Vol.374 チャン・ジン今昔物語…? 『리턴 투 햄릿(リターン・トゥ・ハムレット)』 [韓国カルチャー]
地下鉄4号線『헤화』駅から徒歩で5分くらいの場所にある동숭アートセンター・동숭ホールに行く。
ここで2011年末から始まったイベント『연극열전4』の第一弾、장진演出の『리턴 투 햄릿』を観るためだ。
동숭アートセンターは마로니에公園脇にある、아르코芸術劇場と並んで、대학로界隈では大きく、かつ有名な劇場の一つであり、以前はアート系映画の上映なんかも行われていた。
上演される演目は、俳優조재현がディレクションを担当していることでも有名で、彼自身も、ここで舞台に立つことがある。
久しぶりにこの동숭アートセンター・동숭ホールに赴いたワケだけど、少し前に大改装が行われ、前とは打って変わって、なにやら立派な佇まいに変身していた。
この劇場はVIP席でなくとも座席が舞台に近く、お得感があり、奥行きもそこそこあるので、結構派手な演出にも耐える、なかなかいい劇場だ。
今回上演される『리턴 투 햄릿』は、장진のオリジナル戯曲というわけではないらしく、日本で誰かさんたちが騒ぐような有名俳優も出ていない。
장진といえば、日本でも固定ファンがいるくらい映画監督しては有名だが、その作品中で飛び交う言葉の渦は、韓国人ですら辟易するくらいなので、韓国語および韓国そのものにかなり精通していないと理解が難しい。
でも、日本における現代演劇に近いシュールさも持ち合わせていて、それが韓国で人気になっている理由の一つなのかもしれない。
『리턴 투 햄릿』が初演されたのは1998年の事だったという。
それはまさに、諸々の韓国映画&韓国ドラマに芸能人たちが外に向けてブレイクする寸前の頃だ。
当時、日本における장진のイメージといえば、アングラの舞台演出家兼戯曲家兼映画監督+ちょっと俳優も…といった感じで、彼のことを語れる人は、たぶん50人いなかったんじゃないだろうか。
そもそも「韓流」などという、タチの悪い疾病が日本で吹き荒れるなんて、誰も想像出来なかった時代である。
『리턴 투 햄릿』初演は、정재영に신하균、이문식…という、今では現実不可能に近いような豪華キャスティングで上演が行われたという。
だから、この『리턴 투 햄릿』という演目を、今、この劇場で上演することは、自身が有名になりすぎてしまった장진の、原点回帰だったのかもしれない。
장진の舞台や映画は一見あざといが、冷静に観れば、よく比較される日本の三谷幸喜よりも、実はリアリストではないのか?という気もする。
作品で描かれるのは市井の人々であり、普通の日常だ。
それを派手なレトリックやら、へんてこなキャラ続出作戦で、別の形にカモフラージュしているのに過ぎないのではないだろうか?
私が初めて장진の舞台を観たのは、色んな意味で有名な『택시 드리벌』だったけど、描くものは、巷の貧しい普通の人々だった。
『택시 드리벌』を観たのも、同じ동숭アートセンター、目的は「生정재영」だったのだが、戯曲は意外とリアル志向というか、決してハチャメチャばかりの内容ではなかった記憶がある。
夜中、タクシーに乗ると、本業はミュージシャンその他である運転手に出会うことは、韓国でも決して珍しくないが、『택시 드리벌』は、そうした業界人たちの「リアル」を写し取った舞台でもあったような気がする。
今回の『리턴 투 햄릿』も、ところどころ、장진らしいキッチュな演出や韓国ネタこそ出てくるが、地味なお話であり、そこには無常観すら漂う。
俳優や演出家という仕事は、仲間がいて、初めて成立する部分が大きい訳だけど、個々人そのものに商品価値が依存する職業でもある訳で、組織や会社勤めの立場に比べると、非常に孤独な仕事ではないかと、よく感じることがある。
そんな「リアル」を濃く内包した物語でもあったのだ。
この舞台で描かれたもう一つの事柄は、千秋楽を迎えた俳優たちの「不安」だろう。
俳優が千秋楽を迎えるということは、失業と失意の時であると共に、開放と期待の時でもあったりする。
『리턴 투 햄릿』で私が一番感じたことは、夢を糧にする生活の孤独さだった。
今回は、メジャーな演劇イベントの看板的演し物だから、出演者は皆いい俳優たちばかりだ。
ただ、そんな彼らの堅実な仕事ぶりを観ていると、どうしても장진という演出家は、男女共に「見た目」で俳優を選んでいる部分が結構あるんじゃなかろうか?とも思った。
共通する個性を選んだ結果、雰囲気や顔立ちが似てしまっているだけかもしれないけど…
舞台が終わると、장진自身によるレクチャーと質疑応答が始まる。
スタッフの顔色と時計を気にしながらも、なるべくギリギリまで観客の身勝手な質問に、忍耐強く静かに答えていたことが印象的だった。
でも、おかげで私は友人を、クソ寒い中、外で三十分も待たせてしまったのであった…
ここで2011年末から始まったイベント『연극열전4』の第一弾、장진演出の『리턴 투 햄릿』を観るためだ。
동숭アートセンターは마로니에公園脇にある、아르코芸術劇場と並んで、대학로界隈では大きく、かつ有名な劇場の一つであり、以前はアート系映画の上映なんかも行われていた。
上演される演目は、俳優조재현がディレクションを担当していることでも有名で、彼自身も、ここで舞台に立つことがある。
久しぶりにこの동숭アートセンター・동숭ホールに赴いたワケだけど、少し前に大改装が行われ、前とは打って変わって、なにやら立派な佇まいに変身していた。
この劇場はVIP席でなくとも座席が舞台に近く、お得感があり、奥行きもそこそこあるので、結構派手な演出にも耐える、なかなかいい劇場だ。
今回上演される『리턴 투 햄릿』は、장진のオリジナル戯曲というわけではないらしく、日本で誰かさんたちが騒ぐような有名俳優も出ていない。
장진といえば、日本でも固定ファンがいるくらい映画監督しては有名だが、その作品中で飛び交う言葉の渦は、韓国人ですら辟易するくらいなので、韓国語および韓国そのものにかなり精通していないと理解が難しい。
でも、日本における現代演劇に近いシュールさも持ち合わせていて、それが韓国で人気になっている理由の一つなのかもしれない。
『리턴 투 햄릿』が初演されたのは1998年の事だったという。
それはまさに、諸々の韓国映画&韓国ドラマに芸能人たちが外に向けてブレイクする寸前の頃だ。
当時、日本における장진のイメージといえば、アングラの舞台演出家兼戯曲家兼映画監督+ちょっと俳優も…といった感じで、彼のことを語れる人は、たぶん50人いなかったんじゃないだろうか。
そもそも「韓流」などという、タチの悪い疾病が日本で吹き荒れるなんて、誰も想像出来なかった時代である。
『리턴 투 햄릿』初演は、정재영に신하균、이문식…という、今では現実不可能に近いような豪華キャスティングで上演が行われたという。
だから、この『리턴 투 햄릿』という演目を、今、この劇場で上演することは、自身が有名になりすぎてしまった장진の、原点回帰だったのかもしれない。
장진の舞台や映画は一見あざといが、冷静に観れば、よく比較される日本の三谷幸喜よりも、実はリアリストではないのか?という気もする。
作品で描かれるのは市井の人々であり、普通の日常だ。
それを派手なレトリックやら、へんてこなキャラ続出作戦で、別の形にカモフラージュしているのに過ぎないのではないだろうか?
私が初めて장진の舞台を観たのは、色んな意味で有名な『택시 드리벌』だったけど、描くものは、巷の貧しい普通の人々だった。
『택시 드리벌』を観たのも、同じ동숭アートセンター、目的は「生정재영」だったのだが、戯曲は意外とリアル志向というか、決してハチャメチャばかりの内容ではなかった記憶がある。
夜中、タクシーに乗ると、本業はミュージシャンその他である運転手に出会うことは、韓国でも決して珍しくないが、『택시 드리벌』は、そうした業界人たちの「リアル」を写し取った舞台でもあったような気がする。
今回の『리턴 투 햄릿』も、ところどころ、장진らしいキッチュな演出や韓国ネタこそ出てくるが、地味なお話であり、そこには無常観すら漂う。
俳優や演出家という仕事は、仲間がいて、初めて成立する部分が大きい訳だけど、個々人そのものに商品価値が依存する職業でもある訳で、組織や会社勤めの立場に比べると、非常に孤独な仕事ではないかと、よく感じることがある。
そんな「リアル」を濃く内包した物語でもあったのだ。
この舞台で描かれたもう一つの事柄は、千秋楽を迎えた俳優たちの「不安」だろう。
俳優が千秋楽を迎えるということは、失業と失意の時であると共に、開放と期待の時でもあったりする。
『리턴 투 햄릿』で私が一番感じたことは、夢を糧にする生活の孤独さだった。
今回は、メジャーな演劇イベントの看板的演し物だから、出演者は皆いい俳優たちばかりだ。
ただ、そんな彼らの堅実な仕事ぶりを観ていると、どうしても장진という演出家は、男女共に「見た目」で俳優を選んでいる部分が結構あるんじゃなかろうか?とも思った。
共通する個性を選んだ結果、雰囲気や顔立ちが似てしまっているだけかもしれないけど…
舞台が終わると、장진自身によるレクチャーと質疑応答が始まる。
スタッフの顔色と時計を気にしながらも、なるべくギリギリまで観客の身勝手な質問に、忍耐強く静かに答えていたことが印象的だった。
でも、おかげで私は友人を、クソ寒い中、外で三十分も待たせてしまったのであった…
イラストはグズグズですが、内容は結構、オーソドックスです。
대학로では2012年4月8日まで。
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