Vol.373 なんてミニマムなミュージカル!『눈의 여인(雪の女)』 [韓国カルチャー]
大学路の裏路地にある、その小劇場は地下にあった。
えらく分かりにくい。
ここら辺は街並が古いままなので、なおさらである。
劇場に入って驚いた。
あまりにも狭いのだ。
小劇場とは概してそういうものだが、小学校の教室よりも狭いんじゃないのか!?みたいなその空間で果たして、ミュージカルが上演できるのか?とも思ってしまう。
ペラペラの折りたたみ椅子が隙間なく並べられ、座席数は、せいぜい60~70席程度だろう。
でも、満席だ。
この盛況ぶりもまた、オドロキだった。
なぜ、この芝居を観に行ったかといえば、知人の俳優氏が出演していたからである。
以前から、ちょこちょこと、メジャー映画に端役で出てもいて、俳優としては、立派な中堅だ。
だが、活動のスタンスはあくまでも舞台。
映画では実力がよくわからないので、一度舞台での彼を観てみたかったのだ。
見かけが厳ついので、怖い人やら中国人(!?)役を映画でふられちゃう彼だが、実際はインテリの紳士かつ、おちゃめだがノーブルな男である。
育ちの良さを感じさせる人柄と古風な顔立ちは、朝鮮王朝時代に権力闘争を嫌って田舎に引きこもった学者連中や、傾いた若い両班たちを連想させる。
今回はミュージカル、ということなので、一体どんな芝居を見せてくれるか、想像がつかない(でも、歌ってくれたら嬉しいな~)
そんな訳で、『눈의 여인』を観に行くことになったのだが、まずは芝居の中身よりも、劇場の小ささに驚かされることとなった。
物語は、ヒロインが絶唱した後、ピストルで頭を打ち抜く、という幕から始まる。
でも、端的に言ってしまうと、男女のせこい痴話。
大人になっても、男女関係に直面した途端、幼児化してしまう人間たちの姿を、それなりによく捉えていた戯曲だったが、大時代的な内容でもある。
劇中劇としてアンデルセンの「雪の女王」が同時進行するようになっており、この古典を現代風にアレンジした意欲的な演劇、ということのようだ。
それで「눈의 여인=雪の女」という題名になっているんだろうけど、最後のオチを観て「ダジャレで雪の女かい!」と突っ込みを入れたくなった。
ミュージカルというよりも歌の場面が少し多い普通の演劇といった感じだが、まあ、こういうのもありなんだろう。
客席と舞台がとにかく近いので、観客としては俳優たちの緊張ぶりが、ビリビリと伝わって来るし、演じる側としても客の視線が間近で飛んでくるから、手が抜けない。
映画やTVは、どちらかというとスタッフと観客の化かし合い、睨み合いだと思うのだが、余計な仲介者を排した緊張感とライブ感覚あふれる小さな舞台は、俳優たちにとって、たまらない魅力なのかもしれない。
ただ、気になってしまったのは、幕間が丸見えなので、出番を待つ間、俳優たちの、例えば「次の段取りどうしよう~」みたいな、演技以外の生臭いその他がどうしても透けて見えてしまうことだった。
肝心の某俳優氏は残念ながら歌わなかった(残念!)
でも、腹黒い役をひょうひょうと柔軟に好演している。
映画では、演出側の問題か、ブツブツ切れてしまう演技が、ちょっと気になっていたのだが、舞台では打って変わって、軽快で伸びやかだ。
それは素の彼から受ける印象そのままでもある。
ルックスがルックスなので、映画でステレオ・タイプの役回りを振られてしまうことは、何事もワンパターンになりがちな韓国では仕方ないし、かといって、彼が日本の作品に抜擢されたり、もてはやされたりすることはあり得ないだろう。
だけど、私個人が映画を撮る機会があったなら、是非、出演して欲しいと、つくづく思うのであった。
えらく分かりにくい。
ここら辺は街並が古いままなので、なおさらである。
劇場に入って驚いた。
あまりにも狭いのだ。
小劇場とは概してそういうものだが、小学校の教室よりも狭いんじゃないのか!?みたいなその空間で果たして、ミュージカルが上演できるのか?とも思ってしまう。
ペラペラの折りたたみ椅子が隙間なく並べられ、座席数は、せいぜい60~70席程度だろう。
でも、満席だ。
この盛況ぶりもまた、オドロキだった。
なぜ、この芝居を観に行ったかといえば、知人の俳優氏が出演していたからである。
以前から、ちょこちょこと、メジャー映画に端役で出てもいて、俳優としては、立派な中堅だ。
だが、活動のスタンスはあくまでも舞台。
映画では実力がよくわからないので、一度舞台での彼を観てみたかったのだ。
見かけが厳ついので、怖い人やら中国人(!?)役を映画でふられちゃう彼だが、実際はインテリの紳士かつ、おちゃめだがノーブルな男である。
育ちの良さを感じさせる人柄と古風な顔立ちは、朝鮮王朝時代に権力闘争を嫌って田舎に引きこもった学者連中や、傾いた若い両班たちを連想させる。
今回はミュージカル、ということなので、一体どんな芝居を見せてくれるか、想像がつかない(でも、歌ってくれたら嬉しいな~)
そんな訳で、『눈의 여인』を観に行くことになったのだが、まずは芝居の中身よりも、劇場の小ささに驚かされることとなった。
物語は、ヒロインが絶唱した後、ピストルで頭を打ち抜く、という幕から始まる。
でも、端的に言ってしまうと、男女のせこい痴話。
大人になっても、男女関係に直面した途端、幼児化してしまう人間たちの姿を、それなりによく捉えていた戯曲だったが、大時代的な内容でもある。
劇中劇としてアンデルセンの「雪の女王」が同時進行するようになっており、この古典を現代風にアレンジした意欲的な演劇、ということのようだ。
それで「눈의 여인=雪の女」という題名になっているんだろうけど、最後のオチを観て「ダジャレで雪の女かい!」と突っ込みを入れたくなった。
ミュージカルというよりも歌の場面が少し多い普通の演劇といった感じだが、まあ、こういうのもありなんだろう。
客席と舞台がとにかく近いので、観客としては俳優たちの緊張ぶりが、ビリビリと伝わって来るし、演じる側としても客の視線が間近で飛んでくるから、手が抜けない。
映画やTVは、どちらかというとスタッフと観客の化かし合い、睨み合いだと思うのだが、余計な仲介者を排した緊張感とライブ感覚あふれる小さな舞台は、俳優たちにとって、たまらない魅力なのかもしれない。
ただ、気になってしまったのは、幕間が丸見えなので、出番を待つ間、俳優たちの、例えば「次の段取りどうしよう~」みたいな、演技以外の生臭いその他がどうしても透けて見えてしまうことだった。
肝心の某俳優氏は残念ながら歌わなかった(残念!)
でも、腹黒い役をひょうひょうと柔軟に好演している。
映画では、演出側の問題か、ブツブツ切れてしまう演技が、ちょっと気になっていたのだが、舞台では打って変わって、軽快で伸びやかだ。
それは素の彼から受ける印象そのままでもある。
ルックスがルックスなので、映画でステレオ・タイプの役回りを振られてしまうことは、何事もワンパターンになりがちな韓国では仕方ないし、かといって、彼が日本の作品に抜擢されたり、もてはやされたりすることはあり得ないだろう。
だけど、私個人が映画を撮る機会があったなら、是非、出演して欲しいと、つくづく思うのであった。
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