Vol.285 異常と普通の狭間『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』 [韓国映画]
去る2009年11月、東京は多摩市で『第19回映画祭 TAMA CINEMA FORUM』が開かれた。
私は地元なんだけど、生まれて初めて、この催しを観に行く。
昔からやっていたのは知っていたけど「もう19回もやっていたの!」と驚いてみせたりする。
何を観に行ったかというと、キム・ギヨン監督の『下女』。
でも、上映された映画より、ゲストで招聘された脚本家であり映画監督である、高橋 洋氏の話が愉快でおもしろかった。
氏は、昔からのフィルム・ゴアの一人として、純粋にキム・ギヨン作品を追ってきた人らしく、その意見は正直で、ヘンに韓国に肩入れしていないところがいい(関心のある人は『映画秘宝』や『TRASH・UP!』バックナンバーを探してみてください)。
『下女』はいうまでもなく、韓国映画史に残る怪作だ。
でも【怪作】という表現は、今の人から観た視点であり、当時は違ったんじゃないかと思う。
監督本人が生前、自ら日本語字幕とプリントを持参して東京にやってきたという、伝説の某上映会に行かなかったことを、代表作の大半が焼失してしまった今、つくづく後悔してしまうのだけど、今は亡き三百人劇場で上映された『異魚島』を、ちゃんとプリントで観られたことだけは幸運だった。
巷では『怪作・怪監督』として伝説化してしまった感のあるキム・ギヨンとその作品群だが、改めて見直すと、正直、意外と全然普通に見えてしまったりする。
いや、確かに【ヘンな映画】であることは間違いないのだけど、根底には、その他韓国映画と全く同類の血脈がドロリ、ドロリと流れていることは間違いなく、キム・ギヨンが【異様でヘン】だとすれば、乱暴な話、韓国映画そのものが【異様でヘン】なのではないか、と考えたりする。
そして、その【ヘンさ】を、今一番忠実に引き継いでいるのが、実は近年の韓国アニメーションやインディーズ映画だったりするのだ。
皆が口に出していうほど、キム・ギヨンの映画は、韓国映画史の中で、異質ではないんじゃなかろうか?
そこら辺は、古典映画をきちんと後世に語り継がなかった韓国映画界の罪かもしれず、マスコミが扇動する【韓流】が出現するまで、韓国のサブカルチャーを無視し続けた日本の罪かもしれない。
今回の催しの目玉として、キム・ギヨン作品の覆面上映会も行われた。
もっとも、フィルムやDVDではなく、韓国製VHSパッケージによる、ガビガビ状態の上映。
だけど、ここまでして上映しようという心意気を、今の時代、逆に私は評価したい。
上映された作品は『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』(1978年12月2日韓国公開作品)。
フイルム自体はちゃんと存在している作品なんだけど、権利を所有する人物の私的な思惑で、上映できないらしい。
そこら辺も、韓国らしい事情だ。
キム・ギヨンは多作な監督だったので、けっこう最近まで韓国の中古VTR屋では、彼の作品がゴロゴロ転がっていた。
この『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』もそんな中のひとつで、ソウルを訪れるたびによく見かけた記憶があるけれど、今の韓国、軒並み中古VTR屋が姿を消してしまっている状態だから、入手しづらくなってしまった。
また、ここ十年間、韓国製カルトムービーへの需要が増えているのか、1970後半から80年代、90年代の有名な作品を入手する機会は、今後DVD化でもされない限り、どんどん先細りになるばかりだろう。
会場の大きなプロジェクターで上映しても、意外に画質は悪くなく、映画の雰囲気はちゃんと伝わってくる。
配布された資料だけを読むと、いかにもモンドな映画のように思えるが、実際は、普通の韓国映画であった。
ただ、かなり観念的な内容であり、普通の事柄を常人が描くようなイメージで表現していないため、おかしく見えるだけのことではないかと思う。
まだ瑞々しかった頃のキム・ギドクの作品だって同じようなものだったし、私の好きな『銀杏の寝台』だって『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』とおなじくらい【ヘンな映画】だ。
最近の伝奇アクション大作『チョン・ウチ』だって、根底は同質だろう。
勝手にひとり「ふん、ふん、ふん」と頷きながら『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』を観ていたのだけど、キム・ギヨン作品を観て強く感じることは、この人は、どこか歪んではいても、根はとっても純粋な人で、怖いくらい真面目な人だったんだろう、という感想だ。
韓国で跋扈している【ちょろっと海外留学した】ことをこれ見よがしに自慢して、新沙洞あたりに無駄に立派な事務所を開設し、翌年には金を持ってドロンするような【自称】映画関係者たちよりも、よっぽど健全な人だったんじゃなかろうか、などと、脳内妄想を繰り広げるのだった。
私は地元なんだけど、生まれて初めて、この催しを観に行く。
昔からやっていたのは知っていたけど「もう19回もやっていたの!」と驚いてみせたりする。
何を観に行ったかというと、キム・ギヨン監督の『下女』。
でも、上映された映画より、ゲストで招聘された脚本家であり映画監督である、高橋 洋氏の話が愉快でおもしろかった。
氏は、昔からのフィルム・ゴアの一人として、純粋にキム・ギヨン作品を追ってきた人らしく、その意見は正直で、ヘンに韓国に肩入れしていないところがいい(関心のある人は『映画秘宝』や『TRASH・UP!』バックナンバーを探してみてください)。
『下女』はいうまでもなく、韓国映画史に残る怪作だ。
でも【怪作】という表現は、今の人から観た視点であり、当時は違ったんじゃないかと思う。
監督本人が生前、自ら日本語字幕とプリントを持参して東京にやってきたという、伝説の某上映会に行かなかったことを、代表作の大半が焼失してしまった今、つくづく後悔してしまうのだけど、今は亡き三百人劇場で上映された『異魚島』を、ちゃんとプリントで観られたことだけは幸運だった。
巷では『怪作・怪監督』として伝説化してしまった感のあるキム・ギヨンとその作品群だが、改めて見直すと、正直、意外と全然普通に見えてしまったりする。
いや、確かに【ヘンな映画】であることは間違いないのだけど、根底には、その他韓国映画と全く同類の血脈がドロリ、ドロリと流れていることは間違いなく、キム・ギヨンが【異様でヘン】だとすれば、乱暴な話、韓国映画そのものが【異様でヘン】なのではないか、と考えたりする。
そして、その【ヘンさ】を、今一番忠実に引き継いでいるのが、実は近年の韓国アニメーションやインディーズ映画だったりするのだ。
皆が口に出していうほど、キム・ギヨンの映画は、韓国映画史の中で、異質ではないんじゃなかろうか?
そこら辺は、古典映画をきちんと後世に語り継がなかった韓国映画界の罪かもしれず、マスコミが扇動する【韓流】が出現するまで、韓国のサブカルチャーを無視し続けた日本の罪かもしれない。
今回の催しの目玉として、キム・ギヨン作品の覆面上映会も行われた。
もっとも、フィルムやDVDではなく、韓国製VHSパッケージによる、ガビガビ状態の上映。
だけど、ここまでして上映しようという心意気を、今の時代、逆に私は評価したい。
上映された作品は『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』(1978年12月2日韓国公開作品)。
フイルム自体はちゃんと存在している作品なんだけど、権利を所有する人物の私的な思惑で、上映できないらしい。
そこら辺も、韓国らしい事情だ。
キム・ギヨンは多作な監督だったので、けっこう最近まで韓国の中古VTR屋では、彼の作品がゴロゴロ転がっていた。
この『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』もそんな中のひとつで、ソウルを訪れるたびによく見かけた記憶があるけれど、今の韓国、軒並み中古VTR屋が姿を消してしまっている状態だから、入手しづらくなってしまった。
また、ここ十年間、韓国製カルトムービーへの需要が増えているのか、1970後半から80年代、90年代の有名な作品を入手する機会は、今後DVD化でもされない限り、どんどん先細りになるばかりだろう。
会場の大きなプロジェクターで上映しても、意外に画質は悪くなく、映画の雰囲気はちゃんと伝わってくる。
配布された資料だけを読むと、いかにもモンドな映画のように思えるが、実際は、普通の韓国映画であった。
ただ、かなり観念的な内容であり、普通の事柄を常人が描くようなイメージで表現していないため、おかしく見えるだけのことではないかと思う。
まだ瑞々しかった頃のキム・ギドクの作品だって同じようなものだったし、私の好きな『銀杏の寝台』だって『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』とおなじくらい【ヘンな映画】だ。
最近の伝奇アクション大作『チョン・ウチ』だって、根底は同質だろう。
勝手にひとり「ふん、ふん、ふん」と頷きながら『殺人蝶を追う女/살인나비를 쫓는 여자』を観ていたのだけど、キム・ギヨン作品を観て強く感じることは、この人は、どこか歪んではいても、根はとっても純粋な人で、怖いくらい真面目な人だったんだろう、という感想だ。
韓国で跋扈している【ちょろっと海外留学した】ことをこれ見よがしに自慢して、新沙洞あたりに無駄に立派な事務所を開設し、翌年には金を持ってドロンするような【自称】映画関係者たちよりも、よっぽど健全な人だったんじゃなかろうか、などと、脳内妄想を繰り広げるのだった。
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