Vol.163 ライラの冒険 黄金の羅針盤 その②映画版第1弾 [映画]
小説を完全に映画化することは不可能だ。
そもそも活字で描かれ、読む側の感性にゆだねられたイメージを、現実の俳優が演じ、作為的な映像で描くのだから、うまくいかなくて当然だろう。
12月18日、「黄金の羅針盤」が韓国で一斉公開された。
当日、急いで観に行く。
慌てて観にいった理由は、原作が物凄く面白い小説だったからだが、最大公約数を目指すメジャー映画の原作としては、障害もたくさんありそうなダークで残酷なお話なので、そこら辺がどう、アレンジされているか、たいへん気になったのである。
映画自体は家族向けファンタジーとしてしては、良く出来ていたと思う。
なによりも、ダイモンたちのいとおしさが、映画にすると良く伝わってくる。
こういう存在が本当にいれば、人生は楽しい。
キャスティングも好印象、ジプシャン以外、小説のイメージとそれほど相違は感じなかった。
ただ、アスリエル卿演じるダニエル・クレイグが笑いすぎることと、肝心のライラが、ちょっとお上品すぎて無表情なことが気になった。
小説のライラはもっと暴れん坊だ。
当然ながら、映画版は原作と細かいところが違っていて、第二部以降登場のキャラが、早々に登場しているところを見ると、シナリオは全三作通しで書かれているようだ。
そんな訳で、子供を連れて、恋人を連れて、なんの考えもなしで観に行くにはいい作品なのだが、原作に強烈な面白さを感じている人にとっては、色々と不満が多かった映画でもあったと思う。
有名小説の映画化なんて、どこでもそんなものだが、「黄金の羅針盤」もその例外ではなかった。
原作重視の観点でいうと一番気になったのは、上映時間が短すぎて、多層な原作が、単純で健全な勧善懲悪物にすりかわってしまったことだろう。
クリストファー・リーが悪の黒幕で出演しているから、どうしても「スター・ウォーズ」が重なって見えてしまうのはご愛嬌だとしても、原作の大きな魅力である、強烈な批判精神であるとか、問題提起がしゃぶしゃぶに薄くなっている。
この第一部は、壮大な物語の序章であり、原作小説は数々の伏線が張られているのだが、映画は、家族向けのダイジェスト版という趣きであり、今後、きちんと原作のマインドを消化できるのかどうか、不安になった。
特に、第三部における「死者の国」篇へ、この映画版第一部はきちんと繋げられるの?と疑問に思ったりもする。
所詮、コーラを飲みのみ、ポップコーンを食べながら観るような映画だから、万人向けアレンジは仕方ないのだろうが、原作の持つシビアな魅力は、ガクンと半減してしまうのだった。
その他登場人物で「なんか違うよな~」だったのは、まず魔女たち。
彼らは物語の中で大変重要な役割を負っているはずなのに、ほんの顔出し程度、唐突に登場するだけ。
そして、魔女というよりは、幽霊か妖怪みたいだ。
「ライラの冒険」最大のヒーローであるはずのイオレク・バーニスンも、ただの喋る熊。
イオレク・バーニスンって、こんなに表情豊かで、おしゃべりで、イライラしていたっけ?
しかも、どうやら白熊ではなくて、ヒグマを参考にモデリングしているようだ。
ヒグマと白熊は実物を見ればわかるように、かなりプロポーションが異なる。
しかし映画では、どう見ても白いヒグマ。
原作では表情が読み取れないところが魅力だったのに、これでは全く別の安っぽい、おしゃべりクリーチャーだ。
声はイアン・マッケランなんだけどね。
映画 「ロード・オブ・サ・リング三部作」が偉かったのは、まず上映時間が長くなることを厭わなかったことだろう。
だから原作通りでなくても、原作の重厚さは自ずと伝わって来たし、なによりもこの「ロード・オブ・サ・リング三部作」には、監督ピーター・ジャクソンと仲間たちの強い「念」がこもっていた。
でも映画「黄金の羅針盤」にそういった「念」は薄い。
原作に対する強い「想い」も感じられない。
よく出来ている作品だとは思うけど、大人の鑑賞に耐えうる作品かと聞かれれば、やはり言葉を濁すしかなく、ハリウッド・エリートたちがサクサクと作った、ビジネスライクな映画だった。
強力な原作を、原作ファンを納得させるように作るためには、「最大公約数」をどこかで思い切って捨てることが必要だが、「黄金の羅針盤」もまた、たくさんの船頭を抱えた大プロジェクトだから、それも困難。
だから、これはこれで「窯変版/黄金の羅針盤」として、楽しむ方が正解なのだろう。
どうせなら、第二部、第三部には、もっと大胆なアレンジを期待しよう。
コメント 0