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Vol.437 絆とは恐ろしいモノである 『환상속의 그대』 [韓国映画]

 1990年後半以降、韓国映画界では沢山の女性スタッフが活躍するようになったが、女性監督が活躍する場はまだまだ、インディーズ系が中心だ。
 だが作品性に絞ってみれば、女性監督がインディーズ系で躍進する事自体は決してマイナスばかりではないだろう。
 逆に低予算のインディーズだからこそ、女性特有の感性も織り込むことが出来るという考え方もある。

 幾つかの短編を経て『환상속의 그대』で長編デビューした강진아は映像編集者として業界を生きてきた人だが、その作品を観れば分かるように、よくある小手先で映像をこねくり回すような演出はせず、ワンカット、ワンカット、腰を据えて被写体と対峙しながら映画を作るタイプの監督のようだ。
 そしてその粘りを感じさせる演出は俳優たちからポテンシャルを引き出すことにも成功しているのである。
(Story)
기옥(=이영진)はイベント業で生計を立てている、ちょっとイケてない女性だ。
彼女には차경(=한예리)という水族館で勤務する女友達がいて、차경は看護士をしているちょっと頼りない恋人혁근(=이희준)と同棲生活を送っていた。
기옥も혁근を愛していたが、その想いを隠し続けている。
차경が기옥を訪ねたある夜、차경は交通事故でこの世を去ってしまう。
차경の突然の死は、기옥と혁근を動揺させ、二人の精神を蝕んでゆく。
彼女の死から一年が過ぎてもそれは終わらない。
차경との思い出が亡霊のようにいつまでも二人につきまとい、기옥は段々と死の幻影に囚われてゆく。

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 この映画は一般的な男女の恋愛模様を描いた作品ではないと思う.
 それよりも男女を超えた「絆」が、いかに互いの精神に重篤な影響をもたらすかを描いた作品ではないだろうか?

 ここでいう「絆」とは美しいものではなく、「呪縛」とさえいえそうなネガティブな繋がりだ。
 そのリンクが突然消失することで主人公たちは精神的、肉体的に追い詰められてゆく。
 だが、それを補填し修復するのもまた「絆」という「呪縛」なのである。

 物語自体に込み入ったストーリーはなく、あくまでも登場人物たちの苦悩、変化、再生をじっくりと、時にはキッチュに描いている。
 少々くどいきらいもあるので辟易する人もいるだろうけど、似たような経験を持った人はいたたまれなくなるかもしれない。
 特に차경が死後、残された기옥と혁근につきまとう様子はまるで怪談映画のようで脱線寸前の感もあるが、それは「絆」が暗黒面に転じると死につながる喪失感を生み出すという逆説のようにも思えた。

 出演者はあまり有名ではないが、それなりに個性的だ。
 기옥演じた이영진は絵に描いたような「イケていない女子」を体現しているし、이희준の繊細ダメ男ぶりは男性にとって共感できるリアルなものだ。
 『ハナ〜奇跡の46日間』での好演が記憶に新しい한예리は、一種の狂言回しとして物語を先導してゆく。

 短編『구천리 마을잔치』を観た時、映画的トリッキーさに溺れず、人の本質をあくまでも見つめようとする강진아の演出姿勢に骨太な誠実さを感じたが、それがまぐれでなかったことを、この『환상속의 그대』はきちんと証明してみせたといえるかもしれない。

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Vol.436 廃墟の中の映画館 [韓国映画]

 韓国はゼネコンが盛んなお国柄のためか、どこでも「ハコモノ」物件をよく見かける。
 施設に店舗を誘致して国内需要促進に役立てよう、という目的があるのかもしれないが、同時に目立つのが空室ばかりの幽霊ビルである。

 ビルひとつ建てるごとにそれなりのお金が回るはずなので、韓国経済にとって結構なことだろうし、商業施設が街の活性化につながって便利になれば外国人にとっても悪いことではない。
 だけど、いつも感じるのは「なんでこんな場所に?」という疑問だ。

 どこの街でもエアポケットのような地場はあるから、そこを再開発してランドマークたるものを作り、地域活性化につなげるという戦略もあるだろうけど、韓国はそれがあまり効果的に機能していないことの方が多いような気がする。

 こうした「ハコモノ」に入る店舗の代表格にシネコンがある。
 そして「ハコモノ」が廃墟と化しても生き残っているのが、このシネコンだったりする。

 先日、新村駅(地上線の方)にあるMEGA-BOXに足を運んだのだが、想像以上に入っているビルが廃れていたので驚いた。
 新村辺りの住人にすれば、「今頃気が付いたの?」なんて笑われそうだがバスで前を通るだけだったので、ここまでお化け屋敷然としているなんて思いもしなかった。
 この駅ビルが華々しくオープンしたのはそんな昔ではなかったと思うのだが…

 韓国企業はなにかにつけて「マーケティング、マーケティング、マーケティング!」と額に青筋立てて力説することが多いけど、その結果が幽霊ビルの乱立ならば皮肉なものである。
 彼らが主張する「マーケティング」とは何か?
 私は今でもよく分からない。

 シネコンが幽霊ビルの補填手段のようになっているのは維持費を抑えればなんとかやってゆける余地がある業種ということなのかもしれないが、その陰で集客力と営業力のない小型インディーズ作品はさらに一般観客の前から淘汰されるという現象がかなり前から恒常化している。

 大手の劇場寡占化に伴うインディーズ系作品排除に対するキム・ギドクの怒りはもっともだし、別に彼が言わなくてもかなり前から問題視されていたことではあるが、それを解決する手段はおそらく今の韓国では存在しないと思う。
 例えシネコンを減らしてもインディーズ系作品への客足が伸びる訳ではないから困ったものである。
 結局、観る側が変わらないとどうしようもない。

 2000年以降、韓国では信じられないくらい映画館が増えたが生き残ったのは大手チェーンばかりだ。
 そして似たようなつまらない映画ばかりが増え…という「プチ・ハリウッド化」の構図。

 ワタクシ的には野蛮でデタラメなインディーズ系の健闘を祈りたいのだけど、強固なパトロンでも後ろにいないとやっぱり難しいのだろう…
 でも後ろ盾が付いた時、韓国でそれを「メジャー」と言うのかな?

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Vol.430 いつの間にやら [韓国映画]

 ソウルのアート系専門館として昔からお馴染みなのが『Film Forum』である。
 残念ながら自転車操業丸出しで、今でも存続している事自体が奇跡のようにも見えるが、似たような映画館が増殖した今、その存在はさらに危ういのかもしれない。
 この劇場が鍾路にある旧ハリウッド劇場から今の梨大裏に移転したのは数年前のことであるが、その存在感の薄さは際立つばかりだ。

 最寄り駅が全くなく、バスでアプローチするしかない上、隣接している映画館が梨大内のMOMOや、新村駅(京義線の方です)のMEGA-BOXくらい、近所に休める場所がろくに無いことから、個人的には足がどんどん遠ざかってる。
 「ここでしか上映出来しない作品」がかかるという、重要な落穂拾い機能があるので、決して蔑ろには出来ない映画館なのだけど、もうちょっと場所がなんとかならないの?と訪れるたびに思うのであった。

 先日、久しぶりに訪れたところ、様相が激変していて驚かされた。
 閑古鳥が鳴いているのはいつもの通りなのだが、なんと!経営母体が某宗教法人に移り、その団体が催す集会所を兼ねた場になっていたのである。
 近頃、こうした劇場は国からの助成金が厳しいらしく、経営的にはこれも仕方ないし、入信を強要されるワケでもないので「アリ」だとは思うのだけど、一観客として困るのは作品上映が終わらない内に同じ劇場内で集会が始まり歌えや踊れ状態、これが筒抜けになってしまうことだ。
 それが嫌なら、集会が重なる時間帯を避けて行くしかないのだけど、韓国らしい事象であると共に、ちょっと困ってしまうのだった…

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Vol.429 現代史の闇を描きつつ 『지슬 - 끝나지 않은 세월2』 [韓国映画]

 映画監督として後日評価される人は、大体においてデビュー作で何かしら異様な光を放っている。
 その輝きを保ちながら現役の映画監督でい続けられるか否かは人知を超えた運命の領域かもしれないが、봉준호や김기덕は明らかにそういう「出だしから異様な光」を放つクリエイターだったと思う。

 現在、有能な才能が多数シノギを削る韓国映画界は、あまりに人材が多いためか、逆にこれといった才能を見出すことが難しくなりつつあるが、そこからダークホースとして飛び出た一人が오멸である。

 一般公開された作品は四本のみ(2013年6月現在)、すべてインディーズ枠の低予算作品だが、第二十九回サンダンス映画祭で審査員大賞を受賞した『지슬 - 끝나지 않은 세월2』が韓国でスマッシュヒットしたことから、一躍世間で名前が知られた。

 だが『지슬 - 끝나지 않은 세월2』が持つユニークさとは、一般デビュー作に該当する『뽕똘』の頃からすでにめらめらと立ち昇っていたのである(いや、오멸らしさという点では今のところこの『뽕똘』が最高だ)。

 오멸作品の特徴は徹底して故郷・済州島を舞台に、そこで暮らす普通の人たちと日常の風景を描いていることだ。
 劇中のセリフも、全編済州島言葉に標準韓国語の字幕という凝りようで、基本的はコメディ寄りだが、韓国映画であまり見かけないオフビートな笑いと登場する人間たちを舐め回すように描く点で、筆者にとっては韓国映画というより日本映画を観ているような気持ちになる。

 だが、 『지슬 - 끝나지 않은 세월2』は四・三事件という韓国現代史の暗黒面を正面から扱っていることもあってか、それまでの作品とはかなり趣向が異なっている。
 かなりドメステックなテーマなので、よく外国の映画祭で評価されたな、とも思うのだが、センセーショナルなテーマ性よりも独自の映像言語が高く評価されたのではないだろうか。

 オフビートな笑いと日常風景描写の積み重ね、済州島言葉のセリフという点ではいつもと同じだが、今回は映像表現に力を注いでおり、作為的なモノクロ映像は昔の水木しげる画集を観ているようでもあり、散文的な展開は観る側に奇妙な非現実感をいだかせる。
 そこにはあらすじを語ることを拒絶する意図すら感じた。

 오멸は『지슬 - 끝나지 않은 세월2』の後、メジャー作品を撮る機会を得ると思われるが、それを甘受するか、あくまでも済州島発信のインディーズにこだわり続けるかは分からない。
 だが、오멸が一般マーケット側が求める枠に迎合しつつも、従来のテーマを貫き通し、興行的、作品的に成功を収めることができれば、それは韓国映画にとって新たなエポックになるかもしれない。
 今思えば、봉준호はそれをやってのけた監督であり、김기덕はそれが出来なかった監督だったのではないか。

 ここ十年くらい、韓国では高学歴の若きエリートたちが有名企業ではなく国内の映画産業を目指すようになった。
 だが、高水準の作品でデビュー、そこそこヒットし出来ても映画作家として生き残れるかどうかは難しい。
 日本であればCFやTVの売れっ子ディレクターをやりながら、カリスマ映画監督としての名声を両立させることもできるが、韓国のマーケットにはそんなキャパはないだろうし、故郷を捨てて海外に定着し、映画の仕事を続けることはもっと困難だろう。

 そんな中、『지슬 - 끝나지 않은 세월2』で一躍名前が浸透した오멸が韓国のインディーズであり続け、済州島にこだわり続けることが出来れば、へたにメジャーで打って出るよりも大きな強みになるはずだ。
 日本での評価はまだ先のことになるだろうけど、諸外国の余計な評価に踊らされないで、今のペースとスタイルを維持して欲しい。
 近い将来、彼は名匠になるべき才能の一人だと私は信じている。

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Vol.427 九老、じゃなくて乙支路アリラン 『嘆きのピエタ』 [韓国映画]

 『피에타(嘆きのピエタ)』を日本で観る。

 この映画については既に山のように優れた紹介がなされているから私がいうべきことは何もないのだけど、いつもの作風から脂ぎったものが抜け落ち、すっかり枯れて落ち着いた、というのが映画を観た後の実直な感想だ。

 でも、考えてみれば김기덕も既に映画クリエイターとして10年選手、なんやかんやで韓国映画界で一派閥の親分たる立場になって久しいわけで、枯れて当然かもしれない。

 この『피에타』で特徴的なことはソウル・江北にある清渓川に沿って拡がる乙支路辺りの界隈を舞台にしていることだろう。
 このチープな界隈がなかなか魅力的な映画的光景になっている。

 ここら辺は이명박前大統領が爆進した서울市長時代から今に至るまで、再開発から取り残されてしまったところなので昔から変わらない風景が続いているように見えるが、相対的にはどんどん劣化し続けている場所でもあって、込み入った裏路地を歩いているとかつてのエネルギーは既になく、「寂れたな…」と思うことがよくある。
 鐘路一帯から活気が失われていることもそれに拍車をかけている。
 
 結果、この界隈に残らざるをえないのは『피에타(嘆きのピエタ)』で描かれたような無間地獄に陥った人々なのだろうか、などと思ってしまうのである。
 劇中、ミュージシャンになることを断念した男が登場するけど、冒頭の伏線と併せて、彼らが若いことは象徴的だ。
 夢に挫折し、第二の人生を始めるために場末の町工場に流れて来たとも読める訳だが、これもまた外国人には見え難い韓国の現実かもしれない。
 工場で働きながら音楽活動をしているアーティストとしては연영석が有名だけど(今もそうなのだろうか?)、清渓川沿いの工場街とは、街中を流しているタクシーと並んで、夢で喰えない人びとを受け止める役割をはたしているのだろうか、なんて考えてしまう。

 映画の最後に出てくる駄菓子を軽トラックで売りながら糊口を凌いでいる女性もそうだ。
 幹線道路に沿って車で行商という韓国でよく見かけた風景がそこに重なるのだけど、この手の商売は不景気になると増えると知人が語っていた言葉を思い出す。
 開店資金が安く済み倒産品を仕入れることで比較的元手がかからず始められるからだという。
 ポン菓子商売も似たようなものなのかもしれない。

 かつて김기덕作品といえば、脂ぎった情念がビチャビチャと飛び散り、貧しい階層を描きつつも「社会派」という形容から超越した映画というのが私の印象だったけど、月日を経て脂分が抜けたら普通の社会派になっていたのが『피에타(嘆きのピエタ)』だったのかもしれない。
 ちょっとだけ独立映画時代の今井正作品を連想させる作風になっていたのも意外なのであった…

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新作『뫼비우스』は韓国で公開出来る、出来ないでモメモメ中ですが、김기덕式プロモーションの一端だったらイヤです…


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Vol.423 한석규、名優の輝き 『파파로티』 [韓国映画]

 2013年3月14日、韓国で公開された『파파로티』はいい意味で都会的なドライさを湛えた好編だ。
 そして、この作品は한석규ファンにとっても、大きな喜びでもあったと思う。

 『쉬리/シュリ』以降、しばらく停滞期が続き、一時期は大スターであったことを忘れられた感すらあった한석규だったが、『파파로티』での好演は俳優人生のエポックになりそうなくらい、本当にキラキラと輝いている。
 한석규があまり素晴らしいので、教え子を演じた이제훈(『건축학개론/建築学概論』)がワリを喰ったくらいだ。

 『이중간첩/二重スパイ』後の挫折を経て、インディーズ系作品に出演することが増えた한석규だが、停滞期間は肥やしとなって、大きな花を咲かせるキッカケになったのかもしれない。

 物語は田舎を舞台にオペラ歌手に挫折し拗ねてしまった音楽教師상진(=한석규)と、オペラ歌手に憧れる高校生兼ヤクザ장호(=이제훈)の師弟関係を、時にはコミカルに、時には情緒的に描いたものだが、そこにあるのは定石に見せつつも、男同士の甘くない関係を描いた内容であって、ひと味違うドラマが展開する。

 二人を取り巻く家族に友人たち、仲間たちのエピソードも適度にひと通り揃っているものの、あくまでも中心は상진と장호の距離を置いた関係だ。
 상진は決して弟子장호に媚を売らないし、장호も師상진に尻尾を振らないが、それがまた最後の最後になって、大きな感動の花をさかせるのである。

 監督を手がけた윤종찬は『소름』や『청연/青燕』で知られる中堅だが、日本で限定公開された『나는 행복합니다/私は幸福です』以来、『파파로티』は数年ぶりの新作となる。
 娯楽作品としてツボを抑えつつ、今まで以上に醒めたスタイルで仕上げたが、ここら辺は今だからこそ許されたギリギリさかもしれない。

 「スターであっても名優ではない」
 それが今までの한석규に対する筆者のイメージだったが、今回の『파파로티』によって優れた先達たちの背中が見えてきたことは間違いないだろう。

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Vol.421 これもまた謎の大ヒット? 『私のオオカミ少年(늑대소년)』の奇跡 [韓国映画]

 『私のオオカミ少年(늑대소년)』は2012年10月14日に韓国で公開され、観客動員数701万人を記録、この手の作品としてはけっこう長く上映されていたが、どちらかというと健全な家族向けの作品だ。

 なぜ701万人も入ったかについては、これまたサッパリ分からないが、皆で観ることが出来るような作品が当時、韓国の映画館にあまり掛かっていなかったのかもしれない。
 一部ファンにすれば主演の송중기と박보영の名を上げるだろうけど、それは違うと思う。

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 私は先日、日本で観たのだが、ちょっと特異な印象を受けた。
 ブロックバスターというよりもインディーズぽい。
 物語も世界観もファンシーで、女の子向けの雑貨屋を覗いているような感じだ。
 製作費も抑えた風であり、あまり期待されていない企画だったのではないだろうか。

 映画が始まってからまず思ったのは「監督もしくはシナリオを女性が手がけたのでは?」ということだったのだけど、調べてみると男性である。
 へぇー。
 こういう話を韓国男子が書かないとはいわないが、あまりやりそうにない内容だ。
 そこら辺は『建築学概論(건축학개론)』辺りから始まった新男性路線といえなくもない。

 映画を観終わると「オオカミ少年」自体はさして意味がないように思え、舞台を変えれば「たぬき少年」でも「きつね少年」でも成立しそうなプロットだ。
 そしてあるデジャブに襲われる。
 2013年1月に公開された『7번방의 선물(七番房の贈り物)』に観た後の印象が非常に近いのだ。
 内容は全く異なるけれど、商品コンセプトとしては同じグループにカテゴライズできそうな作品なのである。

 物語は主人公순이が青春のひと時を過ごした江原道での回想として語られる。
 ただし、それが今から47年前というのがちょっと変わっている。
 冒頭が2011年前後と仮定すると、主な舞台となるのは1964年前後、まさに朴正煕政権の真っ只中。
 えっ?どうして。
 同じ軍事政権時代を背景にした『サニー 永遠の仲間たち(써니)』辺りとは意味が大分違うのである。

 監督&脚本の조성희は1979年生まれ、386世代とは違って多感な青春期はすでに民主政権下だ。
 彼がソウル大学に通っていた時期は丁度、金大中政権発足当時に該当し、街では이정현の『바꿔』がガンガン流れていた頃だ。
 だから조성희にとって朴正煕大統領が君臨していた時代とは、畏怖を持って語られた歴史的事実ではなく漠然としたファンタジーであり、「昔はよかった」に気軽に昇華されてしまうくらいリアリティを失っている時代ということなのかもしれない。

 もう一つ印象深かったのは、唯一の悪役지태(=유연석)という金持ちのボンボンに、他の人たちが全く騙されないし丸め込まれないことだろう。
 通常なら、親の権威をカサに着たこのボンボンに皆騙されてオオカミ少年とヒロインが窮地に陥る、という黄金パターンになるはずだが、そういうことは全く起こらない。
 金持ちに弱いはずの警察官は実直に仕事をこなし、地元の人も見識高い人ばかり、誰もボンボンの嘘に耳を傾けない。
 ここら辺には李明博政権時代から吹き荒れ始めた怒れる若者たちの裕福層や司法界への反感が込められていたのだろうか。

 更にうがった見方をすれば、この『私のオオカミ少年』が公開されたのは韓国大統領選挙の年でもある。
 当時、メディアでは【朴正煕=元日本人・高木正雄=親日=けしからん!】という、外国人から見れば「いまさら何を言っているんだ??」的な呆れた批判がタケノコのごとく湧きだしていた時期でもあった。
 『私のオオカミ少年』がそんなところまで見越して企画されたはずはないが、偶然の一致とは恐ろしいものである。

 『7번방의 선물(七番房の贈り物)』との類似性については、次のような点が上げられる。

 ・昔は良かった調の物語
 ・分かりやすい大スターが出ていない
 ・製作費がどうやら抑えられている
 ・登場人物が善人ばかり
 ・「かわいい」映像を目指している

 もしかして、この『私のオオカミ少年』こそ、『7번방의 선물(七番房の贈り物)』謎の大ヒット予兆だったりして、なんて思わず考えてしまうのであった…

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Vol.420 勤め人もまた辛い『ある会社員(회사원)』 [韓国映画]

 韓国映画には「フィルム・ノワール」と呼ばれる分野がある。
 明確な定義はないが、犯罪者など社会的アウトサイダーを主人公に据えて、暴力と無常感と暗さで全編を包んだ映画を指すことが多い。
 ハッピーエンドにならないのも特徴だ。

 韓国映画における最初の本格的フィルム・ノワールは『게임의 법칙(ゲームの法則)』(1994/日本未公開)だと言われている(あくまでも一説です)。
 日本で知られている作品としては『アジョシ(아저씨)』やハ・ジョンウの『哀しき獣(황해)』、『悪魔を見た(악마를 보았다)』や『甘い人生(달콤한 인생)』、『オールド・ボーイ(올드 보이)』などが該当すると思う。

 これらの作品群はアウトローたちが血で血を洗う世界をファンタジーぎりぎりの物語設定でハードに描くことにより、暗喩としての韓国社会も描いているが、話が陳腐になりやすいこと、公開レートがR15以上になりやすいことなどから、作品性と興行性を両立させることが難しいジャンルでもある。
 だが、6月1日から日本公開が始まった『ある会社員(회사원)』は韓国式フィルム・ノワールの秀作と呼んで差し支えない作品だ。

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 韓国では2012年10月14日に公開され、観客動員数102万人程度なので、そこそこのヒットだが、韓国式フィルム・ノワールの魅力が随所に光っており、おそらく結構映画にうるさい客層に支持されたのではないだろうか。
 私は残念ながらリアルタイムで観ていないので2012年度韓国映画ベスト10には入れなかったが、観ていたならば必ず入れていただろう。

 物語はカタギの会社を装った殺し屋集団の内部抗争という、日本の一昔前の劇画なんかでよくありそうな話、それ自体は新鮮味がないしリアリティもないのだが、破綻スレスレのシュールな設定の中で主人公たちの行動を抑制の効いた語り口で描き、企業に養ってもらう一個人の抱えた矛盾というテーマを観る側に提示する。

 韓国人は日本人に比べ企業に対する忠誠心や帰属意識が薄く、いい加減で信用に足りないという印象が私にはあるが、この映画を観るとそこら辺の事情が大分変わって来ている、というか変わらざるを得なくなっていることがよくわかるし、勤め人なら誰でも一度は抱くであろう疑問を殺し屋サラリーマン지형도を通して訴える。

 編集や映像の仕上がりが大変丁寧なことも特筆すべき点だろう。
 端正な映像にはバラつきがないし、全体のリズムも一定していて唐突感も少ない。
 これは公開直前にハチャメチャな編集で作品に手入れをしてしまうことが多い韓国映画では珍しいことであり、最初から最後まで続くシュールな世界観と独特で簡潔なセリフもまた、ありえない物語を説得力のあるものとした。
 疑問と批判を唱える向きはもちろんあるが、現実をカリカチュアしたシュルレアリスムとして受け入られるかどうかで、180度受け取るものが異なって来ると思う。
 主演の소지섭も作品のシュールさに大きく関与していて魅力的だ。
 別の作品に例えてみればチャンジンの『ガン&トークス(킬러들의 수다)』から笑いや無駄なレトリックを払拭し登場人物を整理、より世相を投影した映画といった趣だろうか。

 アクション映画としてもなかなか魅力的で、地味だが凝ったアクションが展開、特にラストは狭い社内での壮絶な銃撃戦となるが、狭く動きが取れない空間だからこそあり得た殺陣の形という面白さがあり、マイケル・マンばりに銃器によって発射音を分けているのも凝っている。

 この『ある会社員(회사원)』は韓国のメジャー系作品として珍しいタイプの作品だったと思うが、異端さがうまく「吉」に転じた好例だったのではないだろうか。
 日本で公開されたのは「소지섭が主演だから」というのが第一の理由だろうけど、同時に特異な作品性もまた評価されたと信じたい。


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Vol.418 謎の大ヒット?『7번방의 선물(七番房の奇跡)』の奇跡 [韓国映画]

 今年1月27日に公開され1000万人越え(※)の観客動員を記録した『7번방의 선물』は不可解な作品だ。
(※)公式には1278万2920人動員

 何がよく分からないのかといえば、なぜこんなに受けたのか、観ただけではさっぱり分からないからである。
 「警察や司法権力の横暴」を告発したからという一説もあるが、それは「お話を展開させるための設定」であった感の方が強く、そんな小難しいことよりもひたすらベタな感動を目指した結果、「人情とやさしさへの回帰」を啓発したことが、疲れてしまった人たちにウケたんじゃないかという気がする。

 出演者たちは堅実だが定番、地味であり、客が押しかけるような俳優はいない。
 主演の류승룡は演劇から映画界に転身後、個性的な脇役から始まって今では主演級のスターになったが、『7번방의 선물』の役はミスキャストに見えるし、他の面々も、それほど特筆すべき演技はしていない。
 子役の갈소원は飛び抜けていたものの、この映画で彼女のことを初めて知った観客の方が多かったのではないだろうか。

 物語はレトロでドロドロの人情ファンタジーだ。
 刑務所でのシビアな人間関係であるとか、司法の不公平さであるとか、警察のデタラメさとか、第二の人生を用意できるセーフネットの重要性だとか、それなりの社会的なテーマを見出すことはできるが、やっぱりそれも結果論だろう。

 まともな会話が成り立たない知能障害者に娘がいて生活が自立出来ていたり、警察庁トップの幼稚なエゴで有罪が捏造され極刑になる展開や、刑務所職員と受刑者が結託して、死刑囚とその娘を気球を使って脱走させようとするくだりは、寓話性うんぬん以前の問題であり、それこそ「桃太郎」や「浦島太郎」並のお伽話として割り切らないと受け入れることが難しい。

 映画の作りも非常に荒く、まるで二十年前の韓国映画のようだ。
 監督の이환경は韓国映画界叩き上げの中堅、職人的手腕で韓国映画らしい作品を送り出しているが、古臭い。
 老若男女一家揃って楽しむことができる感動の好編ではあるが(個人的には面白かったし)、ヒットしてもせいぜい200万人前後止まり、といった感じの内容なのである。

 結局、外国人の傍観者である筆者にとって、この作品の大ヒットとは、今の韓国が「世界に誇るナントカ、カントカ」を具現化しようとするあまり、多くの人が疲労困憊し、過去への回帰をより強く求めている証のように見えなくもないのである。
 2011年に『써니(サニー 永遠の仲間たち)』の大嵐が吹き荒れたのも、その前兆だったのではないか。

 1999年を大きな境とする韓国映画復興と時をほぼ同じくして、韓国の民主政権はブルドーザーの如く突き進んできた訳だが、韓国映画が洗練されて巧みになればなるほど、いい意味でのプリミティブな面白さを失っていったのと同じように、社会の「豊かさ」と「先進性」を推し進めれば推し進めるほど、なんでもかんでも過激な競争社会と化し、人間関係は希薄になり、そこに経済格差も加わって、老いも若きも大勢の人たちがウンザリしているのではないだろうか。
 新しい政権に対する敵愾心や無関心さはその諦めを象徴しているようにも見える。

 『7번방의 선물』が公開されている間、劇場には年配観客がいつになく目立ったという。
 これもまた、今に至るまでの韓国映画を象徴するかのようだ。

 ここ十年、韓国映画は信じられないほど色々な面で激変したが、ビジネスモデルが固まって行くにつれて、インテリたちが牛耳るマーケティング理論に沿った企画ばかりになり、対象になる観客層は中流以上か小金持ちの若者が中心、一家やお年寄りで率直に楽しめる作品は少なくなって来ているし、若い観客にしてもマスコミが扇動する流行に追従することが条件のようなネタが目立つようになり、やっていることはブロックバスターでも普遍性はどんどん矮小化し続けているようにも思える。

 最近の韓国映画であっても、そのベタさ加減を笑い、おちょくる声が日本にはあるが、筆者から観れば今の韓国映画から、かつてのベタさは失われつつある。
 韓国映画のオシャレ度と産業的インフラが進む一方で、取り残されてしまったのは増え続ける年配の観客層だったのではないのだろうか。

 そこら辺の実際は妄想するしかないけれど、一見しょうもない映画『7번방의 선물』が大ヒットした裏には、数字では推し量れない重合化した事情が潜んでいるのではないかとも考えるのである。

 「懐かしい」「親しみやすい」「大雑把」。
 これらが『7번방의 선물』の大ヒットに繋がった要因だったとすれば、これから数年間、韓国におけるブロックバスター作品に大きな影響を与えそうな気がする。

 ギャラの高さを求める俳優や監督はより「外」へ出てしまい、使い捨てが利く中堅や新人は逆に「内へ内へと」へ潜り込み、インディーズやアート志向のクリエイターはさらに隘路な方向に進むかもしれない。

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Vol.412 美味か?珍味か?ゲテモノか?『러시안 소설(The Russian Novel)』(2012) [韓国映画]

 かつて、その「トンデモ」ぶりで観客を驚かせ注目され、国際的な名匠になった映画監督に김기덕がいる。
 なんのコネも持たず、業界底辺からの成り上がった伝説の人ともいえるが、手がけた作品には無類のパワーと比類なき個性がドロンドロンに濃く渦巻いていた。

 それから10年以上経った今、김기덕を標榜したような若手監督の作品が韓国インディーズ系ではゾロゾロ出てくるようになったが、育った時代が豊かになったからなのか、匹敵するような個性がなかなか出てこない。

 しかし、そんな今の世の中だからこそ生まれえたであろう怪作が신연식監督の手がけた『러시안 소설(The Russian Novel)』(2012)だ。

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 김기덕作品が安い定食屋で飯粒を吐き散らかしながら芸術論争をやっているイメージだとすれば、『러시안 소설』の方はマクドナルドでバリューセットをお行儀よく食しながら悪巧みに興じているような感じである。

 この『러시안 소설』がどういう映画なのか、一言で表現するのは難しいと思う。
 小説家を目指す青年の成長を追い損なったような話でもあるし、文学的リズムを映像に変換しようと試みた実験作にもみえるし、へそ曲がり系コメディとも解釈できる複雑な性格の映画だからだ。

 上映時間は140分とやや長尺で、最初の一時間程度は観ていてかなりキツい。
 特に事件が起こるわけでもなく、小説家を目指す性悪青年(=강신효)のダメダメな青春をダラダラと描いているだけで、『러시안 소설』というタイトルの由来もそこら辺にあるらしい。

 うがった視点で観れば、プロのクリエイターを目指す若者たちに対する「おめーら、現実を直視しろよ」的な皮肉にも見えなくないのだが、途中で小悪魔的ヒロインが登場し、物語に関わり始める辺りから映画は急に面白くなり、衝撃的などんでん返しを迎えた後、全く予期しない方向へと進んでゆく。

 『러시안 소설』における一番の面白さは、おそらくこの「トンデモ」な急展開だろう。
 私は呆れて失笑したが、こんな無茶苦茶な変則技は正統派映画青年あがりに考えつかないのではないか。
 物語は「ほのぼのミステリー」と化し、最後は「なんだかいい話だね」で締めくくられてしまう。
 観客としては狐につままれたような展開だが、それが不思議なことに微笑ましかったりするのだ。

 監督の신연식は韓国の記事によると特に専門的な映画教育を受けていないという(劇中、編集者役で出ていたりする)。
 それがどこまで本当なのかは韓国の話なので、いつもの如く分からないけど、김기덕以降へ続く特異な才能になりうるかもしれず、月並みな表現かもしれないが「コリアン・ヌーベルバーグ」とも言うべき動きが、やはり生まれつつある予兆の一つなのかもしれない、などと考えてしまった。

 韓国映画は日本において「韓流」の名で大きな誤解をされたが、それを否定するかのような流れが確実に水面下ではうねり始めているのかもしれず、この『러시안 소설』もまた、『카페 느와르』や『ムサン日記~白い犬』などに続く現代韓国映画のムーブメントを象徴する新鮮さに満ちた作品であったといえるのかもしれない。

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主演강신효は、ちょっと故・松田優作を連想させる面影の持ち主。
劇中ではイヤなヤツを演じていますが、素顔は朗らかな好青年でした。

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