Vol.279 若手を観に行ったら…オヤジが輝いていたという話『笑いの大学/웃음의 대학』 [韓国俳優]
2009年、韓国における演劇ファンの間で話題になり、大人気だったのが、三谷幸喜の『笑いの大学/웃음의 대학』だ。
チケットがなかなか入手できなかったのは、出演陣が豪華だったこともあるだろうけど、三谷幸喜という人のブランド力は、日本で想像する以上に韓国では人気があり、すでに同じスタッフで別の作品が、2010年に上演されることが決まっている。
韓国・ソウルは、元々、演劇が盛んなところ。
昔から日本の作品は結構リスペクトされ、日本に留学する演劇人はそれなりにおり、日本語に堪能な人も多い。
『笑いの大学』が恵化にある東崇劇場で2009年春に上演された時、主演にファン・ジョンミン(황정민)が配されていたので、ぜひ観に行きたかったのだけど、すでにチケットが手に入らない状態、断念せざるをえなかった(ちなみに三谷幸喜は、東崇劇場前で日本の番組収録をやっていた)。
それからしばらく経った頃。
秋に『笑いの大学』が再上演される、というニュースが届く。
しかも、主演にはあのポン・テギュ(봉태듀)が配されているというではないか。
HPを調べてみると、上演場所はイダ劇場になり、期間は10/2から1/31までとなっている(ソウル以外も含むスケジュールなので注意してください)。
という訳で、11月の香盤表が出たのを見計らい、チケットを予約、大学路まで赴いたのだった。
作家役をポン・テギュ、検察官役をソン・ヨンジャン(송영창)が演じ、黒子役でもうひとり配役されてはいるが、実質、二人だけの舞台。
戦時中の日本を舞台にしているので、そこら辺のアレンジをどうやっているのか興味があったけど、目立った韓国化への変更はなく、台詞の日本人名もそのままだ。
原作に忠実なのは、韓国における演劇の、文化的ステータスの高さからくるものかもしれない。
『笑いの大学』は、セリフの応酬が見どころの舞台なので、演じる側も観る側も気が抜けない。
だから、俳優の演技を味わう、というよりも、最初から最後まで、演出も俳優も観客も、全員がシナリオに振り回された余裕のない舞台、という印象が強かった。
作家を演じたポン・テギュという俳優は、どちらかというと、三枚目のイメージが強く、顔立ちが妙なこともあって、舞台に出ること自体が意外だったのだけど、考えてみれば、彼は若手メジャー俳優の実力派、複数の映画では主演を張っている。
彼は、日本でも公開された『浮気な家族』で、ムン・ソリ(문소리)演じるエロおばさんに誘惑される高校生役で一躍有名になった。
ポン・テギュがどういう経緯で俳優の道を歩むようになったかわからないけど、彼の仕事ぶりを観ていると「実は正統派なんじゃないかな?」と考えたりする。
ライブで観るポン・テギュは、すらりとして均整がとれた体つき、そこそこ大柄だが、顔が小さいので、華奢に見える。
そして、美肌で色白なのが印象的。
『笑いの大学』は、演じる側にとって、かなり難しい舞台だと思うけど、彼は目立ってとちることなく、そつなくこなしていた。
ただし、演技は繊細過ぎて、舞台向けではなく、インパクトが弱い。
もっと場数を踏めば、という課題と期待を今後に残した。
予想外に素晴らしかったのが、検察官演じたソン・ヨンジャン。
ポン・テギュ目当てに行ったら、真の宝はソン・ヨンジャンにあった、という感じで、舞台ならではの発見だろう。
昔からちょこ、ちょこと映画には、端役で出ているが、基本は舞台の人。
最近では『サースト~渇き~』で、キム・オクビンに、首をたたき折られるオッサンを演じていたことが記憶に新しい。
戯曲のせわしなさに負けないで、堂々と自分の個性を演技に乗せて役をこなしている。
立ち振る舞いはまさにプロ俳優そのもので、その迫力と貫録と存在感に、残念ながら新鋭ポン・テギュも全く歯が立たない、といった感じだ。
ファン・ジョンミンが出ていた時も、遥かに彼を凌駕していたというが、それは納得できる話。
職業人としての俳優を絵に描いたような、見事な仕事ぶりだ。
こういう舞台を観るたびに、韓国俳優界の奇妙な奥深さを感じるけど、そういった韓国的良さが、今の日本の「韓国=韓流」な環境では、全然伝わらないことが残念である。
「スターと俳優は違う。俳優は演じることが仕事だが、スターはスターであることが仕事だ」
これは知人、某俳優氏の言葉だが、ちょっと名言かもしれない。
韓国映画市場の変質は、映画スターを、再びTVドラマに引き戻すという現象を生み出した。
同じように、舞台に戻る人たちも、増え始めているような気もする。
本来の志が舞台にあるのならば、そのことを、ファンとして歓迎したいと思う。
チケットがなかなか入手できなかったのは、出演陣が豪華だったこともあるだろうけど、三谷幸喜という人のブランド力は、日本で想像する以上に韓国では人気があり、すでに同じスタッフで別の作品が、2010年に上演されることが決まっている。
韓国・ソウルは、元々、演劇が盛んなところ。
昔から日本の作品は結構リスペクトされ、日本に留学する演劇人はそれなりにおり、日本語に堪能な人も多い。
『笑いの大学』が恵化にある東崇劇場で2009年春に上演された時、主演にファン・ジョンミン(황정민)が配されていたので、ぜひ観に行きたかったのだけど、すでにチケットが手に入らない状態、断念せざるをえなかった(ちなみに三谷幸喜は、東崇劇場前で日本の番組収録をやっていた)。
それからしばらく経った頃。
秋に『笑いの大学』が再上演される、というニュースが届く。
しかも、主演にはあのポン・テギュ(봉태듀)が配されているというではないか。
HPを調べてみると、上演場所はイダ劇場になり、期間は10/2から1/31までとなっている(ソウル以外も含むスケジュールなので注意してください)。
という訳で、11月の香盤表が出たのを見計らい、チケットを予約、大学路まで赴いたのだった。
作家役をポン・テギュ、検察官役をソン・ヨンジャン(송영창)が演じ、黒子役でもうひとり配役されてはいるが、実質、二人だけの舞台。
戦時中の日本を舞台にしているので、そこら辺のアレンジをどうやっているのか興味があったけど、目立った韓国化への変更はなく、台詞の日本人名もそのままだ。
原作に忠実なのは、韓国における演劇の、文化的ステータスの高さからくるものかもしれない。
『笑いの大学』は、セリフの応酬が見どころの舞台なので、演じる側も観る側も気が抜けない。
だから、俳優の演技を味わう、というよりも、最初から最後まで、演出も俳優も観客も、全員がシナリオに振り回された余裕のない舞台、という印象が強かった。
作家を演じたポン・テギュという俳優は、どちらかというと、三枚目のイメージが強く、顔立ちが妙なこともあって、舞台に出ること自体が意外だったのだけど、考えてみれば、彼は若手メジャー俳優の実力派、複数の映画では主演を張っている。
彼は、日本でも公開された『浮気な家族』で、ムン・ソリ(문소리)演じるエロおばさんに誘惑される高校生役で一躍有名になった。
ポン・テギュがどういう経緯で俳優の道を歩むようになったかわからないけど、彼の仕事ぶりを観ていると「実は正統派なんじゃないかな?」と考えたりする。
ライブで観るポン・テギュは、すらりとして均整がとれた体つき、そこそこ大柄だが、顔が小さいので、華奢に見える。
そして、美肌で色白なのが印象的。
『笑いの大学』は、演じる側にとって、かなり難しい舞台だと思うけど、彼は目立ってとちることなく、そつなくこなしていた。
ただし、演技は繊細過ぎて、舞台向けではなく、インパクトが弱い。
もっと場数を踏めば、という課題と期待を今後に残した。
予想外に素晴らしかったのが、検察官演じたソン・ヨンジャン。
ポン・テギュ目当てに行ったら、真の宝はソン・ヨンジャンにあった、という感じで、舞台ならではの発見だろう。
昔からちょこ、ちょこと映画には、端役で出ているが、基本は舞台の人。
最近では『サースト~渇き~』で、キム・オクビンに、首をたたき折られるオッサンを演じていたことが記憶に新しい。
戯曲のせわしなさに負けないで、堂々と自分の個性を演技に乗せて役をこなしている。
立ち振る舞いはまさにプロ俳優そのもので、その迫力と貫録と存在感に、残念ながら新鋭ポン・テギュも全く歯が立たない、といった感じだ。
ファン・ジョンミンが出ていた時も、遥かに彼を凌駕していたというが、それは納得できる話。
職業人としての俳優を絵に描いたような、見事な仕事ぶりだ。
こういう舞台を観るたびに、韓国俳優界の奇妙な奥深さを感じるけど、そういった韓国的良さが、今の日本の「韓国=韓流」な環境では、全然伝わらないことが残念である。
「スターと俳優は違う。俳優は演じることが仕事だが、スターはスターであることが仕事だ」
これは知人、某俳優氏の言葉だが、ちょっと名言かもしれない。
韓国映画市場の変質は、映画スターを、再びTVドラマに引き戻すという現象を生み出した。
同じように、舞台に戻る人たちも、増え始めているような気もする。
本来の志が舞台にあるのならば、そのことを、ファンとして歓迎したいと思う。
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