Vol.290 履帯の下で/『戦争記念館』を行く [韓国生活]
久々に龍山にある『戦争記念館』に行ってみる。
出来たばかりの頃に、二回ほど訪れただけなので、ホント久しぶり。
ここは、それほど古い施設ではないが、結構充実した軍事博物館なので一部日本人の間では非常に有名だ。
その日、ソウルは薄く雪が降り積もり、街はねずみ色に薄汚れ、道は滑り易くで、大変危険だった。
パウダースノーなので、朝日に輝きながら降り積もる様子は美しいけど、実は後が厄介だ。
湿り気がないので、やたら滑る上、中国本土から流れてくる粉じんの影響か、溶けるとドス黒いインクみたいになる。
着るものに付いたら、シミになって、なかなか落ちない。
韓国・国防省の反対側にある、懐かしの『戦争記念館』に着いてみると、記憶よりも、こじんまりとしている。
敷地内には、家族連れが文字通り、ウジャウジャ来ていて、手軽な家族団らんの場、といったところだろうか。
以前、改装が行われたことは知っていたが、随分館内のイメージは変わり、ロビーは開放スペース、音楽会なんかが開かれている。
半地下の一階は子供向けアミューズメント施設になっていて、かつて鎮座していた試作型K1戦車や、北朝鮮の潜入用ボートは外に追い出されて野ざらし状態。
開館から約15年を経て、今の韓国社会では、その意味をなくしつつある博物館なのかもしれない。
内部展示物も「北朝鮮の脅威」だとか「ベトナム戦争に貢献」みたいな国策ギラギラな方向がだいぶ穏やかになり、戦争の悲惨さをより強調する内容が濃くなっている。
昔は、韓国製K1A機関銃(というか小銃というか)の開発について、かなり詳しい展示がされていたんだけど、それがなくなっていたのが残念だった。
かつて白木が美しかった亀甲船や神機箭も飴色になっていて、時の経過を感じさせる。
野外展示物はさらに増え、中・重火器類の展示が多くなったのかな?
旧ソビエト製の高射砲だとか、機関砲といった珍しいものが幾つもある。
一つだけ、旧日本軍の野砲が置いてあるが、車輪が大八車していて、いかにも日本製といったところがご愛敬。
こうした兵器を見て、反射的に顔をしかめ、研究や展示することを口汚く批判する人たちもいるが、そういう方々に限って、歴史に全然関心がなかったりする(そして現実離れした友愛・平和論を他人に強要する)。
そして、兵器とは、設計した国や社会の特性が赤裸々に浮かび上がる、明らかな歴史の証人でもあって、「膝をつき合わせて話し合えば、なんでも解決」では済まない、人の業を象徴するものではないかと思うのであった。
ここには、旧ソビエト製T34/85が二台ある。
説明によれば、朝鮮戦争勃発時、先陣切って突入してきた北朝鮮軍の車両ということなっていて、それが本当なら、かなりの歴史的価値がある、ということになる。
車体の作りは意外に丁寧で、なかなか洗練されている印象を受け、当時の実用車両としては、かなり、よくできた設計だったんじゃないだろうか。
これに比べれば、アメリカのM4シャーマンなんて、まるで土蔵だ。
でも、「先陣切って~」ということは、その履帯の下で何人もの人たちが、挽きつぶされて、大量の血を流した、ということでもあり、そういえば、蓮池 薫氏も著作で同じようなことを書いていたけど、なんともいえない複雑な悲しみと無惨さを象徴している事象でもある。
今は、油を抜かれ、ただ沈黙するだけの、綺麗に手入れをされた古い戦車たちからは、何の怨念も業も感じられず、二度と動くことのない、鉄のオブジェでしかない。
そして、そのまわりで無邪気にはしゃぐ親子連れの歓声を聞いていると、なにかシュールな威厳すら漂う風景でもあるのだった。
出来たばかりの頃に、二回ほど訪れただけなので、ホント久しぶり。
ここは、それほど古い施設ではないが、結構充実した軍事博物館なので一部日本人の間では非常に有名だ。
その日、ソウルは薄く雪が降り積もり、街はねずみ色に薄汚れ、道は滑り易くで、大変危険だった。
パウダースノーなので、朝日に輝きながら降り積もる様子は美しいけど、実は後が厄介だ。
湿り気がないので、やたら滑る上、中国本土から流れてくる粉じんの影響か、溶けるとドス黒いインクみたいになる。
着るものに付いたら、シミになって、なかなか落ちない。
韓国・国防省の反対側にある、懐かしの『戦争記念館』に着いてみると、記憶よりも、こじんまりとしている。
敷地内には、家族連れが文字通り、ウジャウジャ来ていて、手軽な家族団らんの場、といったところだろうか。
以前、改装が行われたことは知っていたが、随分館内のイメージは変わり、ロビーは開放スペース、音楽会なんかが開かれている。
半地下の一階は子供向けアミューズメント施設になっていて、かつて鎮座していた試作型K1戦車や、北朝鮮の潜入用ボートは外に追い出されて野ざらし状態。
開館から約15年を経て、今の韓国社会では、その意味をなくしつつある博物館なのかもしれない。
内部展示物も「北朝鮮の脅威」だとか「ベトナム戦争に貢献」みたいな国策ギラギラな方向がだいぶ穏やかになり、戦争の悲惨さをより強調する内容が濃くなっている。
昔は、韓国製K1A機関銃(というか小銃というか)の開発について、かなり詳しい展示がされていたんだけど、それがなくなっていたのが残念だった。
かつて白木が美しかった亀甲船や神機箭も飴色になっていて、時の経過を感じさせる。
野外展示物はさらに増え、中・重火器類の展示が多くなったのかな?
旧ソビエト製の高射砲だとか、機関砲といった珍しいものが幾つもある。
一つだけ、旧日本軍の野砲が置いてあるが、車輪が大八車していて、いかにも日本製といったところがご愛敬。
こうした兵器を見て、反射的に顔をしかめ、研究や展示することを口汚く批判する人たちもいるが、そういう方々に限って、歴史に全然関心がなかったりする(そして現実離れした友愛・平和論を他人に強要する)。
そして、兵器とは、設計した国や社会の特性が赤裸々に浮かび上がる、明らかな歴史の証人でもあって、「膝をつき合わせて話し合えば、なんでも解決」では済まない、人の業を象徴するものではないかと思うのであった。
ここには、旧ソビエト製T34/85が二台ある。
説明によれば、朝鮮戦争勃発時、先陣切って突入してきた北朝鮮軍の車両ということなっていて、それが本当なら、かなりの歴史的価値がある、ということになる。
車体の作りは意外に丁寧で、なかなか洗練されている印象を受け、当時の実用車両としては、かなり、よくできた設計だったんじゃないだろうか。
これに比べれば、アメリカのM4シャーマンなんて、まるで土蔵だ。
でも、「先陣切って~」ということは、その履帯の下で何人もの人たちが、挽きつぶされて、大量の血を流した、ということでもあり、そういえば、蓮池 薫氏も著作で同じようなことを書いていたけど、なんともいえない複雑な悲しみと無惨さを象徴している事象でもある。
今は、油を抜かれ、ただ沈黙するだけの、綺麗に手入れをされた古い戦車たちからは、何の怨念も業も感じられず、二度と動くことのない、鉄のオブジェでしかない。
そして、そのまわりで無邪気にはしゃぐ親子連れの歓声を聞いていると、なにかシュールな威厳すら漂う風景でもあるのだった。
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