Vol.347 教大駅を行く Part②/やや南部ターミナル寄り編 [韓国生活]
(前承)
「教大駅」裏通りを経由して盤浦大路に出てみると、立ち並ぶ建物は一新されて、風景は大きく変貌していた。
通り向かいにあったラジコン専門店は既に無い。
昔の一軒家をかたどった食堂があった場所には、巨大なインテリジェントビルがなんの情緒もなく建っていた。
その「一軒家」食堂は、昔の民家をテーマにした一種のアミューズメント施設で、インテリアが凝っていた。
庭にはカボチャが生い茂り、ウサギまで飼われていたのだが、採算が合わなかったのだろうか、あっという間にショボくなり、今では跡形も無い。
街並みが変貌した盤浦大路に沿って南部ターミナル側へ渡る。
ここら辺はラブホテルが乱立し、大きなゴミ集積場があって、お腹に腫瘍をぶら下げた犬が駆け回る、場末臭漂う汚い場所だった。
しかし、かつてアディダス・コリアがあり、BMWのディラーがあり、日本人ビジネスマン御用達のお高いホテルがありと、緩急激しい混沌とした一角でもあった。
まず、見に行ったのが、全斗煥元大統領が所有していたレストハウスだ。
通りからすぐ裏にある、この立派な建物は、初めて見つけた時も人がいるのか、いないのか分からない様子だったが、すでに廃屋状態。
幽霊が出そうな雰囲気が漂っていて、日本だったら、その手の「ヤバイ場所」に指定されて、ヤンキーの溜り場になりそうだ。
正門に掲げられた看板が哀しく失笑させられる。
おそらく、普通のレストハウスとして経営をしていたのかな。
そこから、かつて私が通っていた会社があった雑居ビルはすぐである。
インディーズ映画の製作者たちが集まり、学校の部室のような雰囲気の事務所ではあったが、結局は韓国映画のダメ集団だった。
今では、そのビルは建て壊し中の悲惨な醜態をさらし、周りにはゴミが沢山積み重なっている。
一帯は再開発地区になっているようで、近隣のビルも戸口にベニア板が打ち付けられていた。
かつて、すぐ向かいにあった貧乏くさい食堂は、鶏の水炊きが美味しかった。
そこでお昼を食べながら窓の外を眺めていると、近所のあんま屋で働いている女性たちがガウンにサンダルという姿で、昼食を買いに行く風景があった。
隣の小さな雑貨屋は、いつも客がおらず、中では店主らしき老人がいつもギターを孤独にかき鳴らす。
もしかしたら元ミュージシャンだったのかもしれない。
脇の狭い通りに出れば、雷魚料理専門店があった。
ここで出すマッコルリは、今もソウルで飲むことが難しいトウモロコシの地マッコルリであり、つけあわせの海苔も美味しい店だった。
しかし、食堂も、あんま屋も、雑貨屋も、雷魚料理屋も、すでにない。
今の風景は、記憶が鮮明な分、シュールな幻のようだ。
ここでの暮らしは短かったけど、一生記憶に残り続けるだろう。
ほんの数年前だと思っていたことが十年前になり、二十年前のことになって行く。
それは韓国の「リアル」がファンタジーと化してしまうことでもあり、泣けてくる情景でもあるだった…
教大駅の裏通り。かつては焼肉屋がたくさんありました…
「教大駅」裏通りを経由して盤浦大路に出てみると、立ち並ぶ建物は一新されて、風景は大きく変貌していた。
通り向かいにあったラジコン専門店は既に無い。
昔の一軒家をかたどった食堂があった場所には、巨大なインテリジェントビルがなんの情緒もなく建っていた。
その「一軒家」食堂は、昔の民家をテーマにした一種のアミューズメント施設で、インテリアが凝っていた。
庭にはカボチャが生い茂り、ウサギまで飼われていたのだが、採算が合わなかったのだろうか、あっという間にショボくなり、今では跡形も無い。
街並みが変貌した盤浦大路に沿って南部ターミナル側へ渡る。
ここら辺はラブホテルが乱立し、大きなゴミ集積場があって、お腹に腫瘍をぶら下げた犬が駆け回る、場末臭漂う汚い場所だった。
しかし、かつてアディダス・コリアがあり、BMWのディラーがあり、日本人ビジネスマン御用達のお高いホテルがありと、緩急激しい混沌とした一角でもあった。
まず、見に行ったのが、全斗煥元大統領が所有していたレストハウスだ。
通りからすぐ裏にある、この立派な建物は、初めて見つけた時も人がいるのか、いないのか分からない様子だったが、すでに廃屋状態。
幽霊が出そうな雰囲気が漂っていて、日本だったら、その手の「ヤバイ場所」に指定されて、ヤンキーの溜り場になりそうだ。
正門に掲げられた看板が哀しく失笑させられる。
おそらく、普通のレストハウスとして経営をしていたのかな。
お化け屋敷状態の旧レストハウス
そこから、かつて私が通っていた会社があった雑居ビルはすぐである。
インディーズ映画の製作者たちが集まり、学校の部室のような雰囲気の事務所ではあったが、結局は韓国映画のダメ集団だった。
今では、そのビルは建て壊し中の悲惨な醜態をさらし、周りにはゴミが沢山積み重なっている。
一帯は再開発地区になっているようで、近隣のビルも戸口にベニア板が打ち付けられていた。
かつて、すぐ向かいにあった貧乏くさい食堂は、鶏の水炊きが美味しかった。
そこでお昼を食べながら窓の外を眺めていると、近所のあんま屋で働いている女性たちがガウンにサンダルという姿で、昼食を買いに行く風景があった。
隣の小さな雑貨屋は、いつも客がおらず、中では店主らしき老人がいつもギターを孤独にかき鳴らす。
もしかしたら元ミュージシャンだったのかもしれない。
脇の狭い通りに出れば、雷魚料理専門店があった。
ここで出すマッコルリは、今もソウルで飲むことが難しいトウモロコシの地マッコルリであり、つけあわせの海苔も美味しい店だった。
しかし、食堂も、あんま屋も、雑貨屋も、雷魚料理屋も、すでにない。
今の風景は、記憶が鮮明な分、シュールな幻のようだ。
ここでの暮らしは短かったけど、一生記憶に残り続けるだろう。
ほんの数年前だと思っていたことが十年前になり、二十年前のことになって行く。
それは韓国の「リアル」がファンタジーと化してしまうことでもあり、泣けてくる情景でもあるだった…
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