Vol.465 非常事態発令?? [韓国映画]
先日、ソウルのある劇場に行ったら平日の昼下がりにかかわらず、半分以上座席が埋まっていたので焦ってしまった。
この映画館はメジャーな某観光地にあるが、ちょっと存在が忘れられたようなところがあっていつもガラガラだったので、こんなことは初めてである。
同時に気になったのは、やたらと機動隊員らしき警察官がエレベーターに乗り込んで来ることだった。
やがてフロアは背中に「POLICE」と書かれた制服姿で埋め尽くされる。
「また事件?」と思ったが、それにしてはやけに人数が多い。
だが劇場内に入るとその謎が解氷する。
私が観た回は実質、警察の貸し切り状態になっていたのである。
警察官といってもおそらくは「義警」と呼ばれる徴兵されたお年頃の若者たちばかりで、たぶん福利厚生として今回の場が提供されたんじゃないかと思う。
上映された作品はアクション映画、警察官も活躍するが実際の彼らの現実とは程遠い内容だろう。
だが、映画によっては兵役中の隊員たちへ鑑賞禁止令が出たりするお国柄だから、こんな作品しかセレクトできないのかもな、などと想像した。
以前、こことは別の映画館で上映終了と共に私服、制服の警官が警察犬を引き連れて雪崩れ込んできたことがあった。
幸い観客へ事情聴取は行われなかったが、イタズラの爆破予告でもあったのだろうか?
それよりもだいぶ前の事だが、鍾路三街駅で非常線が張られ、事情聴取に引っ掛かったことがある。
一度疑われると面倒なのは日本と同じ。
当時はパスポートや運転免許を持ち歩かないことにしていたので、すぐ身分証明ができず一時はどうなるかと思った。
仕方ないので知り合いの会社社長に電話を掛けて警官に身分を説明してもらい、事なきを得たが、日本人であることを証明できるものは結局パスポートだけであることを痛感する。
韓国を旅行した日本人が上げているブログで「韓国のホテルで部屋にパスポートを置くのは危険だ」と書かれている記事を読んだことがあるが、やっぱり「準戦時下」国家なので常にパスポートを身につけておくのは当たり前のことかもしれない。
それ以来、パスポートを必ず持ち歩くようにしているが、私の知人にもタバコのポイ捨てで似たような経験をした人がいた。
どうやら尋問された時に韓国語やら日本語を下手に使うと逆効果だったりするらしい。
でもそれって、日本人のふりをしてその場から逃げようとする韓国人の小ワルが想像以上に多いということなのかも??
この映画館はメジャーな某観光地にあるが、ちょっと存在が忘れられたようなところがあっていつもガラガラだったので、こんなことは初めてである。
同時に気になったのは、やたらと機動隊員らしき警察官がエレベーターに乗り込んで来ることだった。
やがてフロアは背中に「POLICE」と書かれた制服姿で埋め尽くされる。
「また事件?」と思ったが、それにしてはやけに人数が多い。
だが劇場内に入るとその謎が解氷する。
私が観た回は実質、警察の貸し切り状態になっていたのである。
警察官といってもおそらくは「義警」と呼ばれる徴兵されたお年頃の若者たちばかりで、たぶん福利厚生として今回の場が提供されたんじゃないかと思う。
上映された作品はアクション映画、警察官も活躍するが実際の彼らの現実とは程遠い内容だろう。
だが、映画によっては兵役中の隊員たちへ鑑賞禁止令が出たりするお国柄だから、こんな作品しかセレクトできないのかもな、などと想像した。
以前、こことは別の映画館で上映終了と共に私服、制服の警官が警察犬を引き連れて雪崩れ込んできたことがあった。
幸い観客へ事情聴取は行われなかったが、イタズラの爆破予告でもあったのだろうか?
それよりもだいぶ前の事だが、鍾路三街駅で非常線が張られ、事情聴取に引っ掛かったことがある。
一度疑われると面倒なのは日本と同じ。
当時はパスポートや運転免許を持ち歩かないことにしていたので、すぐ身分証明ができず一時はどうなるかと思った。
仕方ないので知り合いの会社社長に電話を掛けて警官に身分を説明してもらい、事なきを得たが、日本人であることを証明できるものは結局パスポートだけであることを痛感する。
韓国を旅行した日本人が上げているブログで「韓国のホテルで部屋にパスポートを置くのは危険だ」と書かれている記事を読んだことがあるが、やっぱり「準戦時下」国家なので常にパスポートを身につけておくのは当たり前のことかもしれない。
それ以来、パスポートを必ず持ち歩くようにしているが、私の知人にもタバコのポイ捨てで似たような経験をした人がいた。
どうやら尋問された時に韓国語やら日本語を下手に使うと逆効果だったりするらしい。
でもそれって、日本人のふりをしてその場から逃げようとする韓国人の小ワルが想像以上に多いということなのかも??
Vol.462 家までの道のりは大ヒットへの道のりにもちょっと遠かった 『マルティニークからの祈り(집으로 가는 길)』 [韓国映画]
2013年12月11日、韓国で一斉公開された話題作『マルティニークからの祈り(집으로 가는 길)』は下馬評で大ヒットを囁かれていたらしい。
だが蓋を開けてみるとそうでもなくて200万人動員に届かず、早々にシネコンでは上映終了が始まった作品だった。
動員数だけ見れば決してコケた訳ではないのだろうけど、映画の規模を考えるとちょっと寂しい数字である。
作品自体は秀作といっても差し支えない。
パン・ウンジン監督の演出は話法が巧みで分かりやすく、冴えて感動的だ。
メロに溺れずほどよい制御がちゃんと効いており、フランス人キャストをあくまでも第三者として描いているところもいい。
日本でも普通のシネコンにかけて遜色のない作品だろう(客が来るかどうかは別の話ですが…)。
ではなぜ、それほど「韓国内ではウケなかったのか?」を考えると、まず主演を含む全体のキャストが微妙過ぎたことだったと思う。
전도연は彼女じゃないと出来ないだろうくらい悲惨なヒロインを好演していたし、夫役の고수はひたすら韓国のおっさんを演じることに徹していてダサ格好いい。
娘役の강지우は驚異的な子役だし、배성우演じる在仏韓国大使館員の高慢さも強烈だ。
総じて皆好演なのだが、良くも悪くもマニアック、スターとしての普遍性やカリスマ性といった点で歩が悪かったような気がする。
主演二人があと十歳くらい若ければもう少し広い層に受けた気もするが、それでは今回の役作りは成立しなかった訳だから痛し痒しである。
第二に考えられるのが実話路線のやたら暗い物語だったことである。
しかも舞台はほとんどが海外だ。
韓国映画には「主な舞台が外国」「外国人が大勢出てくる」「外国語のセリフが多い」とどういう訳か興行がイマイチになるジンクスがあったりするが、『マルティニークからの祈り』の場合これが丸々当てはまる。
物語については一応ハッピーエンドでそれなりに感動的なまとめ方をしているが、ハッピーさはせいぜい全編の20%といったところである。
絶望と閉塞、僅かな幸せに情けない主人公たちと、この映画には欧米のインディーズ系に漂うリアリズムの匂いを感じたのだけど、それは韓国の一般観客にとって本能的に回避してしまう「骨董臭」や「違和感」だったのかもしれず、映画マニアには良くても気軽に映画館に来てその場でチョイスする性格の作品では無かったと思う。
おそらく、最もこの映画に対して魅力を感じて高評価を与えそうなのは、40代から50代の裕福なインテリ層ではないだろうか。
つまり教養と見識とお金はあっても映画館で映画を観ている時間がない人たちである。
個人的には良い作品だと思うが、韓国内マーケティングの的を外した感は否めず、さらに1990年代中盤から後半にかけて巻き起こった「新しい韓国映画を自分たちの手で作ろう」的な夢を今だ引きずり続けるようなレトロ感もどこかにあって、後ろ向きな世相に対してどこか差異があることは拭えなかった。
それもまた韓国で受けがいまいちだった理由なのかもしれない。
だが蓋を開けてみるとそうでもなくて200万人動員に届かず、早々にシネコンでは上映終了が始まった作品だった。
動員数だけ見れば決してコケた訳ではないのだろうけど、映画の規模を考えるとちょっと寂しい数字である。
作品自体は秀作といっても差し支えない。
パン・ウンジン監督の演出は話法が巧みで分かりやすく、冴えて感動的だ。
メロに溺れずほどよい制御がちゃんと効いており、フランス人キャストをあくまでも第三者として描いているところもいい。
日本でも普通のシネコンにかけて遜色のない作品だろう(客が来るかどうかは別の話ですが…)。
2014年8月29日より日本公開
ではなぜ、それほど「韓国内ではウケなかったのか?」を考えると、まず主演を含む全体のキャストが微妙過ぎたことだったと思う。
전도연は彼女じゃないと出来ないだろうくらい悲惨なヒロインを好演していたし、夫役の고수はひたすら韓国のおっさんを演じることに徹していてダサ格好いい。
娘役の강지우は驚異的な子役だし、배성우演じる在仏韓国大使館員の高慢さも強烈だ。
総じて皆好演なのだが、良くも悪くもマニアック、スターとしての普遍性やカリスマ性といった点で歩が悪かったような気がする。
主演二人があと十歳くらい若ければもう少し広い層に受けた気もするが、それでは今回の役作りは成立しなかった訳だから痛し痒しである。
第二に考えられるのが実話路線のやたら暗い物語だったことである。
しかも舞台はほとんどが海外だ。
韓国映画には「主な舞台が外国」「外国人が大勢出てくる」「外国語のセリフが多い」とどういう訳か興行がイマイチになるジンクスがあったりするが、『マルティニークからの祈り』の場合これが丸々当てはまる。
物語については一応ハッピーエンドでそれなりに感動的なまとめ方をしているが、ハッピーさはせいぜい全編の20%といったところである。
絶望と閉塞、僅かな幸せに情けない主人公たちと、この映画には欧米のインディーズ系に漂うリアリズムの匂いを感じたのだけど、それは韓国の一般観客にとって本能的に回避してしまう「骨董臭」や「違和感」だったのかもしれず、映画マニアには良くても気軽に映画館に来てその場でチョイスする性格の作品では無かったと思う。
おそらく、最もこの映画に対して魅力を感じて高評価を与えそうなのは、40代から50代の裕福なインテリ層ではないだろうか。
つまり教養と見識とお金はあっても映画館で映画を観ている時間がない人たちである。
個人的には良い作品だと思うが、韓国内マーケティングの的を外した感は否めず、さらに1990年代中盤から後半にかけて巻き起こった「新しい韓国映画を自分たちの手で作ろう」的な夢を今だ引きずり続けるようなレトロ感もどこかにあって、後ろ向きな世相に対してどこか差異があることは拭えなかった。
それもまた韓国で受けがいまいちだった理由なのかもしれない。
Vol.460 心霊映画としての 『結界の男』(박수건달) [韓国映画]
映画というのは「幸運の賜物」だ。
傑作をコンスタントに生み出すチームは、おそらく強運の星の下に生まれたんだろう、と羨ましく思う。
だが韓国で2013年1月9日に公開され、約389万人を動員した『結界の男』こと『박수건달』は、必ずしも「幸運」を全て呼び込めたかどうか疑問だ。
韓国ではヒットしたから、「結果オーライ」なんだろうが、ユニークな題材が活かせず、最後までぐちゃぐちゃの実にもったいない作品でもあった。
生彩に欠けた演出とメリハリのない展開は観る側を混乱させ、退屈させる。
キャスティングの難しさから撮影開始が長い間ペンディングになっていただけあって、主演のパク・シニャンは素晴らしい仕事をしているが、彼の新境地を拓くまでに至らなかったのは、この映画が「ヤクザ」「オカルト」「アクション」「コメディ」「浪花節」「地方物」といったミスマッチで多様な要素を上手にまとめきれず空中分解寸前だったからだ。
だが最後まで私がこの映画をなんとか見続けられたのは、おそらく韓国映画として珍しく正面から「心霊」を描いていたように見えたからだろう。
1999年の『シックス・センス』が大ヒットして以来、韓国映画でも心霊現象をある程度真面目に捉えようとする傾向は出て来ていたが、「子供の絵空事」として撥ねつける風潮の方がまだまだ強いので、コメディとはいえ、こういう企画が一流スター出演の承諾を得て製作されたこと自体は特筆すべきことかもしれない。
この映画最大の特色は、主人公のヤクザ幹部クァンホが傑出した霊能力の持ち主という設定にある。
そのため彼は救いを求める浮遊霊たちに導かれ、韓国のシャーマニズム「坐俗=ムーダン」の巫女となり、「巫女=霊視能力者」として「霊とコミュニケーション出来る者」の視点で物語は進んでゆく。
韓国人が「ムーダン」を外国人に説明する時、「韓国独特のものだから理解できないだろう」と勝手に決めつけられたことがあるが、「ムーダン」の源流は世界中にある自然信仰の一つであり、人々の暮らしの中で行われていたプリミティブな存在との対峙であり、決して特別なものではないはずだ。
だが当の韓国人たちは意外とそこら辺を理解していないような気がする。
『結界の男』は決して「ムーダン」がテーマの全てではないものの、パク・シニャン演じる主人公が死者たちとの対話に最初は戸惑い、やがてそれを受け入れて行く様子が、かなり雑だがそれなりにきちんと描かれている。
「理解できないもの」という枠に祀り上げてオシマイ、にしていないことは評価したい。
敵対する検事とその亡くなった恋人を巡るエピソードや、女医ミスクと娘スミンの別れのエピソードはダラダラと長く、映画のリズムを完全にぶち壊していてイライラさせられるが、未練を残した浮遊霊たちがクァンホに助けを求めて集まって来る様子や、死んだ暴力団会長とクァンホの対話シーンなどは韓国の心霊映画としてはなかなかいい線を行っていて感動的だ。
この映画の初期シナリオが実体験基づいて書かれたものかどうかは分からないが、骨子の部分では「現象としてのムーダン」にかなり真剣に取り組んでいるように見えた。
そこら辺がチョ・ジンギュ監督の持つ指向性ゆえか、妙に捻じ曲げられていた事は残念だったが、この『結界の男』は隠された真実を少し含んだ映画だったのかもしれない。
傑作をコンスタントに生み出すチームは、おそらく強運の星の下に生まれたんだろう、と羨ましく思う。
だが韓国で2013年1月9日に公開され、約389万人を動員した『結界の男』こと『박수건달』は、必ずしも「幸運」を全て呼び込めたかどうか疑問だ。
韓国ではヒットしたから、「結果オーライ」なんだろうが、ユニークな題材が活かせず、最後までぐちゃぐちゃの実にもったいない作品でもあった。
生彩に欠けた演出とメリハリのない展開は観る側を混乱させ、退屈させる。
キャスティングの難しさから撮影開始が長い間ペンディングになっていただけあって、主演のパク・シニャンは素晴らしい仕事をしているが、彼の新境地を拓くまでに至らなかったのは、この映画が「ヤクザ」「オカルト」「アクション」「コメディ」「浪花節」「地方物」といったミスマッチで多様な要素を上手にまとめきれず空中分解寸前だったからだ。
だが最後まで私がこの映画をなんとか見続けられたのは、おそらく韓国映画として珍しく正面から「心霊」を描いていたように見えたからだろう。
1999年の『シックス・センス』が大ヒットして以来、韓国映画でも心霊現象をある程度真面目に捉えようとする傾向は出て来ていたが、「子供の絵空事」として撥ねつける風潮の方がまだまだ強いので、コメディとはいえ、こういう企画が一流スター出演の承諾を得て製作されたこと自体は特筆すべきことかもしれない。
この映画最大の特色は、主人公のヤクザ幹部クァンホが傑出した霊能力の持ち主という設定にある。
そのため彼は救いを求める浮遊霊たちに導かれ、韓国のシャーマニズム「坐俗=ムーダン」の巫女となり、「巫女=霊視能力者」として「霊とコミュニケーション出来る者」の視点で物語は進んでゆく。
韓国人が「ムーダン」を外国人に説明する時、「韓国独特のものだから理解できないだろう」と勝手に決めつけられたことがあるが、「ムーダン」の源流は世界中にある自然信仰の一つであり、人々の暮らしの中で行われていたプリミティブな存在との対峙であり、決して特別なものではないはずだ。
だが当の韓国人たちは意外とそこら辺を理解していないような気がする。
『結界の男』は決して「ムーダン」がテーマの全てではないものの、パク・シニャン演じる主人公が死者たちとの対話に最初は戸惑い、やがてそれを受け入れて行く様子が、かなり雑だがそれなりにきちんと描かれている。
「理解できないもの」という枠に祀り上げてオシマイ、にしていないことは評価したい。
敵対する検事とその亡くなった恋人を巡るエピソードや、女医ミスクと娘スミンの別れのエピソードはダラダラと長く、映画のリズムを完全にぶち壊していてイライラさせられるが、未練を残した浮遊霊たちがクァンホに助けを求めて集まって来る様子や、死んだ暴力団会長とクァンホの対話シーンなどは韓国の心霊映画としてはなかなかいい線を行っていて感動的だ。
この映画の初期シナリオが実体験基づいて書かれたものかどうかは分からないが、骨子の部分では「現象としてのムーダン」にかなり真剣に取り組んでいるように見えた。
そこら辺がチョ・ジンギュ監督の持つ指向性ゆえか、妙に捻じ曲げられていた事は残念だったが、この『結界の男』は隠された真実を少し含んだ映画だったのかもしれない。
Vol.457 豚の夢をもう一度? 『사이비』 [韓国映画]
2013年11月21日に韓国で公開が始まった『사이비』は、前作『豚の王』で注目された、연상호の手によるアニメーション長編だ。
私的には『豚の王』は実直すぎるというか、ひねりも何もなく、「なんか主張が厨房」という印象が強かったので、あまり評価はしていないが、若い世代の抱えたやり場のない怒りを強烈に吐き出して見せたという点では異色の注目作でもあった。
今回の『사이비』は打って変わって、もっと大人の領域へと踏み込んだ内容になっていて、「また李明博政権&ゼネコンズへの批判かい」みたいな気配もあるが、韓国で蔓延るキリスト教系カルト教団を中心に描いている。
だが、蓋を開けると拍子抜けするほど穏やかな作品であり、前作のような停止不能の憤りや怒りは感じられず、テーマに対するアプローチも想定内といったところで、「ちょっと背伸びし過ぎたんじゃないの?」というのがファースト・インプレッションだった。
製作費は前作の約三倍、作画も遥かにキレイでリアル志向の美術も悪くないが、その分、アニメーションならではの表現性が弱くなっている。
こういうテーマをアニメーションで描くこと自体は賛成なのだが、『사이비』の場合は、「どこにアニメーションで描く意味があるんだろう」みたいな感じの方が強く、前作の『豚の王』はその作画の汚さが実は作品の力強さと表現性に直結していたことに気が付かされた。
今回は躍進著しいNEWがバックに付いていることもあってか、製作進行や予算管理の面では前作より、しっかりした体制で作られたのではないかと思うが、そのビジネスライクさが本当なら吐き出したであろう、怒りと毒の混合物を見事なまでに相殺してしまったようにも見えた。
韓国における地方の再開発問題も取り入れているが、肝心の宗教団体批判はキリスト教が日常に縁のない人間からすると、あたらず触らずといったところである。
そこら辺を『豚の王』並みにドギツくやらかしていれば、もっと動議を醸しだしたのではないかと思うのだが、大人ブレーキが働いたのかもしれない。
作品から強引な力は感じられず、「민철はイ・ビョンホンにそっくりだなぁ」とか、「경석の髪型は朴正煕元大統領と同じだなぁ」とか、「実写でやるなら경석はチョン・ジェヨンかなぁ」とか、余計なことばかり考えて観ていた。
경석の指名手配写真が「詐欺師」として貼られているシーンでは、あまりにまんまなのでギャグかと思って笑ってしまったが、もちろんそうではない。
『사이비』では철우という粗暴なアウトローが詐欺師に操られた嘘の王国を破壊するという、重要かつ対比的な役割を背負っていたはずなのだが、結局、철우というキャラがチンケなチンピラを超えることが出来ず、その大役を果たせなかった。
おそらく、연상호監督はあまりにも愚かな철우に無意識下で自身を託せなかったんじゃないのだろうか。
『豚の王』の子供たちは作り手側の忠実なゴーレムでありえたけど、『사이비』の登場人物たちは、そこら辺が残念ながらうまく機能していない。
철우が教会を焼き払うシーンや自らが同じ穴のムジナと成り果てる結末は、本当ならもっと鮮烈なイメージになるはずだったんだろうと思う。
韓国のアニメーション常識に照らし合わせれば、「どぎつい」シーンの連続かもしれないが、バイオレンス描写に鮮烈さはなく、これを観て圧倒される日本人の観客はあまりいないだろう。
今、韓国のアニメーションが本当に中興期もしくは転換期を迎えているとすれば、とりあえず問題作を送り続ける연상호監督とそのチームには世間の評判など気にしないで我が道を突き進んで欲しいが、どこかの誰かさんたちが「世界に誇るなんたら」だとか、「韓国の宮﨑駿」などと声高に主張して作品が大ヒットした挙句、その個性を失ってしまったら本末転倒だ。
とりあえず、そうならないことを祈りたい。
私的には『豚の王』は実直すぎるというか、ひねりも何もなく、「なんか主張が厨房」という印象が強かったので、あまり評価はしていないが、若い世代の抱えたやり場のない怒りを強烈に吐き出して見せたという点では異色の注目作でもあった。
今回の『사이비』は打って変わって、もっと大人の領域へと踏み込んだ内容になっていて、「また李明博政権&ゼネコンズへの批判かい」みたいな気配もあるが、韓国で蔓延るキリスト教系カルト教団を中心に描いている。
だが、蓋を開けると拍子抜けするほど穏やかな作品であり、前作のような停止不能の憤りや怒りは感じられず、テーマに対するアプローチも想定内といったところで、「ちょっと背伸びし過ぎたんじゃないの?」というのがファースト・インプレッションだった。
製作費は前作の約三倍、作画も遥かにキレイでリアル志向の美術も悪くないが、その分、アニメーションならではの表現性が弱くなっている。
こういうテーマをアニメーションで描くこと自体は賛成なのだが、『사이비』の場合は、「どこにアニメーションで描く意味があるんだろう」みたいな感じの方が強く、前作の『豚の王』はその作画の汚さが実は作品の力強さと表現性に直結していたことに気が付かされた。
今回は躍進著しいNEWがバックに付いていることもあってか、製作進行や予算管理の面では前作より、しっかりした体制で作られたのではないかと思うが、そのビジネスライクさが本当なら吐き出したであろう、怒りと毒の混合物を見事なまでに相殺してしまったようにも見えた。
韓国における地方の再開発問題も取り入れているが、肝心の宗教団体批判はキリスト教が日常に縁のない人間からすると、あたらず触らずといったところである。
そこら辺を『豚の王』並みにドギツくやらかしていれば、もっと動議を醸しだしたのではないかと思うのだが、大人ブレーキが働いたのかもしれない。
作品から強引な力は感じられず、「민철はイ・ビョンホンにそっくりだなぁ」とか、「경석の髪型は朴正煕元大統領と同じだなぁ」とか、「実写でやるなら경석はチョン・ジェヨンかなぁ」とか、余計なことばかり考えて観ていた。
경석の指名手配写真が「詐欺師」として貼られているシーンでは、あまりにまんまなのでギャグかと思って笑ってしまったが、もちろんそうではない。
『사이비』では철우という粗暴なアウトローが詐欺師に操られた嘘の王国を破壊するという、重要かつ対比的な役割を背負っていたはずなのだが、結局、철우というキャラがチンケなチンピラを超えることが出来ず、その大役を果たせなかった。
おそらく、연상호監督はあまりにも愚かな철우に無意識下で自身を託せなかったんじゃないのだろうか。
『豚の王』の子供たちは作り手側の忠実なゴーレムでありえたけど、『사이비』の登場人物たちは、そこら辺が残念ながらうまく機能していない。
철우が教会を焼き払うシーンや自らが同じ穴のムジナと成り果てる結末は、本当ならもっと鮮烈なイメージになるはずだったんだろうと思う。
韓国のアニメーション常識に照らし合わせれば、「どぎつい」シーンの連続かもしれないが、バイオレンス描写に鮮烈さはなく、これを観て圧倒される日本人の観客はあまりいないだろう。
今、韓国のアニメーションが本当に中興期もしくは転換期を迎えているとすれば、とりあえず問題作を送り続ける연상호監督とそのチームには世間の評判など気にしないで我が道を突き進んで欲しいが、どこかの誰かさんたちが「世界に誇るなんたら」だとか、「韓国の宮﨑駿」などと声高に主張して作品が大ヒットした挙句、その個性を失ってしまったら本末転倒だ。
とりあえず、そうならないことを祈りたい。
「第6回日韓次世代映画祭」(3月28日~30日)枠内にて日本初公開。
Vol.456 2013年 韓国映画BEST-X(Part2) [韓国映画]
続いて、映画編です。
2012年12月~2013年11月に公開された作品中、記憶に残った作品群を基準としました。
作品性の優劣とは必ずしも比例しません。
順不同。
(総括)
俳優については、映画で活躍していた演劇畑の人たちが、再び舞台に戻りつつある流れが続いていて、非常に喜ばしいことだと思います。
監督については、相変わらず入れ替わりが激しい状態ですが、若手の女性監督に優れた人たちが出つつあるのかな?という予感がするので、彼女たちには、どんどん機会を与えて欲しいところです。
2013年年度最大の話題作はなんといっても、ポン・ジュノの『スノーピアサー(설국열차)』ですが、あまりにも想定内の出来だったので、個人的にはガックリと脱力。
この作品は暴力的にも思える劇場占有率で上映され、観客動員数約934万人という数字自体は大したものですが、同時に不自然さも免れず、本当は200万人台程度が妥当な内容だったと思いますし、全くの外国映画であったならば、おそらくそれ以下だったのでは?
作品規模の大小に関係なく、相変わらずなのが、社会格差への問題提起であり、なにげで作家性を重視した作品も同時に増えてきているように見えます。
大ヒットした『더 테러 라이브』は、その両方を持ち合わせた典型的な例かもしれません。
観客動員数は、約557万人と『スノーピアサー(설국열차)』の約6割ですが、夏休みに公開された作品で実質、本当にヒットした韓国映画はこっちのような気もします。
今後、意外と鍵を握りそうなのが、韓国で一番ダメな分野のSFやファンタジー系作品。
インディーズではそういったジャンルが増えており、これらがムーブメントになってメジャーへと繋げられるかどうか、その動向に注意したいと思います。
韓国独自のアート系アニメーション長編に、若干ながら光が差しつつあることも注目すべきことですが、飽きっぽい国民性ですから、今後どうなるやら。
自国作品でコンスタントに利益が望めるようになればなったで、「アニメ=子供向け」もしくは「アニメ=青少年向け」という建前がある以上、領土問題や歴史問題といった政治がらみの作品が今後、ゾロゾロ出てくる可能性が考えられます。
「国策に協賛した企画でないとお金は出ません」になったら、かなりヤバイでしょう。
必要以上の行政や政治意図の介入が、独創的なアニメーションの製作に悪影響をもたらさないことを望みます。
2012年の『豚の王(돼지의 왕)』で注目された연상호監督の新作『사이비』が、2013年11月に公開されましたが、前作の評価に作る側が引きづられた感があって、爆発的なエネルギーに欠け、ちょいと残念でした。
2013年12月18日に公開された『변호인』は老若男女の熱狂的な支持を得、既に観客動員1130万人を超えましたが、個人的には韓国社会の風潮が逆行し始めている予兆のような作品に思えました。
このまま行くと、同じノリで次は「巨悪日本をやっつける」作品の大ヒットが出る日も近いかもしれません(それはそれで興味深いですが…)。
さて、2014年はどういう流れになるでしょうか?
2012年12月~2013年11月に公開された作品中、記憶に残った作品群を基準としました。
作品性の優劣とは必ずしも比例しません。
順不同。
(映画編)
『명왕성』(2012年)(2013年7月11日 韓国公開)韓国の学歴社会をグロテスクに描く。
『러시안 소설』(2012年)(2013年9月19日 韓国公開)独創的で奇々怪々な作品。
『나의 PS 파트너』(2012年)(2012年12月6日 韓国公開)キワモノ的ですが、世相がよく描けていました。
『신세계』(2012年)(2013年2月21日 韓国公開)韓国ヤクザ映画の北極かも。
『파파로티』(2012年)(2013年3月14日 韓国公開)ベタのようで、そうじゃない。
『지슬 - 끝나지 않은 세월2』(2012年)(2013年3月21日 韓国公開)独特の構成で見せる、現代史の断片。
『환상속의 그대』(2013年)(2013年5月16日 韓国公開)本質は重厚な人間ドラマ。
『렛 미 아웃』(2012年)(2013年8月15日 韓国公開)ショボイけど、なんだか捨てて置けない作品。
『숨바꼭질』(2013年)(2013年8月14日 韓国公開)「Kホラー」、その現在進行形かも。
(総括)
俳優については、映画で活躍していた演劇畑の人たちが、再び舞台に戻りつつある流れが続いていて、非常に喜ばしいことだと思います。
監督については、相変わらず入れ替わりが激しい状態ですが、若手の女性監督に優れた人たちが出つつあるのかな?という予感がするので、彼女たちには、どんどん機会を与えて欲しいところです。
2013年年度最大の話題作はなんといっても、ポン・ジュノの『スノーピアサー(설국열차)』ですが、あまりにも想定内の出来だったので、個人的にはガックリと脱力。
この作品は暴力的にも思える劇場占有率で上映され、観客動員数約934万人という数字自体は大したものですが、同時に不自然さも免れず、本当は200万人台程度が妥当な内容だったと思いますし、全くの外国映画であったならば、おそらくそれ以下だったのでは?
作品規模の大小に関係なく、相変わらずなのが、社会格差への問題提起であり、なにげで作家性を重視した作品も同時に増えてきているように見えます。
大ヒットした『더 테러 라이브』は、その両方を持ち合わせた典型的な例かもしれません。
観客動員数は、約557万人と『スノーピアサー(설국열차)』の約6割ですが、夏休みに公開された作品で実質、本当にヒットした韓国映画はこっちのような気もします。
今後、意外と鍵を握りそうなのが、韓国で一番ダメな分野のSFやファンタジー系作品。
インディーズではそういったジャンルが増えており、これらがムーブメントになってメジャーへと繋げられるかどうか、その動向に注意したいと思います。
韓国独自のアート系アニメーション長編に、若干ながら光が差しつつあることも注目すべきことですが、飽きっぽい国民性ですから、今後どうなるやら。
自国作品でコンスタントに利益が望めるようになればなったで、「アニメ=子供向け」もしくは「アニメ=青少年向け」という建前がある以上、領土問題や歴史問題といった政治がらみの作品が今後、ゾロゾロ出てくる可能性が考えられます。
「国策に協賛した企画でないとお金は出ません」になったら、かなりヤバイでしょう。
必要以上の行政や政治意図の介入が、独創的なアニメーションの製作に悪影響をもたらさないことを望みます。
2012年の『豚の王(돼지의 왕)』で注目された연상호監督の新作『사이비』が、2013年11月に公開されましたが、前作の評価に作る側が引きづられた感があって、爆発的なエネルギーに欠け、ちょいと残念でした。
2013年12月18日に公開された『변호인』は老若男女の熱狂的な支持を得、既に観客動員1130万人を超えましたが、個人的には韓国社会の風潮が逆行し始めている予兆のような作品に思えました。
このまま行くと、同じノリで次は「巨悪日本をやっつける」作品の大ヒットが出る日も近いかもしれません(それはそれで興味深いですが…)。
さて、2014年はどういう流れになるでしょうか?
画像その他出典:NAVER 영화
統計資料出典:영화진흥위원회
Vol.455 2013年 韓国映画BEST-X(Part1) [韓国映画]
2013年に公開された韓国映画BEST-X(ベストエックス)を発表します。
2012年12月~2013年11月の間、韓国で公開され、現地の映画館で鑑賞した作品のみ、対象としていますが、最近現地に赴くことが少なくなったので、だいぶ偏りがあります。
題名、人名ともハングル表記です。
2012年12月~2013年11月の間、韓国で公開され、現地の映画館で鑑賞した作品のみ、対象としていますが、最近現地に赴くことが少なくなったので、だいぶ偏りがあります。
題名、人名ともハングル表記です。
(女優編)有名・無名、上手い・下手ではなくて、「熱」を感じた人を選んでみました。
김민희『연애의 온도』今までのイメージを覆す好演かも。
민지현『노리개』新人女優の悲劇を演じ切りました。
김환희『전국노래자랑』ブサイクなところがいいです。
한효주『반창꼬』彼女はコメディエンヌ路線で行くべきでは?
이영진『환상속의 그대』『少女たちの遺言』も今は昔の物語。
이경미『러시안 소설』演技は下手ですが、抜群の存在感。
김슬기『무서운 이야기 2 - 사고』『투모로우 모닝』(ミュージカル)映画ではイマイチですが、将来性に期待して。
문정희『숨바꼭질』狂気がほとばしる熱演。
고아성『설국열차』大スターたちを押しのけて、一番の主役だったかも。
(男優編)こちらも有名・無名、上手い・下手は関係なしで、印象深かった人を選んでみました。
박성웅『신세계』ニヒル路線で大ブレイクか?!
한석규『파파로티』大スター、一世一代の名演技!
이민기『연애의 온도』あの彼が!遂に演技開眼か?
최무성『연애의 온도』おとぼけぶりに大爆笑。
황태광『공정사회』ブレイクまで、あと一歩。
배성우『공정사회』イヤミな役をやらせたら、ピカイチ!
강신효『러시안 소설』実は爽やかな好青年。
이희준『환상속의 그대』『감기』なにげの演技派。
고경표『무서운 이야기 2 - 탈출』キュートな三枚目ぶりが光ります。
(監督編)女性監督の活躍が目立ちましたが、やはり一番の注目はインディーズで頭ひとつ抜きん出た感のある오멸でしょう。
신수원『명왕성』(2012)『가족시네마 - 순환선』(2012)他シュールな世界観が魅力的です。
강진아『환상속의 그대』(2013)『촌철살인 - 백년해로외전』(2011)『구천리 마을잔치』(2011)他人間演出は重厚で、意外に正統派。
노덕『연애의 온도』(2012)変化球の連投技に注目。
신연식『러시안 소설』(2012)『배우는 배우다』(2012)他唯我独尊の王道を行っているのかも。
오멸『지슬 - 끝나지 않은 세월2』(2012)『이어도』(2011)他このままのスタンスで活動して欲しいクリエイターです。
(Part2へ続く)
画像その他出典:NAVER 영화
統計資料出典:영화진흥위원회
Vol.452 2013年はやけにおおかったけど [韓国映画]
2013年は日本において、韓国映画公開ラッシュ状態だったらしい。
上映規模の大小、作品の新旧を考えなければ、ざっと数えただけでも50本以上を超えている模様で(途中で調べるのを断念)、たくさんの作品が普通の映画館で掛かったという点では、異常な年だったと思う。
だが、私は韓国映画を基本的に日本で観ない。
なぜかと言えば、上映環境が良くないし、セレクションが偏っているからだ。
映画祭や上映会についても、裏に政治的思惑がチラつくものは、生理的に嫌いなので行く気がしない(文化交流だとか日韓友好だとか…)。
例外としてシネコンで掛かったものや、ロングランになった作品だけは観る努力をしているけど、やはり日本・海外市場を狙ったような作品はご遠慮させていただいているので、自ずと本数は限られてしまう。
上映環境について言えば、韓国における日本映画の扱いも、ひどいかもしれない。
でも、同じお金を払って観るとすれば、韓国映画の方が圧倒的に面白い作品が揃っているので、冷遇されるのは国情を別にして仕方ないだろう。
一方、公開される日本映画の本数は増えているし、古典的名作を観ている人も、金大中政権以降は明らかに多くなってきているので、勉強目的やビジネス上の参考品としての注目度はむしろ高くなっているのかもしれない。
韓国の話題作については、直接配給されることもあってか、日本で上映されることが多くなり、無理に現地で観る必要はなくなりつつあるが(日本じゃ、観る気も起きないが)、あいかわらず漏れているのが、俗に「인디(インディーズ)」と称される、地味な自主製作の低予算作品である。
日本では、ほとんどが未公開であり、運が良くてマイナーな上映会や映画祭止まり。
もっとも、これらのインディーズ作品を巡る実情は、韓国でも似たり寄ったりかもしれない。
時折、意表を突いたヒットや秀作が飛び出ることもあるけれど、上映される作品は運がいい方で、製作されても公開できない作品はそれこそ、山のようにあるらしい。
とは言っても、大半がソウルの名門大学その他を出た裕福なお坊ちゃま、お嬢ちゃまたちの独り善がりな卒業制作を金を取られて観せられているようなものなので、日本でわざわざ公開する価値はあまり無いだろうし、実際、私も現地で観て「金と時間を返せ!バカモン!」的心境になることはよくある。
だが、このインディーズ作品群には、幾つかの点でメジャーな商業ラインとは別の魅力があることも事実。
まず、無名クリエイターの発見ができること。
これは韓国映画についての動向予想にもなるから、結構重要だ。
近頃では、異業種参入者が増えているのも興味深いところだろう。
かつてのリュ・スンワンやキム・ギドクような無頼派、成り上がり系をインディーズを支えるクリエイター予備軍で見かけなくなってきたことは寂しいが、決していないわけでもない。
キャストの点でも、「明日のスター」に出会えるかもしれない、という先行投資的な面白さがある。
インディーズ系はドラマだろうとドキュメンタリーだろうと、製作費が爆安なので、打算的な有名俳優は使えないが、地味でも演劇系の実力派俳優たちが中心なので、「どういう俳優が韓国の第一線にいるのか?」ということを知るには、良い機会でもある。
人知れず上映され、忘れ去られたインディーズ作品に出ていた無名俳優が、今じゃ売れっ子、引っ張りだこ、ということは実際にあることだし、スターになる人材は無名時代から無駄に輝いていたりするものだ。
とまあ、それなりに得した気分になることもあるのが、韓国インディーズ作品群なのだけど、わざわざ時間とお金を浪費して追いかけることは、ハズレの方が圧倒的に多いから、やっぱりオススメしない。
あくまでも韓国におけるサブカルチャーの現実を、映画的視点から知りたい方限定といったところだろうか。
上映規模の大小、作品の新旧を考えなければ、ざっと数えただけでも50本以上を超えている模様で(途中で調べるのを断念)、たくさんの作品が普通の映画館で掛かったという点では、異常な年だったと思う。
だが、私は韓国映画を基本的に日本で観ない。
なぜかと言えば、上映環境が良くないし、セレクションが偏っているからだ。
映画祭や上映会についても、裏に政治的思惑がチラつくものは、生理的に嫌いなので行く気がしない(文化交流だとか日韓友好だとか…)。
例外としてシネコンで掛かったものや、ロングランになった作品だけは観る努力をしているけど、やはり日本・海外市場を狙ったような作品はご遠慮させていただいているので、自ずと本数は限られてしまう。
上映環境について言えば、韓国における日本映画の扱いも、ひどいかもしれない。
でも、同じお金を払って観るとすれば、韓国映画の方が圧倒的に面白い作品が揃っているので、冷遇されるのは国情を別にして仕方ないだろう。
一方、公開される日本映画の本数は増えているし、古典的名作を観ている人も、金大中政権以降は明らかに多くなってきているので、勉強目的やビジネス上の参考品としての注目度はむしろ高くなっているのかもしれない。
韓国の話題作については、直接配給されることもあってか、日本で上映されることが多くなり、無理に現地で観る必要はなくなりつつあるが(日本じゃ、観る気も起きないが)、あいかわらず漏れているのが、俗に「인디(インディーズ)」と称される、地味な自主製作の低予算作品である。
日本では、ほとんどが未公開であり、運が良くてマイナーな上映会や映画祭止まり。
もっとも、これらのインディーズ作品を巡る実情は、韓国でも似たり寄ったりかもしれない。
時折、意表を突いたヒットや秀作が飛び出ることもあるけれど、上映される作品は運がいい方で、製作されても公開できない作品はそれこそ、山のようにあるらしい。
とは言っても、大半がソウルの名門大学その他を出た裕福なお坊ちゃま、お嬢ちゃまたちの独り善がりな卒業制作を金を取られて観せられているようなものなので、日本でわざわざ公開する価値はあまり無いだろうし、実際、私も現地で観て「金と時間を返せ!バカモン!」的心境になることはよくある。
だが、このインディーズ作品群には、幾つかの点でメジャーな商業ラインとは別の魅力があることも事実。
まず、無名クリエイターの発見ができること。
これは韓国映画についての動向予想にもなるから、結構重要だ。
近頃では、異業種参入者が増えているのも興味深いところだろう。
かつてのリュ・スンワンやキム・ギドクような無頼派、成り上がり系をインディーズを支えるクリエイター予備軍で見かけなくなってきたことは寂しいが、決していないわけでもない。
キャストの点でも、「明日のスター」に出会えるかもしれない、という先行投資的な面白さがある。
インディーズ系はドラマだろうとドキュメンタリーだろうと、製作費が爆安なので、打算的な有名俳優は使えないが、地味でも演劇系の実力派俳優たちが中心なので、「どういう俳優が韓国の第一線にいるのか?」ということを知るには、良い機会でもある。
人知れず上映され、忘れ去られたインディーズ作品に出ていた無名俳優が、今じゃ売れっ子、引っ張りだこ、ということは実際にあることだし、スターになる人材は無名時代から無駄に輝いていたりするものだ。
とまあ、それなりに得した気分になることもあるのが、韓国インディーズ作品群なのだけど、わざわざ時間とお金を浪費して追いかけることは、ハズレの方が圧倒的に多いから、やっぱりオススメしない。
あくまでも韓国におけるサブカルチャーの現実を、映画的視点から知りたい方限定といったところだろうか。
Vol.449 ガタガタ列車の危うい旅 『설국열차(スノーピアサー)』 [韓国映画]
2013年8月…韓国はいつにも増して暑い夏、ゲリラ豪雨が猛威を振るっていた。
TVの天気情報では、大邱の気温が37度と表示されていたが、ここ10年近く東京はそれ以上の状態なので、この国はまだまだマシな方だろう。
そんな狂った夏真っ盛りの中、韓国では2013年最大の話題作ともいうべき『설국열차(スノーピアサー)』が一斉公開された。
凄まじい劇場占有率で、さすがは韓国映画界の「星」である。
昔「カン・ウソク祭り」が今は「ポン・ジュノ祭り」、時代の偏移を痛感させられる。
だが、アート系小劇場まで動員してのひどい占有ぶりに、ウンザリした韓国の映画ファンも多かったのでは?…
原作は未読なので映画との比較は出来ないが、R・H・ハインラインの名作『大宇宙の孤児』以降、一つのジャンルになった「さまよう孤立した世界とその真実」という、SF小説における定石をかなり忠実に踏まえた物語である。
SFが好きな方なら、C・プリーストの『逆転世界』あたりを連想するかもしれないし、富野由悠季の『OVER MAN キングゲイナー』を思い出す人もいるかもしれない。
だから、というわけでもないだろうけど、『설국열차』という映画には、何も期待しないで臨んだほうが「拾い物&お得」感を得ることが出来るかもしれない。
特にラストは韓国の一般観客とって、あまり納得できるような締めくくり方ではなかったと思う。
だが、これもまた「定石に忠実」といった終わり方でもあって、SF小説好きにとっては、正統派のラスト(≒仕方ない終わり方)だったとは思う。
また、最大公約数の観客に向けた娯楽作ではないので、観る人によってはかなり退屈かもしれない。
狭く暗い空間で繰り広げられる映像に脈動感は全くなく、非常に単調な展開であり、1976年の『カサンドラ・クロス』が列車アクションとして、かなり優秀だったことに気が付かされた。
「氷河期」という設定も、今となってはビジュアル的にマンネリ以外の何物でもない。
では、退屈なりに「ポン・ジュノ節全開の作家主義作品か?」といえば、やっぱりそうでもないのである。
何箇所かポン・ジュノらしいユーモラスな展開や、細かいディティールが垣間見られるが、それまでの彼の映画の印象を、この『설국열차』まで引きずり続けると、ただ戸惑うだけだろう。
ポン・ジュノがどうのこうのと言う以前に、どこの誰が作ったか分からないような無国籍で謎の映画、といった感じなのだ。
確かに、撮影や照明に大きな制限のある狭い列車を舞台にして、基本的なセリフはほとんど英語(一部日本語あり)、スタッフ、キャスト共に韓国人ではない人々が大半を占めているという環境にもかかわらず、一つの大作としてきちんと完結させたポン・ジュノの力とは、相変わらず称賛すべきものではあるのだけど、どうしても中途半端で歯切れ悪い作品であることは否定出来なかった。
公称4千万ドルの製作費を世界中からかき集め、ギャラの高~い有名俳優を何人も使ったことは、韓国映画界の脅威(=驚異)的ポテンシャルを改めて見せつけられる半面、「じゃあ、その半分の製作費で、韓国純度100%の『설국열차』作ったらどうなの?」と考えた時、圧倒的に面白いのはそっちの方としか思えなかったりするのである。
2013年の夏休み興行において『설국열차』との直接対決を避けた、これまた大作『미스터 고』は、明らかに韓国内でコケたけれども、率直な面白さ、エンターティメントしている点では、『설국열차』より全然上だったし、『설국열차』の一日前に公開された、遥かにしょぼいスケールの『더 테러 라이브』がえらく盛り上がり大ヒットしてしまったことも、これまた対照である。
果たして、『설국열차』は、ポン・ジュノの新たな代表作と呼んでいいのだろうか?
いや、いや、とてもそうと言えそうにない。
果敢な実験作、意欲作、野心作かもしれないが、作り手の野望を観客として一方的に押しつけられても、ちっとも面白くない、という見本だったのかもしれない。
豪華な出演陣も、「面白くなる可能性」の足を引っ張っているようにしか見えなかったりする。
これは監督と出演者の深く微妙なレベルにおいて、コミュニケーションにどうしても溝がある以上避けられないことなのだろうが、ポン・ジュノの機知に富んだ良い意味での「俳優猿まわしぶり」は、残念ながら欧米の俳優たちの前では、頑と拒否されたままで終わってしまったように思えるのである。
主演のクリス・エヴァンスは暗く陰鬱なだけで演技が非常に固く、主人公に相応しい役割を果たしているとは言えないし、ノリノリの怪演を見せたティルダ・スウィントンにしても、演出上の苦肉の策だったのでは?と思わざるえないような浮いたキャラに見えた。
ソン・ガンホに至っては英語のセリフが一言もなく、全て通訳機器を通しての会話という情けなさで、韓国語特有の下品な言い回しを翻訳できず、機械がエラーを起こすシーンは、全く笑えない。
この設定を見ていると、『終戦のエンペラー』で見せた西田敏行の役作りは、ホントに素晴らしかったと思う。
その一方で、ジョン・ハートが一番の適役だったことは、かつて映画青年だったポン・ジュノらしいセンスと言えそうだし、最後の〆を担当するエド・ハリスも演技は形式的で熱意を感じないが、その魅力をそこそこ活かせていたかもしれない。
でも、最も主演に相応しい存在感を見せていたのが、ヒエラルキーもギャラも、彼らの中で一番低いと思われるコ・アソンだったことは、なにやら皮肉であった。
前作『母なる証明』を観た時、「ポン・ジュノはどこへゆく?」と困惑したが、今回の『설국열차』は更なる混迷を深めたと言えるかもしれない。
それは私如き凡人には理解できないポン・ジュノの深さかもしれないが、更なる進化への予兆だったとしても、彼の国の人々が本当に理解し、受け入れてくれたかどうかは全く別のお話だし、ポン・ジュノに対して何の思い入れもない外国の一般観客にとっても、似たようなものなのではないのだろうか?
TVの天気情報では、大邱の気温が37度と表示されていたが、ここ10年近く東京はそれ以上の状態なので、この国はまだまだマシな方だろう。
そんな狂った夏真っ盛りの中、韓国では2013年最大の話題作ともいうべき『설국열차(スノーピアサー)』が一斉公開された。
凄まじい劇場占有率で、さすがは韓国映画界の「星」である。
昔「カン・ウソク祭り」が今は「ポン・ジュノ祭り」、時代の偏移を痛感させられる。
だが、アート系小劇場まで動員してのひどい占有ぶりに、ウンザリした韓国の映画ファンも多かったのでは?…
(STORY)ポスターやチラシだけ見ていると、ビジュアルや世界観に特異で個性的な印象を受けるかもしれないが、実はかなりオーソドックスで拍子抜けだったりする。
突如始まった氷河期から17年後の西暦2030年。
文明は壊滅し、人類は滅びたように思えたが、一握りの人間たちだけが<설국열차>の中に作られた、閉ざされた世界で細々と生き延びていた。
<설국열차>とは、鉄道王ウォルフォードが全世界に巡らせた膨大な距離の鉄道網を走り続ける特別仕様の弾丸列車であり、停まらない限り、中で暮らす人々は最低限ながらも生存を保証された「箱舟」だ。
だが、走り続ける無限地獄と化した列車内部は、外界を全く知らない「トレイン・チルドレン」と呼ばれる世代が増え始めており、治安警察の暴力で統治された過酷なヒエラルキー社会と化していた。
列車最後部で暮らす人々は常に家畜同然の生活を強いられ、幼い子供たちが謎の理由で親元から連れ去られて行く。
下層階級の青年カーティス(=クリス・エヴァンス)は、師であるギリアム(=ジョン・ハート)助言の元、エドガー(=ジェイミー・ベル)らと共に列車前部で暮らす首相メイスン(=ティルダ・スウィントン)らの独裁的支配階級に反逆の狼煙を上げる。
反乱軍は刑務所車両で睡眠拘束されていた<설국열차>のセキュリティ設計者ナムグン・ミンス(=ソン・ガンホ)と娘ヨナ(=コ・アソン)を目覚めさせ、謎のメッセージに導かれながら、血みどろの戦いを繰り広げて突き進んでゆく。
やがて辿り着いた列車先頭部は、農園や魚の養殖場が設けられた全く別の世界が広がっており、そこで暮らす人々は退廃した暮らしを送っていた。
多くの犠牲者を出しながら、機関部がある先頭車両にたどり着いたカーティスだったが、ウォルフォード(=エド・ハリス)から予想もしなかった真実を突きつけられる…
原作は未読なので映画との比較は出来ないが、R・H・ハインラインの名作『大宇宙の孤児』以降、一つのジャンルになった「さまよう孤立した世界とその真実」という、SF小説における定石をかなり忠実に踏まえた物語である。
SFが好きな方なら、C・プリーストの『逆転世界』あたりを連想するかもしれないし、富野由悠季の『OVER MAN キングゲイナー』を思い出す人もいるかもしれない。
だから、というわけでもないだろうけど、『설국열차』という映画には、何も期待しないで臨んだほうが「拾い物&お得」感を得ることが出来るかもしれない。
特にラストは韓国の一般観客とって、あまり納得できるような締めくくり方ではなかったと思う。
だが、これもまた「定石に忠実」といった終わり方でもあって、SF小説好きにとっては、正統派のラスト(≒仕方ない終わり方)だったとは思う。
また、最大公約数の観客に向けた娯楽作ではないので、観る人によってはかなり退屈かもしれない。
狭く暗い空間で繰り広げられる映像に脈動感は全くなく、非常に単調な展開であり、1976年の『カサンドラ・クロス』が列車アクションとして、かなり優秀だったことに気が付かされた。
「氷河期」という設定も、今となってはビジュアル的にマンネリ以外の何物でもない。
では、退屈なりに「ポン・ジュノ節全開の作家主義作品か?」といえば、やっぱりそうでもないのである。
何箇所かポン・ジュノらしいユーモラスな展開や、細かいディティールが垣間見られるが、それまでの彼の映画の印象を、この『설국열차』まで引きずり続けると、ただ戸惑うだけだろう。
ポン・ジュノがどうのこうのと言う以前に、どこの誰が作ったか分からないような無国籍で謎の映画、といった感じなのだ。
確かに、撮影や照明に大きな制限のある狭い列車を舞台にして、基本的なセリフはほとんど英語(一部日本語あり)、スタッフ、キャスト共に韓国人ではない人々が大半を占めているという環境にもかかわらず、一つの大作としてきちんと完結させたポン・ジュノの力とは、相変わらず称賛すべきものではあるのだけど、どうしても中途半端で歯切れ悪い作品であることは否定出来なかった。
公称4千万ドルの製作費を世界中からかき集め、ギャラの高~い有名俳優を何人も使ったことは、韓国映画界の脅威(=驚異)的ポテンシャルを改めて見せつけられる半面、「じゃあ、その半分の製作費で、韓国純度100%の『설국열차』作ったらどうなの?」と考えた時、圧倒的に面白いのはそっちの方としか思えなかったりするのである。
2013年の夏休み興行において『설국열차』との直接対決を避けた、これまた大作『미스터 고』は、明らかに韓国内でコケたけれども、率直な面白さ、エンターティメントしている点では、『설국열차』より全然上だったし、『설국열차』の一日前に公開された、遥かにしょぼいスケールの『더 테러 라이브』がえらく盛り上がり大ヒットしてしまったことも、これまた対照である。
果たして、『설국열차』は、ポン・ジュノの新たな代表作と呼んでいいのだろうか?
いや、いや、とてもそうと言えそうにない。
果敢な実験作、意欲作、野心作かもしれないが、作り手の野望を観客として一方的に押しつけられても、ちっとも面白くない、という見本だったのかもしれない。
豪華な出演陣も、「面白くなる可能性」の足を引っ張っているようにしか見えなかったりする。
これは監督と出演者の深く微妙なレベルにおいて、コミュニケーションにどうしても溝がある以上避けられないことなのだろうが、ポン・ジュノの機知に富んだ良い意味での「俳優猿まわしぶり」は、残念ながら欧米の俳優たちの前では、頑と拒否されたままで終わってしまったように思えるのである。
主演のクリス・エヴァンスは暗く陰鬱なだけで演技が非常に固く、主人公に相応しい役割を果たしているとは言えないし、ノリノリの怪演を見せたティルダ・スウィントンにしても、演出上の苦肉の策だったのでは?と思わざるえないような浮いたキャラに見えた。
ソン・ガンホに至っては英語のセリフが一言もなく、全て通訳機器を通しての会話という情けなさで、韓国語特有の下品な言い回しを翻訳できず、機械がエラーを起こすシーンは、全く笑えない。
この設定を見ていると、『終戦のエンペラー』で見せた西田敏行の役作りは、ホントに素晴らしかったと思う。
その一方で、ジョン・ハートが一番の適役だったことは、かつて映画青年だったポン・ジュノらしいセンスと言えそうだし、最後の〆を担当するエド・ハリスも演技は形式的で熱意を感じないが、その魅力をそこそこ活かせていたかもしれない。
でも、最も主演に相応しい存在感を見せていたのが、ヒエラルキーもギャラも、彼らの中で一番低いと思われるコ・アソンだったことは、なにやら皮肉であった。
前作『母なる証明』を観た時、「ポン・ジュノはどこへゆく?」と困惑したが、今回の『설국열차』は更なる混迷を深めたと言えるかもしれない。
それは私如き凡人には理解できないポン・ジュノの深さかもしれないが、更なる進化への予兆だったとしても、彼の国の人々が本当に理解し、受け入れてくれたかどうかは全く別のお話だし、ポン・ジュノに対して何の思い入れもない外国の一般観客にとっても、似たようなものなのではないのだろうか?
Vol.443 これも一種の産学共同体 『렛 미 아웃』 [韓国映画]
2013年8月15日の夏休みに公開された『렛 미 아웃』は、貧相ながらも愛すべき好編である。
上映枠が小規模だったのは残念だが、低予算インディーズでありつつ、商業作品的な内容でウケを狙うという、ちょっと前に流行りかけたタイプの作品だ。
当然ながら、不当にギャラのバカ高い有名スターは誰も出ておらず、アイドル出身の박희본と임권택監督の次男坊권현상がちょっと顔を知られている程度だが、その他個性的な無名の若手たちによる好演が魅力的な映画になっている。
主な撮影は当然、同大学内で行われたと思われるが、設備がなかなか充実していて、日本で公開された暁には、それを羨ましく感じる人もいるのではないかと思う。
物語はストレートな内輪受け話に過ぎないが、独特の緩いリズムとサラリとしたユーモア、出演陣の魅力が合致して、こういったネタが陥りやすい排他的な内容にはなっていない。
ありがちな映像テクに走らず、被写体にきちんと向き合っている演出にも好感が持てる。
무영演じた권현상は劇中、妻夫木聡風のルックスがキュートだが、生真面目さを感じさせ、日本でもそれなりに受けそうな俳優だ(でもウケないで欲しい)。
今回は見た目はチャラ系だけど、中身は堅物といった風情がうまくマッチしている。
現在はだいぶ緩いルックスに変わってしまったらしいが、ちょっと今後に注目しても、いいかもしれない。
ヒロイン演じる박희본は美人なのか、そうでないのか、よく分からないルックス、「なんだかハッキリしない」タイプなので、それが個性としてして昇華できればもっと面白い女優になれるのではないかと思う。
脇役は非常に個性的だが、その中で一番衝撃的なのが、撮影監督を演じた이혁だ。
見た目のインパクトに加え、業界の雰囲気を纏っていたので、本物の撮影監督に見えるが、立派なプロの俳優である。
彼が実質、この『렛 미 아웃』を引っ張っていたようなところもあり、特異な個性派として、これからも活躍の場を広げて欲しい。
当人は映画監督も目指しているという。
この作品が、世間一般で陽の目を観なかったことは残念であるけれど、「低予算インディーズ枠で普遍的なエンタティメントがどこまで出来うるか?」という点において、一石を投じた作品だったのではないだろうか。
「低予算インディーズ」といえば、どうしても「暗くて小難しくて地味で退屈」な作品ばかりが並びがちでもあり、ブロックバスター系作品に対抗させる意味合いでのみ、高評価を与えようとする向きもあるだろうけど、『렛 미 아웃』のような作品もまた、インディーズ系一つのあり方だと思う。
上映枠が小規模だったのは残念だが、低予算インディーズでありつつ、商業作品的な内容でウケを狙うという、ちょっと前に流行りかけたタイプの作品だ。
当然ながら、不当にギャラのバカ高い有名スターは誰も出ておらず、アイドル出身の박희본と임권택監督の次男坊권현상がちょっと顔を知られている程度だが、その他個性的な無名の若手たちによる好演が魅力的な映画になっている。
(Story)製作は、OBにチャン・ジン一家を多数輩出して、今じゃ有名校のソウル芸術大学が直接行っているので、映像的には決して貧困ではなく、韓国でよく称される「インディーズ」とはちょっと印象が異なる作品かもしれない(アメリカでもほぼ同時期公開済である)。
무영は映画学科に通う大学生だ。
プロデビューするには在学中に作品を一本撮る必要があったが、シナリオは出来ても資金目処が立っていない。
だが成功した先輩OB“양익준”監督が講演に来た時、彼に不遜な発言をしたことがきっかけで、逆に製作費助成金W500万をもらえることになってしまう。
무영はゾンビ映画『렛 미 아웃』のシナリオを手に、同級生아영をヒロインに据えスタッフを招集、製作を開始するが、무영のこだわりは아영の反発と降板を招き、撮影は停まってしまう。
아영がいなくなった現場から次々と主なスタッフが離れてしまう中で、孤立無援の무영を再起動させたのは、ゾンビを演じる俳優たちの意外な言葉だった…
主な撮影は当然、同大学内で行われたと思われるが、設備がなかなか充実していて、日本で公開された暁には、それを羨ましく感じる人もいるのではないかと思う。
物語はストレートな内輪受け話に過ぎないが、独特の緩いリズムとサラリとしたユーモア、出演陣の魅力が合致して、こういったネタが陥りやすい排他的な内容にはなっていない。
ありがちな映像テクに走らず、被写体にきちんと向き合っている演出にも好感が持てる。
무영演じた권현상は劇中、妻夫木聡風のルックスがキュートだが、生真面目さを感じさせ、日本でもそれなりに受けそうな俳優だ(でもウケないで欲しい)。
今回は見た目はチャラ系だけど、中身は堅物といった風情がうまくマッチしている。
現在はだいぶ緩いルックスに変わってしまったらしいが、ちょっと今後に注目しても、いいかもしれない。
ヒロイン演じる박희본は美人なのか、そうでないのか、よく分からないルックス、「なんだかハッキリしない」タイプなので、それが個性としてして昇華できればもっと面白い女優になれるのではないかと思う。
脇役は非常に個性的だが、その中で一番衝撃的なのが、撮影監督を演じた이혁だ。
見た目のインパクトに加え、業界の雰囲気を纏っていたので、本物の撮影監督に見えるが、立派なプロの俳優である。
彼が実質、この『렛 미 아웃』を引っ張っていたようなところもあり、特異な個性派として、これからも活躍の場を広げて欲しい。
当人は映画監督も目指しているという。
この作品が、世間一般で陽の目を観なかったことは残念であるけれど、「低予算インディーズ枠で普遍的なエンタティメントがどこまで出来うるか?」という点において、一石を投じた作品だったのではないだろうか。
「低予算インディーズ」といえば、どうしても「暗くて小難しくて地味で退屈」な作品ばかりが並びがちでもあり、ブロックバスター系作品に対抗させる意味合いでのみ、高評価を与えようとする向きもあるだろうけど、『렛 미 아웃』のような作品もまた、インディーズ系一つのあり方だと思う。
Vol.439 韓国ホラーの集大成かも 『숨바꼭질(かくれんぼう)』 [韓国映画]
2000年代初め、当時新人だった안병기(今じゃ大御所プロデューサー)が『가위(友引忌)』や『폰(ボイス)』をヒットさせたことは私にとっては大きな衝撃だった。
当時、韓国映画界は「イケイケどんどん、とにかくやったれ!」なカオス状態だったので、新人による新手のホラーが出現し大ヒットすること自体は時間の問題だった。
だが、こんなヒドイ作品がヒットし、まさか日本でも公開されるなんて思いもしなかったのである。
その後、韓国でホラー映画は定期的に作られていはいるものの、かつての勢いは失われ、今ではマイナーリーグの風が吹いている。
「新人の腕試し」もしくは「メジャーへの入門編」みたいなポジションに収まってしまった感があるものの、『불신지옥』から『建築学概論(건축학개론)』へ飛躍を遂げた이용주監督のような例も最近あるから、これはこれで意味があるのかもしれない。
現在、韓国ホラー映画がまともに紹介される機会は日本において残念ながら皆無に等しい。
「臭いものには蓋をして、香水を振りかけて美しく粉飾して…」という「韓流」が蔓延させた定義せいで、人間や社会の醜い面を露呈させるホラーは邪道なアウトサイダーになってしまっているのかもしれない。
故にその「リアル」と対峙するには現地まで出向く必要がある訳だが、ニッチな時期にしか上映しないことが多いので、希望通りに観ることが叶わなかったりする。
そんな中、2013年8月15日という夏休みのど真ん中、全国でブロックバスター公開された『숨바꼭질(かくれんぼう)』は予想を超える好編、ヒット作となった。
夢も希望もない韓国の二十歳を描いた『경복』では俳優として出ていたりもする。
主演はスターといえばスターだが、地味系の손현주だ。
ポスターを観れば財津一郎主演か?と思ってしまう。
『숨바꼭질』という日本語から程遠いタイトルも、映画の内容をさっぱり想像出来なくさせる。
だが、蓋を開てみれば人間の弱さ、不条理さ、エゴの愚かさを描きつつも、今ではすっかりお馴染みになった韓国格差社会を批判した、なかなか深みのある作品に仕上がっているのだ。
強引な話題作『설국열차』や、なんだかショボいだけの『더 테러 라이브』より遥かに面白かったくらいである。
ハリウッドや日本のホラー映画でお馴染みの、死なない殺人鬼や物の怪は一切出てこないが、都会にありがちなご近所の恐怖をサクサクと軽快に、派手なアクションを交えながら描いている。
重要な舞台となるのが老朽化して低所得層が暮らす団地なのだが、ここにトラウマを抱えた小金持ちの主人公とその家族が取り込まれることから、奇想天外な物語が始まる。
これもまた、ありそうでなかった展開である。
ロケーション撮影が優秀で、高い評価を得た이용주の『불신지옥』と似た印象を受けつつも、より明快でありバトル満載なので「団地アクション」としても面白い。
日本の『クロユリ団地』よりオカルト度は遥かに低いが、映画的面白さでは遥かに『숨바꼭질』の方が上だろう。
主人公演じた손현주の憮然としたおっさんぶりも味があっていいし、彼が決して絶対的な善人ではないところも物語を深くした。
話は強引だし突っ込みどころも沢山あるけれど、それは日本も同じようなものだろう。
日本のホラー映画は「悪と善」「現実と彼岸」にはっきりとした線引きを避けるからこそ独特の不気味さを孕んだともいえるが、韓国のホラー映画はその明解さ故に現実的な気持ち悪さを生み出したともいえる。
この『숨바꼭질』はホラーというよりもサイコ・サスペンスだが、敵の正体を不条理な存在にしなかったことが、物語に内在する「富める者VS搾取される者」という図式を面白くしている。
外国人にとっても、その「韓国人自身の戦い」に共感できれば、変則的な社会派ドラマとしても楽しく観ることができる作品なのではないだろうか?
当時、韓国映画界は「イケイケどんどん、とにかくやったれ!」なカオス状態だったので、新人による新手のホラーが出現し大ヒットすること自体は時間の問題だった。
だが、こんなヒドイ作品がヒットし、まさか日本でも公開されるなんて思いもしなかったのである。
その後、韓国でホラー映画は定期的に作られていはいるものの、かつての勢いは失われ、今ではマイナーリーグの風が吹いている。
「新人の腕試し」もしくは「メジャーへの入門編」みたいなポジションに収まってしまった感があるものの、『불신지옥』から『建築学概論(건축학개론)』へ飛躍を遂げた이용주監督のような例も最近あるから、これはこれで意味があるのかもしれない。
現在、韓国ホラー映画がまともに紹介される機会は日本において残念ながら皆無に等しい。
「臭いものには蓋をして、香水を振りかけて美しく粉飾して…」という「韓流」が蔓延させた定義せいで、人間や社会の醜い面を露呈させるホラーは邪道なアウトサイダーになってしまっているのかもしれない。
故にその「リアル」と対峙するには現地まで出向く必要がある訳だが、ニッチな時期にしか上映しないことが多いので、希望通りに観ることが叶わなかったりする。
そんな中、2013年8月15日という夏休みのど真ん中、全国でブロックバスター公開された『숨바꼭질(かくれんぼう)』は予想を超える好編、ヒット作となった。
(STORY)監督の허정は本作が本格デビュー作で、過去には한지승監督の下で助監督をやっていたこともあったらしい。
喫茶店経営をしている성수(=손현주)は大金持ちではないが妻민지(=전미선)と息子호세(=정준원)、娘평화(=김지영)二人の家庭を持ち、かなり恵まれた暮らしを営んでいた。
そんな彼の元に、長い間音信を絶っていた兄の消息が届く。
郊外にある老朽化した団地で暮らしていたが、突然姿を消したという。
だが、성수にとって子供時代は決して幸福ではなく、特に兄との間に起きたある事件は今も大きなトラウマだった。
墓参りの帰りに、団地を訪れた성수だったが、兄が暮らしていた部屋はどこか様子がおかしい。
男独り暮らしのはずなのに女性が暮らしていた形跡があり、近所の人は兄のことを話したがらない。
そして、各階、各部屋玄関ドアの脇に書かれた謎の記号群。
やがて車の中で성수の戻りを待っていた子供たちが近所に住む精神薄弱の男に襲われるという事件が起きる。
それを救ったのは兄と同じ階に住む주희(=문정희)という娘수아(=김수완)と二人暮らしの中年女性だったが、その出来事は성수一家を襲う不条理な恐怖の始まりに過ぎなかった。
夢も希望もない韓国の二十歳を描いた『경복』では俳優として出ていたりもする。
主演はスターといえばスターだが、地味系の손현주だ。
ポスターを観れば財津一郎主演か?と思ってしまう。
『숨바꼭질』という日本語から程遠いタイトルも、映画の内容をさっぱり想像出来なくさせる。
だが、蓋を開てみれば人間の弱さ、不条理さ、エゴの愚かさを描きつつも、今ではすっかりお馴染みになった韓国格差社会を批判した、なかなか深みのある作品に仕上がっているのだ。
強引な話題作『설국열차』や、なんだかショボいだけの『더 테러 라이브』より遥かに面白かったくらいである。
ハリウッドや日本のホラー映画でお馴染みの、死なない殺人鬼や物の怪は一切出てこないが、都会にありがちなご近所の恐怖をサクサクと軽快に、派手なアクションを交えながら描いている。
重要な舞台となるのが老朽化して低所得層が暮らす団地なのだが、ここにトラウマを抱えた小金持ちの主人公とその家族が取り込まれることから、奇想天外な物語が始まる。
これもまた、ありそうでなかった展開である。
ロケーション撮影が優秀で、高い評価を得た이용주の『불신지옥』と似た印象を受けつつも、より明快でありバトル満載なので「団地アクション」としても面白い。
日本の『クロユリ団地』よりオカルト度は遥かに低いが、映画的面白さでは遥かに『숨바꼭질』の方が上だろう。
主人公演じた손현주の憮然としたおっさんぶりも味があっていいし、彼が決して絶対的な善人ではないところも物語を深くした。
話は強引だし突っ込みどころも沢山あるけれど、それは日本も同じようなものだろう。
日本のホラー映画は「悪と善」「現実と彼岸」にはっきりとした線引きを避けるからこそ独特の不気味さを孕んだともいえるが、韓国のホラー映画はその明解さ故に現実的な気持ち悪さを生み出したともいえる。
この『숨바꼭질』はホラーというよりもサイコ・サスペンスだが、敵の正体を不条理な存在にしなかったことが、物語に内在する「富める者VS搾取される者」という図式を面白くしている。
外国人にとっても、その「韓国人自身の戦い」に共感できれば、変則的な社会派ドラマとしても楽しく観ることができる作品なのではないだろうか?
(日本版DVDあらすじ記事について)2015年1月9日から某社様より日本で販売されている『かくれんぼ』DVD紹介の「あらすじ」内容が本ブログと一部酷似しているというご指摘がありましたが、筆者は販売や配給、宣材など、同製品には全く関係しておりません。
しかしながら、日本におけるソフト販売以前から本記事へのアクセス数が例外的に多かったので、「妙だな~」と思っていたことは記しておきます。