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Vol.327 新年は凍てついて [韓国生活]

 2010年、大晦日、ソウル。

 「冬の韓国なんてとんでもない!」と行ったこともないくせに、非難の雄たけびを上げる「自称・韓国通」がいるけれど、やっぱりソウルは冬が最高だ。
 ほどよい寒さは薄汚い情念を浄化するような清々しさがいつもある。
 でも、朝焼けと共にキラキラと空中に舞うスターダストは美しいが、雪は薄汚い。

 鐘閣や市庁前ではいつものように年越しの大騒ぎ。
 やや寒いためか、街角の人影はいつもより少ないように見える。
 灯りで飾り立てられた清渓川は人影まばらで、なんだかうら寂しい。

cyonnge.jpg


 時間を見計らって、宿を出、明洞の聖堂へ向かう。
 人影がまばらな乙支路の街を歩く。
 途中、朝鮮の伝統楽器をうるさく打ち鳴らす若者の一団とすれ違う。

 聖堂に着いた。

kyoukai.jpg


 いきなり「ぐぎゃあああ~!き、キレイや~」という、耳をつんざくような、おばさんの叫び声に遭遇する。

 聖堂に入る。
 中央廊下に近い席は熱心な信者で埋まり、後から来た人は教壇が見えない柱近くの席に座るしかない。
 だけど、人影が昨年よりも明らかに少ない。
 なぜか、真摯な祈りも、全く伝わってこなかった。

 やがて新年を迎えるが、白けたので適当なところで、さっさと切り上げる。

 誰もいない再び街角を歩く。
 気温はおそらくマイナス10度を下回っているだろう。
 その程度だったら、いつもは大した寒さじゃないのだが、その年は違った。
 寒さが様々な憂いとなって、有形無形で覆いかぶさってくるようだ。

 少し離れた市庁方面ではいつものように侘しい花火が上がっている。
 1999年の狂った年越し模様を思い出す。
 たった十年前のことだけど、あの時はまだ、何か未来への希望が無責任にみなぎっていた。
 でも、そんな空気はすでに東京にもソウルにも感じられない。

 韓国の友人たちもとりあえず普通に生きているようにみえる。
 だが、「明日になればなんとかなるさ」という無邪気な輝きが瞳から消えて久しい。

 日本の一部マスコミはいつにも増して、韓国がすべからず、なんでも素晴らしいようなことばかり喧伝している。
 銭目当てで続々と日本にやってくる韓国芸能人への過剰な称賛と大歓迎ぶりも鼻につく。

 少しの嘘で日本人が幸せになれるのなら、それはそれでいいと思う。
 だけど、やりすぎの誇張された美辞麗句はいずれ破たんし、余計な憎悪の感情を第三者の間に生みだす。

 凍てついた江北の街角を行きながら、不安に突然駆られる。
 日本は一体どうなるんだ?そして、この街も、この国も。
 三十八度線の向こうは想像もできない闇が拡がるばかり。

 2011年の新年は、全てが冷たく厳しかった…
 
KI.jpg



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