、1万人減は厳しかったと思われるが、早々に『エヴァンゲリオン 新劇場版: Q/에반게리온: Q』が公開されるということは、韓国内での興行について何らかの勝算がある、ということなんだろう。
 なにせ、日本映画の続編なんて、いくら話題作でも簡単に公開しないお国柄だからである。

 ちなみに、『エヴァンゲリオン新劇場版:破/에반게리온: 파』で動員数が減った理由として考えられるのは、DVDその他で先に観たファンが多かったこと、『エヴァンゲリオン新劇場版:序/에반게리온: 서』を観て『新劇場版』の内容がTVシリーズと同じと勘違いした客が少なからずいたこともあったと思う。

 数字だけ観れば大した事無いように見えるが、『エヴァ』が元々、韓国において一般的とはいえない内容であり、公開された劇場もCGV系列マイナー枠内公開だったことを考えると、この数字は決して低いものではない、ということなのかもしれない。

 そして、そこからは韓国におけるアニメーションのコアな市場が、大体7万人くらいかな?という見方もできる。
 おそらく、劇場版『エヴァ』シリーズを支えた観客は、熱心な固定ファンや口コミ客が中心だったのではないだろうか。

 日本のアニメーション作品が注目されるたびに湧き起こる「アニメーションはカッコイイ、ススんでいる」そして「やっぱりカネになるかも」というムーブメント。

 この安易な現象に抵抗を感じる人は多いと思うけど、何はともあれ「大人たちが子供たちを差し置いてアニメーションを観に行く」、これが韓国におけるアニメーション市場で必要なことではないかと思うのである。

 だから、今回の『エヴァQ』にしても次の完結編にしても、大学街にあるアート系劇場でロングラン出来ればなぁ~と願うのであった。

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Vol.219 『ミッドナイト・ミートトレイン(MIDNIGHT MEAT TRAIN)』屠殺列車は醤油の香り [映画]

 あのクライブ・バーカー(Clive Barker)の小説『ミッドナイト・ミートトレイン』を、日本人の北村龍平が監督して映画にするなんて、この原作が日本で初めて紹介された時には想像もできなかったことだ。

 当初の公開日8月14日からやや遅れて、8月21日から韓国で『ミッドナイト・ミートトレイン』の公開が始まった。
 三成洞にあるMEGA-BOXではだいぶ前からこの映画の大きな宣材が置かれていたから、気になっていた人も多かっただろう(配給はロッテ・エンタティメント)。

 『ライオンズゲート』トップ交代絡みのとばっちりを受けて、一時DVDスルーとまで発表されていたこの『ミッドナイト・ミートトレイン』だが、とりあえず劇場で公開されたことは率直に喜びたいと思う。
 作品の出来、不出来だとか、北村龍平が好き、嫌いに関係なく、この映画の完成と公開はきちんと記憶に留めておくべきだろう。

 この映画の第一印象は「思ったより普通」「やたら地味」ということだった。
 日本人監督だからか、日本ネタも幾つかあって、ちょっとこそばゆかったりする。

 北村監督の映画は、東宝で製作した二本しか観ていないので、なぜ、彼がこんなに高く評価され、話題になるのか、正直よくわからないのだけど、『ミッドナイト・ミートトレイン』を観た限りでは「よくも悪くも破壊者たらんとしている」監督であると共に、「クライアント側の意向を無視しない」監督という印象だった。

 海外の学校を卒業し、仲間たちと自主制作から這い上がって来たそのキャリアは、映画に限らず、日本の映像業界では毛嫌いされるタイプのものだ。
 だから、敵が物凄く多い、という話もよく聞くけど、作品の幾つかを見た限りでは、世間でささやかれているより「常識的」な監督だという気がする。

 この映画も他と同様、原作者のクライブ・バーカーがプロデューサーとして参加し、自分の世界観を破壊されないよう目を光らせていたこともあったのだろうけど、映画は小説のイメージにかなり忠実だ。

 最後に繰り広げられる主人公と肉屋の大バトルだとか、肉屋が獲物に逆襲されやられそうになったりとか、そこら辺のくだりで原作者と対立したんじゃないかと思うのだが、最初から最後までアナーキー度を全く感じさせない、ある意味、拍子抜けするほど「普通の映画」なのであった。

 肝心のスプラッター描写にしても、幾つか惨いシーンは存在するが、目を背けるほどではなく、この映画より残酷描写な作品は、他にいくらでもあるだろう。
 一部マニアご期待の人体損壊描写も、陰湿な執拗さがなく、時には滑稽なほどであって、決して映画の見所、中心ではない。

 だから、巨大肉叩きによる顔面&頭部破壊だとか、犠牲者を解体するシーンだとか、そういったものだけを期待すると結構、肩透かしを喰わされるかもしれないし、その手の描写にこだわるコアな観客には、不評を買いそうだ。

 こけ脅し演出も極力控えていて、ドッキリ、ビックリ、もほとんどなく、ジャンクフード抱えたティーンエイジが大騒ぎをして観る映画というよりも、アート系劇場で大人が静かに観るタイプの作品に近い。

 監督や原作者の意向とは全く別にこの映画で面白いと思ったのは、この映画の根本が都市伝説的である、ということだろう。
 もともと原作がそうなんだから当然なんだけど、都会というものが自律機能を持ち始めて、そこで暮らす人智を超えて動いている、ということを描いた物語だったのかもしれない。
 そこには善も悪もなく、生態系のピラミッドの中で、消費する側、される側の関係を描いただけかもしれないのだ。

 この『ミッドナイト・ミートトレイン』は傑作でも秀作でもないし、『ヘルレイザー』(もちろん第1作目のこと)も全然凌駕出来ていないし、ツッコミどころもたくさんあるだろう。

 だが、そんなことよりも、映画から漂う「静」の感覚は、まぎれもなく日本映画の伝統に通じるものであって、北村龍平もまた、日本人であることを改めて証明していたような気もした作品なのであった。

 血と肉片が飛び散る中、醤油が香る世界。
 特にお薦めはしないけれども、日本でもきちんとした上映を望みたい。

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Vol.195 『スピードレーサー』いや、やっぱり『マッハGoGoGo』さっ! [映画]

 韓国で5月8日から、映画『スピードレーサー』が一足早く公開された。

 CGVチェーンが誇る龍山CGVのIMAXで上映されていたので、ちょっと余計にお金を払って(W10000-)観てみた。

 元々、IMAXなんて、デカイだけのこけおどし、といった印象が強いから、あまり映像効果の点で期待はしていなかったのだが、今回観た『スピードレーサー』の場合、“IMAX DMR”という形式で上映されたので、デカイばかりでなく、映像は美しく、今は亡き“テアトル東京”のシネラマ上映を思い出させる。

 映画『スピードレーサー』は、40年ほど前に日本で製作された往年の名作アニメ『マッハGoGoGo』が原作であることを今さら説明するまでもないが、完成するまで、随分と時間がかかった気がする。

 最初にこの映画化の話を聞いたのはもう二十年以上も前の事で、ジョニーデップが主演するとか、リチャード・ドナーが監督するとか、ポシャって低予算映画として製作されるとか、タランティーノが製作するとか、相変わらずバッタ情報が飛びまくり、一向に実体が見えて来ない企画でもあったのだ。

 しかし、今回はウォシャウスキー兄弟が『マトリックスシリーズ』の成功で得た財力がものをいったのか、実にスルスルと製作され、「それまでの出来る出来ない騒ぎは一体なんだったの?」といった感じである。

 ちなみに、韓国で『マッハGoGoGo』は『稲妻号(번개호)』として放映されていたが、若い人の場合、よほどマニアでないと見ていない思う(それは日本も同じか…)。

 この映画『スピードレーサー』は、原作アニメにかなり忠実な印象を受けたが、前半部が、主人公スピードが勝ち上がっていく姿と、彼の回想をいったり来たりする構成なので、話が散漫になり、焦点がぼやけ、非常にもたつく印象だ。
 でも、後半部に突入し、スピードがレーサーXと組んで挑む、大陸横断レースからは、まさに『マッハGoGoGo』の華麗で珍妙な世界が始まる。

 オートジャッキの“シャコン、シャコン、シャコン”というジャンプ以外にも、アニメで描かれたマッハ号秘密のアイテムが忠実に繰り出され大暴れするし、悪役レーサーたちもアニメのイメージそのままで、この大陸横断レースのエピソードこそ、劇中、最も『マッハGoGoGo』らしいところかもしれない。

 キャラクターも何気でアニメにソックリだ。
 主演のエミール・ハーシュはずんぐりむっくりの体形なんだけど、これが三船剛のイメージにぴったり重なるし、レーサーXも(演じた俳優は秘密)覆面レーサーにそっくり(でも顔が少し長いかな)。
 さらに、クリ坊と三平に至っては、お約束通りにマッハ号のトランクに隠れているし、やっていることがアニメそのまんまで、さすがウォシャウスキー兄弟、このアニメのことをよくわかっている。

 しかし、この映画を観て一番驚いたことは、1980年代後半から90年代(つまりバブル期)にかけての、日本における現代アートのイメージが、これでもか、というくらい、劇中の世界観に投影されていることだろう。

 当時のTV-CMやらイラストやらを連想させる、ある意味懐かしい「COOL」な情報が羅列された映像は、「ウォシャウスキー兄弟がこれほどまでに日本オタクだったの?」と呆気にとられるくらい重度にマニアックだ。

 でも、思い起こしてみれば、バブル期の日本って、『スピードレーサー』で描かれたモノが、日常の中で普通に氾濫していた時代でもあった訳で、逆にそのことの方が、本当は凄いことだったのかもしれない。

 この映画『スピードレーサー』で最も賛否両論分かれそうなところが、バーチャル・セットを多用したサイケで軽いデジタルな世界観だろう。
 若い世代からすればゲームそのまんまでしっくり来るのかもしれないが、リアルタイムで『マッハGoGoGo』を観ていた世代からすれば、「なんか違うよね」と感じなくもない。
 なにせ、当時はモノクロで観ていたのだから、全然印象が違うのである。

 デジタルの欠点である質量感の乏しさは、映画のアクションを迫力の無いものにしてしまっているし、VFX担当の中心にいるデジタルドメインの仕事も、質の低下が目立つ。

 肝心のレース・シーンは派手なんだけど、古いTVゲームか、ミニ四駆にしか見えなくもなくて、その迫力の無さは、狙いなのかどうか、観ていてさっぱりわからないのである。

 大陸横断レースで代表される、原作への忠実さは、CGIが多用出来る今だからこそ可能になった映像イメージではあるのだけど、本物の車を使ってやっていたら、もっと迫力があったんじゃないだろうか。
 もっとも、『デスレース2000』になっちゃう気がしなくもないけど…

 映画は大団円を迎え、幕を閉じるが、ちゃんと最後に“マッハGoGoGo~♪”という日本語の懐かしき歌声がリミックスで流される。
 リアルタイム世代からすれば、ここが一番の感涙ポイントかもしれない。

 ちなみに、“ピ(비)=RAIN”ことチョン・ジフン(정지훈)の出番はかなり多く、へたくそなハングル表記も出てくる(なんかとても無理やりなところが泣かせる)。
 彼は完全に噛ませ犬の役なんだけど、必要以上に思える劇中での露出ぶりは、ハリウッドの裏側で暗躍する韓国系アメリカ人たちの精力的な活動を垣間見るようでもあった。

 でも、そんなことよりも、『マッハGoGoGo』というアニメが、いかにぶっ飛んでいて進んでいたアニメであるかを証明した映画でもあって、それが日本人にとっては、一番嬉しい事だったのでは?

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Vol.172 「クローバーフィールド/hakaisya 」今、怪獣映画がトレンディ② [映画]

 映画「クローバーフィールド/hakaisya=Clover Field 」のキモは、擬似ドキュメンタリーの手法で怪獣がもたらした大惨事を描いているということだろう。

 だから、この映画にはよくある「神の視点」は一切存在せず、災厄に巻き込まれて命を失ってゆく人々の視点で全てが描かれている。

 それは「災害映画」といった方が近いかもしれず、日本人にとっては、その点で、より深刻に感じられる映画かもしれない。

 映画は「SDカードに残された犠牲者が撮った映像を再生する」という展開で語られ、デジタル家電という媒体が表現方法として映画で非常に重要な意味を占めている。

 似たような映画、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト=The Blair Witch Project」を連想させるが、「ブレア~」が家庭用VTRで撮影した絵の荒さを利用した映画なら、「クローバーフィールド/hakaisya=Clover Field 」は「デジタル映像」の便利性を強く利用した作品だ。

 随所にデジタルメディア特有のお遊びが仕掛けられているから、出来ればデジタル上映で観てほしいし、フィルムで観ると全く印象が変わるであろう感覚の映画になっている。

 この映画の舞台は極めてミニマムだが、描かれる惨劇のイメージは、おおごとだ。
 いくつかのシーンは、ハッとするくらいリアルで緊迫感に溢れている。

 映画を観た当日、私は二日酔いでヘロヘロだったが、その臨場感に気分が悪くなって、貧血を起こして倒れそうになったくらいである(^^)

 しかし、落ち着いて考えてみれば、「デジタルメディア」であることを強調したところが、賛否両論わかれそうな点でもあるだろう。

 怪獣の見せ方だとか、俳優たちのクサくて大げさな芝居だとか、9.11テロ事件にあまりにも露骨に重なるイメージだとか、観る人によっては突っ込みどころは満載かもしれないし、正直、一般性からかけ離れた実験映画の性格が強い。

 上映時間は1時間30分に満たないが、恐らくは、これ以上長くしてしまうと、演出的に狙った緊迫感が得られないこと、そして観客の集中力が続かない、といった判断が製作側にはあったと思う。

 実際、映画の途中で早々に退出した観客の姿も目立った。

 この映画を観ていてもう一つ思ったことは、「アメリカで『괴물=怪物』のリメイクなんて、もう必要ないのでは?」という感想だ。

 もちろん両者は全く異なる作品であって、単純な比較は出来ないのだけど、「クローバーフィールド/hakaisya=Clover Field 」は、日本の「ゴジラ」第1作に韓国の「괴물=怪物」のエッセンスを加え、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト=The Blair Witch Project」で割った映画、という印象が強い。

 そこにはエメリッヒの「ゴジラ」で出来なかったことへ対する反発、「俺だったらこうやる!」というクリエイター側の主張も見え隠れするが、アイディアの寄せ集めといった限界も感じた。

 この「クローバーフィールド=Clover Field 」は、2008年に公開される映画の中で必見作とはいえないし、個人的にも「The Mist/ミスト」の方が、はるかに衝撃的、感動的ではあったが、「大怪獣が都会の日常に出現し、大災害を引き起こしたらどうなるか?」を一般の視点で描く、という点では大変迫力があることは間違いないし、暴れまくる怪獣の設定もまた、アメリカと日本の感覚的違いが大きく出ているから、安易に「どうたらこうたら」と甲乙つけられないだろう。

 私は9.11テロ事件当日、偶然にも飛行機が衝突、炎上する瞬間をCNNでリアルタイムに目撃し、唖然とした記憶がある。
 その感覚の再現に近いものが、「クローバーフィールド/hakaisya=Clover Field 」には確かにあった。

 ちなみに、エンドタイトルに流れる音楽は、なかなか笑えるから、お聞き逃しないように。

映画「The Mist/ミスト」>http://mosdo1225.blog.so-net.ne.jp/2008-01-08-2

©2008 Paramount Pictures. All rights reserved.

 


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Vol.171 「クローバーフィールド/hakaisya 」今、怪獣映画がトレンディ① [映画]

 考えてみれば、ここ数年ばかり怪獣映画がよく作られているような気がする。
 日本じゃなくて外国で、だ。
 
 怪獣映画が日本のお家芸だったのは既に遠い過去だが、輸出されたそれらの遺伝子が今芽生えつつあるのかな?とも思う。

 韓国の「D-WAR」はモロそうだし、TV「太王四神記」第1話も、まるで昔の怪獣ドラマだ。
 ハリウッドの「トランスフォーマー」だって怪獣モノといえなくないし、「THE MIST/ミスト」も、観方によっては怪獣映画の系譜である。

 韓国では「괴물=怪物」の第2弾製作が、一応決定している。
 舞台は外国人観光客ご用達の江北にある、あの清渓川周辺というから、例の新大統領がらみの某財閥から映画へ投資が決まっているのかな?

 シナリオは漫画家カンブル(강풀)が担当するという。
 この映画自体には期待していないけど、カンブル(강풀)のことだから、現代韓国の暗闇を市井の視点で描いてはくれるだろう、という望みだけは、ちょっとあったりする。
 だから監督は新人ではなくて中堅をぜひ配してほしい。

 カンブル(강풀)の描く漫画は、絵がうまくはないが、シンプルで奥深く、ヒット作「アパート」は、都市部の人間関係が実によく出ている、日本人にも十分共感できる作品だった。
 アン・ビョンギ(안병기)の映画「アパートメント」は「?」な出来だったけど…

 さて、現在、「怪獣映画」という触れ込みで世界的に話題、ということになっているアメリカ映画が、「クローバーフィールド/hakaisya=Clover Field 」だ。

 公開までとりあえず覆面状態だったが、つい先日公開されたので、さっそく観にいったのだが、今までありそうでなかった「怪獣映画」かもしれない。
 映画ではなく、TVドラマで実績を上げたスタッフが中心になっていることもあって、かなり変わった感覚の作品だが、それがよい点でもあり、悪い点でもあったような気がする。

 作品には「ゴジラ」へのリスペクトがいっぱいで、随所に「日本」がらみのネタが織り込まれているが、登場人物たちが「Japan、Japan、Japan」と連呼する様子に、「韓国の一部観客は気分悪くしてるんだろうなぁ~」(^^)、などと思いながら観ていたのであった…
<②へと続く>http://mosdo1225.blog.so-net.ne.jp/2008-01-27-1

グエムル-漢江の怪物- スタンダード・エディション

グエムル-漢江の怪物- スタンダード・エディション

  • 出版社/メーカー: ハピネット・ピクチャーズ
  • 発売日: 2007/01/26
  • メディア: DVD


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Vol.166 『ミスト(THE MIST)』そのラストに全ての者が言葉を失うだろう [映画]

 スティーブン・キングの中篇小説 「THE MIST=霧」を初めて読んだのは、もう26,5年ほど昔のこと。

 当時、この小説に対する日本の書評が芳しくなくて、「普通の出来」だとか「キングとしては中の中」といった歯切れの悪いものばかりだった。
 今はS・キングの傑作中篇ということになっている…って、一体どういうこっちゃ!
 
 この原作は、私にとって、スティーブン・キングのBEST小説だ。
 まるで映画を観ているかのように、ページからは次々と鮮明なイメージが頭に浮かび上がる。
 その時から私はこの小説の映画化を熱望していた。

 そして数年後、この 「THE MIST=霧」の映画化が決まった、という話が聞こえて来た。
 「ヤッター!」
 でも、何年待てども製作される気配がない。

 トム・ホランドが監督するだとか、TVドラマとして製作されそうだとか、バッタ情報だけがドタンバタンと飛び交う。

 やがて長い月日が経った2007年。

 いつの間にか、フランク・ダラボンの手によって「THE MIST/ミスト」として映画化され、こそっとアメリカで公開された。
 アメリカでは2週間ほど興行BEST10の末尾に顔を出しただけだったが、観た人の間から「凄い」という評判が立ち始める。

 そんな訳でいてもたってもいられなくなった私は、さっそく、2008年、SEOULでこの 「THE MIST/ミスト」を観たのだった。
 
 結論として、この 「THE MIST/ミスト」は、S・キング原作の映画化BEST10に入るであろう秀作だ。
 映画は最初から最後まで緊迫した空気がピンと張り詰め、息を抜くことが出来ない。
 原作小説に出てきた、あれも、これも、最後のデカブツも、みんな出てくる。
 特に、このデカブツが登場するシーンは荘厳ですらあって、霧の中に蠢く純粋野生に対して、人がいかに無力であるかを痛感させる、忘れがたい名シーンになっている。

 しかし、ラストは映画のオリジナル。
 でもこのラストが凄い。
 その無慈悲さに私は声を失い、観終わってから愕然としてしまう。
 その晩、夢でうなされたくらいだ。

 この映画オリジナルの結末に、現在のアメリカが置かれたある状況を重ねることは出来るだろう。
 そして、狂信的な原理主義というものが、人が極限状態に置かれた時、どれだけ危険なものになりうるかも描いている。
 でも、そんなことより、運命の偶然性というものが、いかに残酷なものであるかを突きつけたところに、一番のテーマがあった思う。

 人は絶対的な危機に陥った時、どういう判断をして、どういう行動を取ればいいのか。
 本能に任せるべきなのか?冷静であるべきなのか?

 でも、その答えを知るのは「神様」だけ。
 
 原作が好きな人のみならず、ヒッチコックの「鳥」が好きな人、ロメロの「DOWN OF THE DEAD」が好きな人にもこたえられない映画、それがこの 「THE MIST/ミスト」なのだ。

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日本公開決定!http://www.mistmovie.jp/
                                             


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Vol.163 ライラの冒険 黄金の羅針盤 その②映画版第1弾 [映画]

 小説を完全に映画化することは不可能だ。
 そもそも活字で描かれ、読む側の感性にゆだねられたイメージを、現実の俳優が演じ、作為的な映像で描くのだから、うまくいかなくて当然だろう。

 12月18日、「黄金の羅針盤」が韓国で一斉公開された。
 当日、急いで観に行く。

 慌てて観にいった理由は、原作が物凄く面白い小説だったからだが、最大公約数を目指すメジャー映画の原作としては、障害もたくさんありそうなダークで残酷なお話なので、そこら辺がどう、アレンジされているか、たいへん気になったのである。

 映画自体は家族向けファンタジーとしてしては、良く出来ていたと思う。
 なによりも、ダイモンたちのいとおしさが、映画にすると良く伝わってくる。
 こういう存在が本当にいれば、人生は楽しい。

 キャスティングも好印象、ジプシャン以外、小説のイメージとそれほど相違は感じなかった。
 ただ、アスリエル卿演じるダニエル・クレイグが笑いすぎることと、肝心のライラが、ちょっとお上品すぎて無表情なことが気になった。
 小説のライラはもっと暴れん坊だ。

 当然ながら、映画版は原作と細かいところが違っていて、第二部以降登場のキャラが、早々に登場しているところを見ると、シナリオは全三作通しで書かれているようだ。

 そんな訳で、子供を連れて、恋人を連れて、なんの考えもなしで観に行くにはいい作品なのだが、原作に強烈な面白さを感じている人にとっては、色々と不満が多かった映画でもあったと思う。
 有名小説の映画化なんて、どこでもそんなものだが、「黄金の羅針盤」もその例外ではなかった。

 原作重視の観点でいうと一番気になったのは、上映時間が短すぎて、多層な原作が、単純で健全な勧善懲悪物にすりかわってしまったことだろう。
 クリストファー・リーが悪の黒幕で出演しているから、どうしても「スター・ウォーズ」が重なって見えてしまうのはご愛嬌だとしても、原作の大きな魅力である、強烈な批判精神であるとか、問題提起がしゃぶしゃぶに薄くなっている。

 この第一部は、壮大な物語の序章であり、原作小説は数々の伏線が張られているのだが、映画は、家族向けのダイジェスト版という趣きであり、今後、きちんと原作のマインドを消化できるのかどうか、不安になった。
 
 特に、第三部における「死者の国」篇へ、この映画版第一部はきちんと繋げられるの?と疑問に思ったりもする。
 所詮、コーラを飲みのみ、ポップコーンを食べながら観るような映画だから、万人向けアレンジは仕方ないのだろうが、原作の持つシビアな魅力は、ガクンと半減してしまうのだった。

 その他登場人物で「なんか違うよな~」だったのは、まず魔女たち。
 彼らは物語の中で大変重要な役割を負っているはずなのに、ほんの顔出し程度、唐突に登場するだけ。
 そして、魔女というよりは、幽霊か妖怪みたいだ。

 「ライラの冒険」最大のヒーローであるはずのイオレク・バーニスンも、ただの喋る熊。

 イオレク・バーニスンって、こんなに表情豊かで、おしゃべりで、イライラしていたっけ?

 しかも、どうやら白熊ではなくて、ヒグマを参考にモデリングしているようだ。
 ヒグマと白熊は実物を見ればわかるように、かなりプロポーションが異なる。
 しかし映画では、どう見ても白いヒグマ。

 原作では表情が読み取れないところが魅力だったのに、これでは全く別の安っぽい、おしゃべりクリーチャーだ。
 声はイアン・マッケランなんだけどね。

 映画 「ロード・オブ・サ・リング三部作」が偉かったのは、まず上映時間が長くなることを厭わなかったことだろう。
 だから原作通りでなくても、原作の重厚さは自ずと伝わって来たし、なによりもこの「ロード・オブ・サ・リング三部作」には、監督ピーター・ジャクソンと仲間たちの強い「念」がこもっていた。

 でも映画「黄金の羅針盤」にそういった「念」は薄い。
 原作に対する強い「想い」も感じられない。
 よく出来ている作品だとは思うけど、大人の鑑賞に耐えうる作品かと聞かれれば、やはり言葉を濁すしかなく、ハリウッド・エリートたちがサクサクと作った、ビジネスライクな映画だった。
 
 強力な原作を、原作ファンを納得させるように作るためには、「最大公約数」をどこかで思い切って捨てることが必要だが、「黄金の羅針盤」もまた、たくさんの船頭を抱えた大プロジェクトだから、それも困難。
 だから、これはこれで「窯変版/黄金の羅針盤」として、楽しむ方が正解なのだろう。

 どうせなら、第二部、第三部には、もっと大胆なアレンジを期待しよう。

©New Line Cinema/Scholastic Productions


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Vol.160 「ミッドナイトイーグル」、それは古式ゆかしき純和風映画 [映画]

 大作「ミッドナイトイーグル」に客が来ていないという。

 ネットを見ても、評判は散々だ。
 あまりに評判が悪いので、観ようかどうしようか、躊躇していたが、とりあえず観に行く(^^!)。

 でも、率直な感想は「そんなに悪くないじゃん」だった。

 たしかに、派手なアクションだとか、TVの宣伝でやっているような家族愛を売りにした映画という期待(=誤解)を持って観に行くとガッカリはするとは思う。

 でも、端正で丁寧な画作りに、ゆったりと安定したペースで進むリズムと、日本映画独特の古式ゆかしき良さが感じられる仕上がりだ。
 とても落ち着いた作風だから、年配の人にとっても、優しい映画だ。

 宣伝の方向がアクション、サスペンス、ラブロマンスの無理やりな三本立てという、どっちつかずで中途半端な売り方だから誤解されるのであって、視点を変えて、「特殊な状況下の人間像を描いた純日本映画」と思って観れば、それほど、ひどい訳ではない。

 「ミッドナイトイーグル」の特徴は、脇役の官僚や公務員たちが皆大人、紳士であることだ。
 逆に、中心になる戦場カメラマンや記者たちは、幼稚で子供っぽい。
 特に、女性雑誌記者の場違いな正義漢ぶりには、首をかしげる。
 草津温泉に行けなかったから、腹を立てていたのかな?
 国家の一大事なのに。

 映画では、核弾頭を「特殊爆弾」と呼び、某国特殊部隊が「どこの国」から来たのか一切、形容しない。
 かろうじて「半島から来たこと」を婉曲的に表現している程度。
 彼らが何者であり、なぜ自衛隊と戦っていたのか、わからなかった人もいたのではないだろうか。

 こういう映画を観るたびに、日本は、本当にまわりに気を使う国だな、と思う。

 お隣が平気で日本を敵として描くことは、私だって気分が悪い。
 けど、その言動の裏側には、日本への「信頼」もまた、逆説的に存在しているような気がする。
 かの国の人からすれば、日本批判など、お気軽な「枕詞」「お約束」のようなものかもしれない。
 
 しかしこれが日本となると逆のように思える。
 「相手と同じことをやれば、大事に発展しかねない」というマジな警戒感と不信が常に感じられる。
 もちろん、礼儀的な問題も大きいのだろうけど…
 
 映画とは関係ないことではあるが、「ミッドナイトイーグル」を観ながら、そんなことばかり考えていたのだった。


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Vol.158 「アイ・アム・レジェンド」 ホワイトゾンビの大運動会 [映画]

 「アイ・アム・レジェンド」もまた、よい部分と悪い部分がごちゃまぜになった、ハリウッドスタンダードな作品。

 最低のラストはメジャー作品だから仕方ないとしても、無理やり短くしたような編集はよい部分も台無しにしている感じだ。

 あと30分程度長ければ、もっとよい映画になっていたと思う。

 さて、この映画にはナイトシーカーと呼ばれる人類変異体が登場する。

 物語のキーになるはずの存在なのだが、映画では彼らが一体何者なのか、そのパーソナリティーがあやふやなので、お話を混迷させている。

 原作ではこれが吸血鬼となっていて、後に色々影響を与えたことでも知られている。
 特に藤子不二雄の作品は有名だ。

 しかし、 「アイ・アム・レジェンド」の場合、この肝心なはずの、ナイトシーカーという存在が一体なんなのか、さっぱりわからない。

 エンドクレジットでは、コンサルタントとしてDr.~が何列も続くことから、今風のリアルな設定の元に描かれた存在らしいが、映画からそういったことは一切伝わらない。

 「白くてハゲで凶暴、でもそれで?」で終わってしまう。
 どういうわけか、男は半身裸で下はジーパン、リーダー格だけがチョッキを身に着けた、くまのプーさん状態。

 もしかして、これって、人種差別社会への皮肉か?
 だって、ナイトシーカーって、白人労働者そのままのイメージだし、主人公はアフリカ系のエリートだ。
 でも、アジア系は出てこない。
 
 ナイトシーカーの描写も、最近流行のダッシュ型ゾンビそのまんま、人肉を喰らう、という点でも、ロメロ型ゾンビそのまんま。
 これじゃ、単なる白いゾンビ、ホワイトゾンビだ(^^!)

 だから映画は、ナイトシーカーたちがむやみやたらに走り回り、過激なおしくらまんじゅうを繰り返す、「ホワイトゾンビの大運動会」といった風情になっている。
 CGIの仕上がりも荒く、映画用ハイエンドというよりも、ゲーム・ムービー的な映像だから、X-BOXあたりからゲームでも発売される予定があるのかな?

 チャールトン・ヘストンの「オメガマン」に出てくる連中も、あれはあれで情けなかったが、ナイトシーカーたちも、失笑ものだった。

 こんなんだったら、ナイトシーカーを「彼らは新種のゾンビです!」と割り切って説明した方が、観客にとって、よほど親切。
 なぜ、吸血鬼にしなかったのだろう、と疑問にも思う。

 「アイ・アム・レジェンド」、それは二匹の犬たちが演じたシェパード犬サムだけが、かわいく、いとおしい映画だった…

          
           © Warner Bros. Pictures / Heyday Productions
                     ↑クイズ>ここはどこでしょう?

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