Vol.343 子猫たちは今…『써니/Sunny/サニー』 [韓国映画]
セレブな主婦生活を送っているアラフォーのナミ(ユ・ホジョン)は、偶然、母が入院している病院で、学生時代の同級生ジュナ(チン・ヘギョン)と再会する。
二人はかつて「サニー」という七人からなるガールズグループに属し、暴れまわっていた仲だった。
だが、今のチュンファは病で余命幾ばくもない。
そこで「サニー」の元メンバー七人を探し出し、再会することを企てるが…
2008年、『過速スキャンダル』でセンセーショナルなメジャーデビューを果たしたカン・ヒョンチョルの新作『써니/Sunny/サニー』は、5月に公開された韓国映画にパッとした作品がなかったこともあってか、公開以来、500万人(※)を超える大ヒットになっている。
(※2011年6月25日現在)
前作に比べるといささか寂しい動員数だが、家族映画として、デートムービーとして、年齢を超えて誰でも、そこそこ楽しめる好編だ。
今回の作品には『過速スキャンダル』のような巧妙さはなく、むしろ拙くて不安定、1980年代を再現した美術や衣装、小道具類も凝ってはいるが、決してリアルではない。
しかし、その誇張された極彩色のあざとい世界観こそ、この作品があくまでも現実を投影した「追憶の脳内ファンタジー」に過ぎないことを逆に訴えているようにも見える。
人間ドラマについても同様で、独特な「わざとらしさ」に違和感を覚えた人もいたとは思う。
それが中年男性監督が描くところの女性像の限界、という言い方もできるだろうが、映画全編を彩る病的ともいえそうな朗らかさと脈動感、そして、ちょっぴりスパイスを効かせた哀愁は、いかにも韓国らしい映画であって、結構、日本でもウケそうだ。
物語は、成人し結婚し、母になったナミが、かつての仲間を探す様子に、学生時代の思い出をフラッシュバックさせて描く構成になっている。
そこには、軍事政権下の韓国が暗い時代だけではなく、今よりも平等で、絆は熱く濃く、どの階層の人々も輝ける豊かな未来を夢見て、無邪気に前向きだったことが描かれていて、一種の哀愁と憧れも伝わってくる。
それは日本で一般的に思い描かれる「悲しい韓国今昔物語」とは、ちょっと異なるものかもしれない。
この作品を観ていて、どうしても思い出してしまったのが、名作『子猫をお願い/고양이를 부탁해』(2001)だ。
ペ・ドウナやオク・ジヨンらが演じた、少女以上大人未満の青春群像に、サニーの少女たちを重ねざるをえなかった。
『子猫をお願い』は『サニー』とは、やや異なった時代を描いた作品だが、監督のチョン・ジェウンも映画に登場するキャラクターも、『サニー』の女性たちとほぼ同じ年代である(単純計算すると若干上下差があるけど)。
彼女らもまた、『サニー』のヒロインたちと多くの点で同じものを見、感じて来たはず。
厳密にいえば、この二作品を並列に語ってしまうことは暴論だろうけど、『サニー』を観終わった後、この映画のヒロインたちこそ、『子猫をお願い』その前後を偶然にも描いていたのでは?ということなのである。
昔の仲間を捜し歩くミナたち、その過去と現在、そして友の遺影の前で踊る彼女たちこそ、『子猫をお願い』で故郷を捨てたテヒの姿でもあり、サムギョプサルの臭いを忌み嫌ったヘジュの姿でもあり、孤独な人生に荒れたジヨンの姿でもあって、「子猫たち」を巡る人生そのものに思えてならないのだった。
二人はかつて「サニー」という七人からなるガールズグループに属し、暴れまわっていた仲だった。
だが、今のチュンファは病で余命幾ばくもない。
そこで「サニー」の元メンバー七人を探し出し、再会することを企てるが…
2008年、『過速スキャンダル』でセンセーショナルなメジャーデビューを果たしたカン・ヒョンチョルの新作『써니/Sunny/サニー』は、5月に公開された韓国映画にパッとした作品がなかったこともあってか、公開以来、500万人(※)を超える大ヒットになっている。
(※2011年6月25日現在)
前作に比べるといささか寂しい動員数だが、家族映画として、デートムービーとして、年齢を超えて誰でも、そこそこ楽しめる好編だ。
今回の作品には『過速スキャンダル』のような巧妙さはなく、むしろ拙くて不安定、1980年代を再現した美術や衣装、小道具類も凝ってはいるが、決してリアルではない。
しかし、その誇張された極彩色のあざとい世界観こそ、この作品があくまでも現実を投影した「追憶の脳内ファンタジー」に過ぎないことを逆に訴えているようにも見える。
人間ドラマについても同様で、独特な「わざとらしさ」に違和感を覚えた人もいたとは思う。
それが中年男性監督が描くところの女性像の限界、という言い方もできるだろうが、映画全編を彩る病的ともいえそうな朗らかさと脈動感、そして、ちょっぴりスパイスを効かせた哀愁は、いかにも韓国らしい映画であって、結構、日本でもウケそうだ。
物語は、成人し結婚し、母になったナミが、かつての仲間を探す様子に、学生時代の思い出をフラッシュバックさせて描く構成になっている。
そこには、軍事政権下の韓国が暗い時代だけではなく、今よりも平等で、絆は熱く濃く、どの階層の人々も輝ける豊かな未来を夢見て、無邪気に前向きだったことが描かれていて、一種の哀愁と憧れも伝わってくる。
それは日本で一般的に思い描かれる「悲しい韓国今昔物語」とは、ちょっと異なるものかもしれない。
この作品を観ていて、どうしても思い出してしまったのが、名作『子猫をお願い/고양이를 부탁해』(2001)だ。
ペ・ドウナやオク・ジヨンらが演じた、少女以上大人未満の青春群像に、サニーの少女たちを重ねざるをえなかった。
『子猫をお願い』は『サニー』とは、やや異なった時代を描いた作品だが、監督のチョン・ジェウンも映画に登場するキャラクターも、『サニー』の女性たちとほぼ同じ年代である(単純計算すると若干上下差があるけど)。
彼女らもまた、『サニー』のヒロインたちと多くの点で同じものを見、感じて来たはず。
厳密にいえば、この二作品を並列に語ってしまうことは暴論だろうけど、『サニー』を観終わった後、この映画のヒロインたちこそ、『子猫をお願い』その前後を偶然にも描いていたのでは?ということなのである。
昔の仲間を捜し歩くミナたち、その過去と現在、そして友の遺影の前で踊る彼女たちこそ、『子猫をお願い』で故郷を捨てたテヒの姿でもあり、サムギョプサルの臭いを忌み嫌ったヘジュの姿でもあり、孤独な人生に荒れたジヨンの姿でもあって、「子猫たち」を巡る人生そのものに思えてならないのだった。
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