Vol.340 『シネマル(씨내마루)』、そこは韓国映画の姥捨て山だったのか? [韓国映画]
光化門駅から徒歩で約5分程度のところにある韓国独立系映画専門館『シネマル/씨내마루』が2011年2月、幕を降ろした…といっても、元の『ミロ・スペース/Miro Space』に戻っただけである。
政治絡みのゴタゴタから生まれたという、意欲倒れの「鬼っ子映画館」だったが、「箸にも棒にも引っかからない」ようなインディーズ作品を定期的に上映する劇場は、ソウルにおいて実質『シネマル』くらいになっていたから、それはそれで貴重な存在だったし、インディーズ・ゲリラたちにとっても、中央劇場に続き、また一つ、作品発表の場を失ったといえるかもしれない。
ここ数年、韓国ではインディーズ系映画をかける劇場が増えたが、上映に至る敷居も結構高く、のべつまくなしで上映出来るわけではない。
だが、この『シネマル』だけは、そこら辺が異なっていて、とにかく質より量で勝負していたようなところがあった(一応選別していたんだろうけど…)。
元々、『シネマル』があった建物は、数年前にタカピーな文化アミューズメント施設として鳴り物入りでオープンした。
おそらく「芸術作品を鑑賞した後に高級イタリア料理をどうぞ」ってなコンビネーション企画だったんだろう。
だが、あっという間に閑古鳥が鳴き、高級飲食店は全滅。
映画館『ミロ・スペース』の長期休館に便乗して「(社)韓国多様性映画発展協議会」という団体が運営を始めたのが、この『シネマル』だった。
『シネマル』で上映される作品群の特色は、「韓国なんたらかんたら委員会」の「とりあえず」お墨付きであっても、一般の劇場では興行を嫌がられる作品群を上映するところにあった。
だが、その実態は、末期になればなるほど、死屍累々の「韓国インディーズ映画の姥捨て山」状態。
上映プログラムは段々とヤケクソにしか思えないような組み合わせになって行き、ひどい時で一日5本くらい強引に掛けたりしたが、その中で「よかったものを上げろ」といわれても、相当厳しかった。
私が観た範囲では、どれも習作レベル(しかも凡作以下)がほとんどで、「お金を取れる」水準に全く達してしておらず、「製作条件の悪さが蛇足なテクに走らせただけ」みたいな作品の方が多かった。
だから誰も観に来るワケがなく、良い悪い以前の問題だった。
2010年に入ってから韓国では、行政による独立系映画への支援が停止してしまい、資金援助の代わりに作品発表の場として提供されたのが、この『シネマル』だったという。
だが、「『シネマル』で掛けてやるよ」と、上から目線でいわれても、クリエイターたちは嬉しくなかっただろう。
小さなインディーズ系作品であっても、優れた作品は相応の配給会社がつき、一般劇場で上映されるという事実がある以上、魅力に乏しい新興シネマテークの『シネマル』に付加価値を見い出すことは難しい。
貧乏インディーズでも、世に出るときは必ず出る。
今じゃ巨匠になりつつあるリュ・スンワンなんかは代表的な例だろう。
結局「客が来る、来ない」はその作品自身の責任なのであって、「政府が金を出す、出さない」とか「マーケットが大きい、小さい」なんて、言い訳に過ぎないことを『シネマル』は図らずも証明してしまった気もするのだった。
『シネマル』から元の『ミロ・スペース』に戻っても、雨漏りがひどい廃墟然とした建物はそのままだし、比較的動員が望めるプログラムを並べても、おそらく閑古鳥は鳴き続けるだろう。
マイナー路線は引き継ぐようではあるけれど、それだけでは悪循環を脱することは出来ないし、メジャーを中心に据えても、明洞辺りのCGVやロッテシネマと比べれば、圧倒的に歩が悪いのは明白である。
「じゃあ、どうすればいいんだよ、テメー、コノヤロー」と絡まれても良いアイディアは浮かばないけど、誰も来ないような上映場所を強引に確保するよりも、少しでも資本と人力を一作品に集約させて、それなりに固定客が来るアート系シアターで上映できる作品を作った方がいいんじゃなかろうか。
…と言いつつも、負のオーラを「どろ~ん」と黒く放っていた絶望の館『シネマル』が消えたことは、ちょっと寂しくもあり、哀しくもあるのだった…
政治絡みのゴタゴタから生まれたという、意欲倒れの「鬼っ子映画館」だったが、「箸にも棒にも引っかからない」ようなインディーズ作品を定期的に上映する劇場は、ソウルにおいて実質『シネマル』くらいになっていたから、それはそれで貴重な存在だったし、インディーズ・ゲリラたちにとっても、中央劇場に続き、また一つ、作品発表の場を失ったといえるかもしれない。
ここ数年、韓国ではインディーズ系映画をかける劇場が増えたが、上映に至る敷居も結構高く、のべつまくなしで上映出来るわけではない。
だが、この『シネマル』だけは、そこら辺が異なっていて、とにかく質より量で勝負していたようなところがあった(一応選別していたんだろうけど…)。
元々、『シネマル』があった建物は、数年前にタカピーな文化アミューズメント施設として鳴り物入りでオープンした。
おそらく「芸術作品を鑑賞した後に高級イタリア料理をどうぞ」ってなコンビネーション企画だったんだろう。
だが、あっという間に閑古鳥が鳴き、高級飲食店は全滅。
映画館『ミロ・スペース』の長期休館に便乗して「(社)韓国多様性映画発展協議会」という団体が運営を始めたのが、この『シネマル』だった。
『シネマル』で上映される作品群の特色は、「韓国なんたらかんたら委員会」の「とりあえず」お墨付きであっても、一般の劇場では興行を嫌がられる作品群を上映するところにあった。
だが、その実態は、末期になればなるほど、死屍累々の「韓国インディーズ映画の姥捨て山」状態。
上映プログラムは段々とヤケクソにしか思えないような組み合わせになって行き、ひどい時で一日5本くらい強引に掛けたりしたが、その中で「よかったものを上げろ」といわれても、相当厳しかった。
私が観た範囲では、どれも習作レベル(しかも凡作以下)がほとんどで、「お金を取れる」水準に全く達してしておらず、「製作条件の悪さが蛇足なテクに走らせただけ」みたいな作品の方が多かった。
だから誰も観に来るワケがなく、良い悪い以前の問題だった。
2010年に入ってから韓国では、行政による独立系映画への支援が停止してしまい、資金援助の代わりに作品発表の場として提供されたのが、この『シネマル』だったという。
だが、「『シネマル』で掛けてやるよ」と、上から目線でいわれても、クリエイターたちは嬉しくなかっただろう。
小さなインディーズ系作品であっても、優れた作品は相応の配給会社がつき、一般劇場で上映されるという事実がある以上、魅力に乏しい新興シネマテークの『シネマル』に付加価値を見い出すことは難しい。
貧乏インディーズでも、世に出るときは必ず出る。
今じゃ巨匠になりつつあるリュ・スンワンなんかは代表的な例だろう。
結局「客が来る、来ない」はその作品自身の責任なのであって、「政府が金を出す、出さない」とか「マーケットが大きい、小さい」なんて、言い訳に過ぎないことを『シネマル』は図らずも証明してしまった気もするのだった。
『シネマル』から元の『ミロ・スペース』に戻っても、雨漏りがひどい廃墟然とした建物はそのままだし、比較的動員が望めるプログラムを並べても、おそらく閑古鳥は鳴き続けるだろう。
マイナー路線は引き継ぐようではあるけれど、それだけでは悪循環を脱することは出来ないし、メジャーを中心に据えても、明洞辺りのCGVやロッテシネマと比べれば、圧倒的に歩が悪いのは明白である。
「じゃあ、どうすればいいんだよ、テメー、コノヤロー」と絡まれても良いアイディアは浮かばないけど、誰も来ないような上映場所を強引に確保するよりも、少しでも資本と人力を一作品に集約させて、それなりに固定客が来るアート系シアターで上映できる作品を作った方がいいんじゃなかろうか。
…と言いつつも、負のオーラを「どろ~ん」と黒く放っていた絶望の館『シネマル』が消えたことは、ちょっと寂しくもあり、哀しくもあるのだった…
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