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Vol.497 集う [韓国生活]

 最近、ソウルを訪れるたびに知り合いに呼びかけて、「某監督の集い」というのを開いている。
 と言っても別に大したことをやっている訳ではなく、某映画監督を囲んで皆グダグタと酒を飲みながら最近観た映画の話だとか業界の噂だとか、その他どうでもいいネタを話しているだけだ。
 集まる人々は様々なのでお気軽な「異業種交流会」の側面もある。

 こうしたグダグダな集まりの一番よいところは韓国側のナマ声を聞けることだろう。
 時々日韓問題を振ってみたりするけど、余計なフィルターを通さない意見を交わせることはいいことだし、何よりもこの集いを通して韓国人同士が新しいチャンスを見出してくれれば幸いだと思っている。

 韓国で難しいことの一つに複数の友人・知人を作ることがある。
 一人、二人はまあいいとして、それ以上の人脈を拡げるには想像以上にコネが重要かつ必要だったりするし、自分が外国人であることを積極的に利用しなければいけない場面も多い。
 これは日本人にとって結構シンドい。

 あくまでも筆者の見解だが、韓国はいつでもどこでも、そして子供から老人まで順列づけ(マウンティング)を求めてくるし、どの勢力に属しているかを非常に重要視する社会なので、一見お気楽な友達関係に見えても、その裏側ではヒエラルキーを巡る争いが絶えずドロドロと渦巻いていたりする。

 だから、年齢、性別、肩書、学歴、出身地、縁故などの条件が恒常的に個々人の交流を妨げているし、友人・知人関係も「似たもの同士、都合の良いもの同士」で完結してしまい隘路に陥りやすい。
 日本人が韓国人側の発言に個性やオリジナリティを感じにくいのは、そういったことが大きく関係しているのではないだろうか。

 もちろん、そういう韓国的な「枠=呪縛」から逃れて自由で多様な生き方を目指している人達もいるが、そういう人たちと「韓流好き日本人」が知り合う機会はあまりないと思う。
 共通のスポーツや趣味の分野で知人・友人を作るのも良い方法だが、これはこれで他グループとの敵対関係に巻き込まれる可能性がある。

 だから、韓国において付き合う先が特定の属性や階層に限られてしまうのは仕方ないとは思うのだけど、そんな状況で知人・友人の輪を拡げる有効な方法とは、おそらく「誰かに誰かを紹介してもらう」というやり方なのである。
 実際、他の日本人を見ていても「紹介、紹介、紹介、これまた紹介」で韓国内における友達の輪を広げている。

 ただ、この「紹介作戦」の難しいところは、「韓国のTVドラマが大好き!」だとか「韓国人の恋人が欲しい!」と言った、ありがちな枠を自発的に超える努力をしないと輪の展開が容易ではないことだ。
 そして、それをやらないとタチの良い韓国の知人・友人を得ることは難しいと思うのである。

 また、韓国の人々は往々にして飽きっぽく薄情と言えるくらい現実主義なところがあるから、相手との関係が利益(=お金)にならないと見るや、すぐに離れてしまう事は珍しくない。
 しかし、これもまた自虐的歴史観を植え付けられた日本人にとっては理解し難いことなのかもしれず、いつまでも相手との関係を「友情」と勘違いし続けていたりする。

 歳を重ねるたびに韓国というものがシンドく疲れる場所へと変わってゆく理由は、そんなところにあるのかもしれない。

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ソーシャル・ネットワークに勤しむ某監督氏

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