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Vol.427 九老、じゃなくて乙支路アリラン 『嘆きのピエタ』 [韓国映画]

 『피에타(嘆きのピエタ)』を日本で観る。

 この映画については既に山のように優れた紹介がなされているから私がいうべきことは何もないのだけど、いつもの作風から脂ぎったものが抜け落ち、すっかり枯れて落ち着いた、というのが映画を観た後の実直な感想だ。

 でも、考えてみれば김기덕も既に映画クリエイターとして10年選手、なんやかんやで韓国映画界で一派閥の親分たる立場になって久しいわけで、枯れて当然かもしれない。

 この『피에타』で特徴的なことはソウル・江北にある清渓川に沿って拡がる乙支路辺りの界隈を舞台にしていることだろう。
 このチープな界隈がなかなか魅力的な映画的光景になっている。

 ここら辺は이명박前大統領が爆進した서울市長時代から今に至るまで、再開発から取り残されてしまったところなので昔から変わらない風景が続いているように見えるが、相対的にはどんどん劣化し続けている場所でもあって、込み入った裏路地を歩いているとかつてのエネルギーは既になく、「寂れたな…」と思うことがよくある。
 鐘路一帯から活気が失われていることもそれに拍車をかけている。
 
 結果、この界隈に残らざるをえないのは『피에타(嘆きのピエタ)』で描かれたような無間地獄に陥った人々なのだろうか、などと思ってしまうのである。
 劇中、ミュージシャンになることを断念した男が登場するけど、冒頭の伏線と併せて、彼らが若いことは象徴的だ。
 夢に挫折し、第二の人生を始めるために場末の町工場に流れて来たとも読める訳だが、これもまた外国人には見え難い韓国の現実かもしれない。
 工場で働きながら音楽活動をしているアーティストとしては연영석が有名だけど(今もそうなのだろうか?)、清渓川沿いの工場街とは、街中を流しているタクシーと並んで、夢で喰えない人びとを受け止める役割をはたしているのだろうか、なんて考えてしまう。

 映画の最後に出てくる駄菓子を軽トラックで売りながら糊口を凌いでいる女性もそうだ。
 幹線道路に沿って車で行商という韓国でよく見かけた風景がそこに重なるのだけど、この手の商売は不景気になると増えると知人が語っていた言葉を思い出す。
 開店資金が安く済み倒産品を仕入れることで比較的元手がかからず始められるからだという。
 ポン菓子商売も似たようなものなのかもしれない。

 かつて김기덕作品といえば、脂ぎった情念がビチャビチャと飛び散り、貧しい階層を描きつつも「社会派」という形容から超越した映画というのが私の印象だったけど、月日を経て脂分が抜けたら普通の社会派になっていたのが『피에타(嘆きのピエタ)』だったのかもしれない。
 ちょっとだけ独立映画時代の今井正作品を連想させる作風になっていたのも意外なのであった…

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新作『뫼비우스』は韓国で公開出来る、出来ないでモメモメ中ですが、김기덕式プロモーションの一端だったらイヤです…


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