SSブログ
韓国カルチャー ブログトップ
前の10件 | 次の10件

Vol.403 煩悩は客の数だけ [韓国カルチャー]

 2012年の大晦日は、やや趣向を変えようと宿の近所にあるお寺にいってみた。
 ソウル市内では有名なお寺なのでなにか行事でもやっているかな?と軽い気持ちでいってみると、外国の観光客で溢れかえっていたのは驚いた。

tera3.jpg

 もちろん、夜店などないが、お寺的には観光収入を狙って、立派なおみやげ屋が境内にあったりする。
 日本の同列と思われるお寺よりも敷地は狭いが、韓国では仏教はどちらかといえばキリスト教に対して後塵の憂き目にあっている事情もあるだろうから致し方ないのだろう。
 施設が立派だから格が高い、というわけではないし(教会や聖堂も同様)。

 韓国でも除夜の鐘が叩かれるが、日本のように108回打つわけではないらしい。
 何回叩かれるようになっているのか、全く知らないのだが韓国の年末で延々と鐘が鳴っているのは聞いたことがない。
 街ではお寺自体、ビルの谷間にあるので聞こえない、ということもある。

 だが、今回赴いたお寺は私が想像していたものと事情がかなり異なっていた。
 鐘楼には鐘を突こうと、長蛇の行列が出来ていて驚いた。
 人の群れは尽きることなく、どんどん増えてゆく。

 一人あたり打つ時間は大したことないので、回転は早いようだが、一体どこで区切るのだろう、と疑問にも思った。
 ヘタすれば朝まで除夜の鐘が鳴り続けることになりかねず、日本でいう「除夜の鐘」とは別物のような気がするのだった。

 こんなところで長時間並んでいるのも馬鹿々しいので、鍾閣がある十字路まで足をのばす。

鍾閣1.jpg

 ここの年越し阿呆騒ぎは有名だが、12時過ぎてしまえばサッと人の波は引いてゆく。

 いつもの如く、太鼓、ドラを抱えた若者たちがチンジャラドンドンと練り歩いているが、やけに欧米系の人々が多かったのはここ数年のソウルらしい光景だ。
 花火や綿菓子、LEDを仕込んだヘアバンドを売っていた自転車の露天商を営む人々がそそくさと片づけに入っているのも印象的、そして後には路上に大量の花火カスが打ち捨てられている。

 鍾閣ではオペラ歌手が喉を披露し、それが特設されたモニターに映しだされ、通りでは警官が人垣を作って、交通規制をしている。
 彼らのほとんどは徴兵勤務の若者なのだろう。
 同時期、零下の38度線で深い雪の中をパトロールや監視任務についている青年たちもいるはずだ。

 どちらがどうだという訳ではないけど、思わず、心のなかで彼らに「お疲れ様」とささやいてしまう2013年の年明けだった…

kidoutai5.jpg


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.399 映画化希望!『에어로빅 보이즈』 [韓国カルチャー]

 2012年8月15日から19日まで、大学路にある대학로예술小劇場『제2회 대학로 코미디페스티벌』枠内で限定上演された『에어로빅 보이즈』は、非常に可能性に満ちた演劇である(初演は2011年の11月)。

 대학로예술劇場は大学路でも大きな方で、公演が行われた地下にある小劇場も結構広い。
 フラットな作りで、舞台と客席に段差がなく、奥行きもある。
 関係者割引でチケット確保してもらった座席は、最前列ながらも一番右端という、首が痛くなる場所だったが、だいぶ安くしてもらったので、贅沢はいえない。

 大学路の演劇は日本に比べてチケットが大分お安く、カジュアルに観に来ることができるという点で魅力的なのだが、大きな劇場だとそれなりに高くなるし、最近の物価高も影響して、以前ほど、お得感がなくなってしまったことは、ちょっと残念である。

 物語は、今の韓国を非常に反映した内容だ。
(STORY)
 ライブで演奏活動を続けるヘビメタ四人組최대환(=김동현)、차근호(=김승환)、노웅기(=조영빈)、이승범(=이우진)だったが、既に中年、最近体力が激減して「FUCK、FUCK」な演奏もキツくて仕方ない。
 そろそろ、カタギの人生も考えて行かなくてはいけない時期にさしかかってもいた。

 彼らの面倒を観ているライブハウス経営者、通称“BOSS”(=선욱현)も、かつてはミュージシャンとして鳴らした人物だ。
 彼は不良中年四人組の兄貴分であり、良き理解者でもあったが、経営が苦しい故、フィットネスクラブへ商売を衣替えすることになる。

 BOSSのお情けで、従業員として雇われた四人組だったが、いい歳をして社会性ゼロ、仕事に身は入らず、トラブルばかり起こしている。

 だが、BOSSには勝気で、しっかり者の娘초롱(=박초롱)がおり、彼女はだらしないオヤジ4人組を叱咤激励してリードして行く。
 そこに常連客のおばさん、순옥(=황석정)がメンバーに加わり、エアロビクス全国大会出場を目指すことになる。
 だが、その矢先、彼らの元に届いたのは、BOSSの急死という悲報だった…
 舞台はのっけから、ド派手なヘビメタ演奏のシーンから始まり、全編1970年代ロックの名曲に載って、ドラマは進んでゆく。

 一応コメディではあるが、戯曲の根底にあるのは「挫折からの再生」と「奈落を超えて、どう未来へ繋げるか?」というシリアスなテーマだ。

 韓国の戯曲らしく、とても「ベタ」だが、基本的は乾いており、自分たちの夢を貫けなかった中年オヤジたちが、アイデンティティの危機をどう乗り越えてゆくか、という姿は、日本人にも十二分に共感できる内容になっている。

 描かれるミュージシャン4人組のダメぶりは、そのまま日本を舞台に移し替えても何ら違和感がないものだが、こういう物語が成り立つことは、ここ二十年くらいで韓国の生活が、かなり変わったことの象徴にも見えるし、実際、十年前では、成り立たなかった物語ではないか?

 生活が豊かになり、サブカルチャー分野で夢を羽ばたかせることが出来る可能性が出てきた反面、まだまだ足腰が脆弱な韓国社会を象徴しているようにも見えるし、日本も韓国も、夢に身を託して生きることのリスクは大して変わらない現実を描いているようにも思える。

 この作品、もう一つの見所は、音楽演奏やエアロビクスなど、出演者たちが実演していることだろう。
 皆、そつなくこなしているが、リハーサルが大変だったことは想像に難くない。  しかし、それぞれのパフォーマンスが実に巧みで、演劇を主軸にして活動している俳優たちの技量を高さを伺わせるものだった。

 劇中、四人組の兄貴分であるBOSSは急死するが、その死を象徴する演出も非常に印象的である。
 観客席から笑いが起こってもいたけれど、KISSばりのメイクと衣装で、彼岸を象徴する原っぱで独りベースを掻き鳴らすBOSSの姿は、シュールであり、独特の死生観に満ちた一幕だ。

 最後は、エアロビクス大会でオヤジ4人組と초롱、순옥が大パフォーマンを繰り広げ、栄光を勝ち取って幕を閉じる。
 それは、率直で分かり易い、という点で、韓国演劇の良さを見直すラストでもある。

 今まで韓国の演劇を観て、日本に舞台を移したり、映画化してもイケる、と思う作品に出会ったことはなかったのだけども(というか、そんなに観ている訳ではないが)、この『에어로빅보이즈』は「イケる!」思った、最初の作品でもあった。

ERBS.jpg


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.397 チャン・ジン、鬼の乱れ打ち第3弾!演劇『허탕 (2012年版)』 [韓国カルチャー]

 2012年6月15日から9月2日まで、동숭아트센터小劇場で、장진作&演出の演劇『허탕』が上演された。
 昔、無名時代の정재영が出演していたこともある。

HODAN.jpg
 
 今年(2012年)、韓国で上演される장진作品は、これで三本目。
 異例の連続公演であり、彼のファンにとっては嬉しい限りかも知れないが、正直、ゲンナリしなくもない。

 前回の『서툰 사람들』と同じ劇場だが、建て込みはうって変わって前衛的、国籍不明、時代不明の最新式刑務所が舞台になっていて、アメリカのTVドラマ『OZ』の世界を、30年前のNHKがドラマで再現したような感じである。

 客席から高い位置にディスプレイが多数設置されていて、それぞれCCTVを通して別のアングルから同じ舞台を映しだすという、実験的なセットになっており、客席も二種類用意されていて、一般席と囚人席がある(今回は囚人席を購入)。

 だが、両者には一般的なS席とA席ほどの違いもなく、囚人席は舞台に肉薄している分だけ、かなり観づらく、一般席の方が高い位置にある分、どう考えても観やすそうだ。
(STORY)
どこにあるともしれない、第一級監獄。
全てが自動管理されており、職員は一切姿を現さない。
そこに強姦罪で収監された中年の「囚人1」は、たった独りの獄中生活をそれなりに楽しんでいた。
なにせ三食昼寝付き、嗜好品も密かに豊富に取り揃え、礼拝堂まで作っている始末。
悩みといえば、神経性の下痢に悩まされていることくらい、日課は脱走に備え、真夜中に鉄格子を削ることだ。
ある日、そこへ、革命を企てた罪で若い「囚人2」が放り込まれて来る。
事情が把握できず、右往左往する攻撃的な性格の「囚人2」は、「囚人1」の自由な暮らしぶりに肩透かしを喰らわされる。
やがて彼も監獄の呑気な生活に慣れた頃、今度は女性の「囚人3」が突然、やって来た。
しかも、彼女は臨月間近。
彼女の罪状を聞き出そうとする「囚人1」と「囚人2」だったが、「囚人3」は精神を病んでおり、その身に何があったのか、判然としない。
かいがいしく彼女の世話を始める「囚人2」だったが、一時的に正気を取り戻した「囚人3」は、自分の身に起こった恐ろしい出来事を語り始める。
衝撃を受けた「囚人2」がとった行動とは?
 三人だけの出演者による、一種の不条理劇であり、ミステリーであり、韓国人なら「SF」と言い訳しそうなお話。

 だが、舞台に力は無く、空虚で重みがない。
 上演時間が短いこともあるのだろうけど、国籍不明の不条理劇にしてしまったことが、タイトル通り、作品を物足りない印象にしてしまったような気がする。

 それが演出家장진の計算だったら大したものだが、面白いか、どうかは別問題だし、思い通りの戯曲にならなかったので、お遊び程度の気持ちで『허탕』という題名を付けたんじゃないのか?などと勘ぐってしまうような、あまりにもパッとしない舞台であった。
 そこら辺が、いつも人を喰った장진らしい演劇といえばその通りなのだけど、最後は「え!?それだけ?」感は、やっぱり否めない。

 でも、出演者のレベルは高く、毎度のごとく、実力者が顔を揃えている。
 どの役もダブルキャスティングだが、私が観た時は、「囚人1」に이철민、「囚人2」に이진오、「囚人3」に송유현という配役だった。

 彼らの中で一番有名なのは、おそらく이철민だろう。
 ここ数年、韓国映画にも、悪役でよく出ている人から、顔だけならご存知の方も多いと思う。
 顔立ちが日本の長塚京三の若かりし頃によく似ている俳優だ。
 日本で公開された作品だと『哀しき獣/황해』のヤクザや、『黒く濁った村/이끼』の宗教団体幹部などがあり、コワモテ悪役系が多いが、舞台では全く違う顔を見せる。
 コミカルかつ、表現豊かな演技が印象的で、映画出演では分からないパフォーマンスの高さを持った俳優であった。

 彼と対峙する이진오は若い人だが、基本はきちんと出来ていて、余計なことはやらない。
 やや力みすぎて動作が固く、表現に幅はないが、ほどほどカワユイ系二枚目だから、日本のTVドラマなんかに向いていそうだ。
 本当なら、こういう俳優こそ、日本はチャンスを与えるべきなんじゃないのか?

 劇中後半に登場する臨月の「囚人3」演じた송유현も、舞台でかなり活躍している若手女優。
 気が触れた役なので、本来の個性が、ちょっと見えてこないのが残念だったが、かなりシンドい役柄だったと思う。
 出番が短いので、残念ながら、あまり記憶に残らなかった。

 今回の『허탕』は、どうも煮え切らない。
 장진らしい内容と言われれば、それまでなのだが、最後は観客をほっぽり出して終わってしまうので、悪い意味での韓国式似非SFな雰囲気と共に、実験的な演出が、肩透かしな効果を上げただけのような気がする。

 でも、장진の原点とは、こういうアングラ系なんだろうな、と改めて認識されられた舞台でもあった。

HOTAN.jpg
alt="HOTAN.jpg" />
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.380 チャン・ジンの「どこまでやるの?」 『서툰 사람들(不器用な人々)』 [韓国カルチャー]

 去る2012年2月11日から5月28日まで、恵化にある동숭아트센터で、チャン・ジンが手がける舞台、『서툰 사람들(不器用な人々)』が上演された。

 동숭아트센터では、演劇イベント『연극열전4』第一弾である『리턴 투 햄릿』が、途中まで並行上演されていたから、まさにチャン・ジン乱れ打ちである。

 『리턴 투 햄릿』は地味目のキャスティングだったが、『서툰 사람들(不器用な人々)』は打って変わって、김병옥に정웅인、예지원に류덕환と、メジャーなスター勢揃いだ。

 劇場も동숭아트센터の5階にある小劇場の方だから、連日大賑わいだったらしい。

 一週間くらい前に予約を申し込んだが、既に希望日時は空きが無く、日にちをずらしたくらいであった。

 今回は私好みのキャストがぞろぞろ出ているので、どの回がいいか迷ったが、김병옥と류덕환が出演している回を選ぶ。
 예지원の舞台もぜひ観たかったが、一番の目的は、生の류덕환だ。

 当日、パッと見でどこにあるのか、わかりにくいエレベーターで五階にある小劇場に向かうと、入場待ちの観客たちで熱気ムンムン状態。

 中に入れば、ビルの一角に無理やり作ったような劇場だが、舞台と席の距離が近い上、座席に段差が設けられているので見やすく、どの席でもあまり損しない設計になっている。

 地下にある동숭홀も観やすい劇場だが、小劇場の方はもっと観やすくて、こういうところが、동숭아트센터のいいところである。

 舞台は集合住宅にある、若い女性の部屋を模したセットで、なかなか生活感が出ていてリアル、実際、韓国都市部の暮らしって、こんなもんである。
 地味かもしれないが、美術チームは、なかなか、いい仕事をしていると思った。

 物語はシンプルだ。
 ある真冬の夜。
 疲労困憊して仕事先から帰宅した独り暮らしヒロイン、유화이が、寂しく酒を飲みながらTVドラマを観ていると、そこに若い強盗장덕배が突然押し入ってくる。
 だが、根が善人の덕배は、天然でマイペースな화이に逆に振り回されてしまう。
 二人が延々とトンチンカンなやりとりを続けるうちに、次々にご近所の変人たちが家にやって来て、しまいには화이の父親までが現れて大騒ぎ。
 だが、都会に暮らす孤独な者同士でもある화이と덕배の間には、本当の恋が芽生え始める…
というお話。

 登場人物は約5人だが、キャストは3人。
 김병옥は3役を演じるが、中心は심영은演じる유화이と、류덕환演じる장덕배の「서툰」な掛け合いだ。

 俳優たちが四六時中、舞台をドタバタ走り回ってはいるものの、ひねりも何もない、かなり地味な戯曲で、そのベタなドラマを観ていると、何度もデジャブに襲われる。

 「そーだ、これは『欽どこ』だ!」

 韓国ではよくあることだが、この舞台もまた、いにしえの日本におけるバラエティー番組の香りが漂う。

 冒頭、ヒロイン화이が「シンドイよ~、シンドイよ~」と青息吐息で登場、そのあまりのシツコさに笑ってしまうが、彼女の素性が明らかになると「なるほどね」と納得だし、強盗덕배の善人ぶりもまた、彼がなんでこんなことをやっているのか、という背景に、韓国社会の抱える問題が潜んでいるのかも、などと深読みしてしまう。

 今回、一番の注目株はやっぱり、류덕환だろう。
 それほどガタイは大きくないが、小顔なので、スクリーンで観るよりもスラリとした印象だ。
 류덕환は、韓国若手スターの中でも逸材の一人だが、舞台の上でも堂々たるもの、そこには余裕すら感じさせ、せわしない舞台に、決して追われていないのは、偉いと思った。
 役名が「장덕배」なので、「日本で人気者」ということになっている、某若手スターに引っ掛けたギャグがあるが、류덕환は彼みたいに、日本進出なんて、絶対にしないで欲しいものだ(もちろん、やって行ける実力は十二分にあるけど)。

 一方、パク・チャヌク作品に欠かせない個性派김병옥は、3役+αをこなしているが、総じて出番はあまりなく、ちょっと残念だった。
 でも、映画で観るのと、印象が全く同じことに、ちょっと驚かされた。
 極めて安定した芝居をする俳優で、芸風を固めているというか、貫いているというか、職人的なものを感じさせる。
 終わりの方でヒロインの父親役として登場するが、この役柄が一番、彼の地に近いのかもしれない。

 でも、最大の収穫は、なんといっても、화이演じた심영은だ。
 ワタクシ的には全くノーマークで、興味もなかったのだが、他の二人を差しおいて、とにかくキラキラと輝き、眩いばかり。
 等身大の若い女性像を体現しつつ、そこから現代韓国の人間関係や生活といった「リアル」が浮かび上がって来るようだ。

 複雑で難しい役だったと思うのだが、演技は堅実で、天然で軽率な화이という大ボケキャラを、魅力的に熱演している。
 そんな若い人ではないようだし、美人系というわけでもないのだが、個性と演技力、そして役柄と、すべてがピッタンコだった。

 彼女のキャリアを調べて見ると、映画出演は少なくて、基本的には演劇専門の人らしく、写真なんかで観ると、冷徹で性格悪そうな印象を受けるが、舞台の上では、とにかくキュートな人である。

 観る前は「예지원が出ていれば完璧だったのに…」と思っていたが、結果的には심영은の舞台で大正解だった。

 これだから、大学路の演劇は侮れない。
 観る側としては、博打要素も大きいけど、今回は、韓国演劇界の妙な奥深さを改めて認識させられる舞台だった。

BUKIYOU.jpg


BUKIYOU.jpg


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.374 チャン・ジン今昔物語…? 『리턴 투 햄릿(リターン・トゥ・ハムレット)』 [韓国カルチャー]

 地下鉄4号線『헤화』駅から徒歩で5分くらいの場所にある동숭アートセンター・동숭ホールに行く。
 ここで2011年末から始まったイベント『연극열전4』の第一弾、장진演出の『리턴 투 햄릿』を観るためだ。

 동숭アートセンターは마로니에公園脇にある、아르코芸術劇場と並んで、대학로界隈では大きく、かつ有名な劇場の一つであり、以前はアート系映画の上映なんかも行われていた。
 上演される演目は、俳優조재현がディレクションを担当していることでも有名で、彼自身も、ここで舞台に立つことがある。

 久しぶりにこの동숭アートセンター・동숭ホールに赴いたワケだけど、少し前に大改装が行われ、前とは打って変わって、なにやら立派な佇まいに変身していた。
 この劇場はVIP席でなくとも座席が舞台に近く、お得感があり、奥行きもそこそこあるので、結構派手な演出にも耐える、なかなかいい劇場だ。

 今回上演される『리턴 투 햄릿』は、장진のオリジナル戯曲というわけではないらしく、日本で誰かさんたちが騒ぐような有名俳優も出ていない。
 장진といえば、日本でも固定ファンがいるくらい映画監督しては有名だが、その作品中で飛び交う言葉の渦は、韓国人ですら辟易するくらいなので、韓国語および韓国そのものにかなり精通していないと理解が難しい。 
 でも、日本における現代演劇に近いシュールさも持ち合わせていて、それが韓国で人気になっている理由の一つなのかもしれない。

 『리턴 투 햄릿』が初演されたのは1998年の事だったという。
 それはまさに、諸々の韓国映画&韓国ドラマに芸能人たちが外に向けてブレイクする寸前の頃だ。
 当時、日本における장진のイメージといえば、アングラの舞台演出家兼戯曲家兼映画監督+ちょっと俳優も…といった感じで、彼のことを語れる人は、たぶん50人いなかったんじゃないだろうか。
 そもそも「韓流」などという、タチの悪い疾病が日本で吹き荒れるなんて、誰も想像出来なかった時代である。

 『리턴 투 햄릿』初演は、정재영に신하균、이문식…という、今では現実不可能に近いような豪華キャスティングで上演が行われたという。
 だから、この『리턴 투 햄릿』という演目を、今、この劇場で上演することは、自身が有名になりすぎてしまった장진の、原点回帰だったのかもしれない。

 장진の舞台や映画は一見あざといが、冷静に観れば、よく比較される日本の三谷幸喜よりも、実はリアリストではないのか?という気もする。
 作品で描かれるのは市井の人々であり、普通の日常だ。
 それを派手なレトリックやら、へんてこなキャラ続出作戦で、別の形にカモフラージュしているのに過ぎないのではないだろうか?

 私が初めて장진の舞台を観たのは、色んな意味で有名な『택시 드리벌』だったけど、描くものは、巷の貧しい普通の人々だった。
 『택시 드리벌』を観たのも、同じ동숭アートセンター、目的は「生정재영」だったのだが、戯曲は意外とリアル志向というか、決してハチャメチャばかりの内容ではなかった記憶がある。
 夜中、タクシーに乗ると、本業はミュージシャンその他である運転手に出会うことは、韓国でも決して珍しくないが、『택시 드리벌』は、そうした業界人たちの「リアル」を写し取った舞台でもあったような気がする。

 今回の『리턴 투 햄릿』も、ところどころ、장진らしいキッチュな演出や韓国ネタこそ出てくるが、地味なお話であり、そこには無常観すら漂う。
 俳優や演出家という仕事は、仲間がいて、初めて成立する部分が大きい訳だけど、個々人そのものに商品価値が依存する職業でもある訳で、組織や会社勤めの立場に比べると、非常に孤独な仕事ではないかと、よく感じることがある。
 そんな「リアル」を濃く内包した物語でもあったのだ。

 この舞台で描かれたもう一つの事柄は、千秋楽を迎えた俳優たちの「不安」だろう。
 俳優が千秋楽を迎えるということは、失業と失意の時であると共に、開放と期待の時でもあったりする。
 『리턴 투 햄릿』で私が一番感じたことは、夢を糧にする生活の孤独さだった。

 今回は、メジャーな演劇イベントの看板的演し物だから、出演者は皆いい俳優たちばかりだ。
 ただ、そんな彼らの堅実な仕事ぶりを観ていると、どうしても장진という演出家は、男女共に「見た目」で俳優を選んでいる部分が結構あるんじゃなかろうか?とも思った。
 共通する個性を選んだ結果、雰囲気や顔立ちが似てしまっているだけかもしれないけど…

 舞台が終わると、장진自身によるレクチャーと質疑応答が始まる。
 スタッフの顔色と時計を気にしながらも、なるべくギリギリまで観客の身勝手な質問に、忍耐強く静かに答えていたことが印象的だった。
 
 でも、おかげで私は友人を、クソ寒い中、外で三十分も待たせてしまったのであった…

ハムレット2.jpg
イラストはグズグズですが、内容は結構、オーソドックスです。
대학로では2012年4月8日まで。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.373 なんてミニマムなミュージカル!『눈의 여인(雪の女)』 [韓国カルチャー]

 大学路の裏路地にある、その小劇場は地下にあった。
 えらく分かりにくい。
 ここら辺は街並が古いままなので、なおさらである。

 劇場に入って驚いた。
 あまりにも狭いのだ。

 小劇場とは概してそういうものだが、小学校の教室よりも狭いんじゃないのか!?みたいなその空間で果たして、ミュージカルが上演できるのか?とも思ってしまう。
 ペラペラの折りたたみ椅子が隙間なく並べられ、座席数は、せいぜい60~70席程度だろう。

 でも、満席だ。
 この盛況ぶりもまた、オドロキだった。

 なぜ、この芝居を観に行ったかといえば、知人の俳優氏が出演していたからである。

 以前から、ちょこちょこと、メジャー映画に端役で出てもいて、俳優としては、立派な中堅だ。
 だが、活動のスタンスはあくまでも舞台。
 映画では実力がよくわからないので、一度舞台での彼を観てみたかったのだ。

 見かけが厳ついので、怖い人やら中国人(!?)役を映画でふられちゃう彼だが、実際はインテリの紳士かつ、おちゃめだがノーブルな男である。

 育ちの良さを感じさせる人柄と古風な顔立ちは、朝鮮王朝時代に権力闘争を嫌って田舎に引きこもった学者連中や、傾いた若い両班たちを連想させる。

 今回はミュージカル、ということなので、一体どんな芝居を見せてくれるか、想像がつかない(でも、歌ってくれたら嬉しいな~)
 そんな訳で、『눈의 여인』を観に行くことになったのだが、まずは芝居の中身よりも、劇場の小ささに驚かされることとなった。

 物語は、ヒロインが絶唱した後、ピストルで頭を打ち抜く、という幕から始まる。
 でも、端的に言ってしまうと、男女のせこい痴話。
 大人になっても、男女関係に直面した途端、幼児化してしまう人間たちの姿を、それなりによく捉えていた戯曲だったが、大時代的な内容でもある。

 劇中劇としてアンデルセンの「雪の女王」が同時進行するようになっており、この古典を現代風にアレンジした意欲的な演劇、ということのようだ。

 それで「눈의 여인=雪の女」という題名になっているんだろうけど、最後のオチを観て「ダジャレで雪の女かい!」と突っ込みを入れたくなった。

 ミュージカルというよりも歌の場面が少し多い普通の演劇といった感じだが、まあ、こういうのもありなんだろう。

 客席と舞台がとにかく近いので、観客としては俳優たちの緊張ぶりが、ビリビリと伝わって来るし、演じる側としても客の視線が間近で飛んでくるから、手が抜けない。

 映画やTVは、どちらかというとスタッフと観客の化かし合い、睨み合いだと思うのだが、余計な仲介者を排した緊張感とライブ感覚あふれる小さな舞台は、俳優たちにとって、たまらない魅力なのかもしれない。

 ただ、気になってしまったのは、幕間が丸見えなので、出番を待つ間、俳優たちの、例えば「次の段取りどうしよう~」みたいな、演技以外の生臭いその他がどうしても透けて見えてしまうことだった。

 肝心の某俳優氏は残念ながら歌わなかった(残念!)
 でも、腹黒い役をひょうひょうと柔軟に好演している。

 映画では、演出側の問題か、ブツブツ切れてしまう演技が、ちょっと気になっていたのだが、舞台では打って変わって、軽快で伸びやかだ。
 それは素の彼から受ける印象そのままでもある。

 ルックスがルックスなので、映画でステレオ・タイプの役回りを振られてしまうことは、何事もワンパターンになりがちな韓国では仕方ないし、かといって、彼が日本の作品に抜擢されたり、もてはやされたりすることはあり得ないだろう。

 だけど、私個人が映画を撮る機会があったなら、是非、出演して欲しいと、つくづく思うのであった。

0400011112_31183_01.jpg


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.372 歌う安重根 ミュージカル『영웅(英雄)』 [韓国カルチャー]

 2011年12月6日から翌年の1月7日まで、ソウルにある国立劇場해오름劇場で、純韓国製(と言っていいかな?)ミュージカル『영웅』の公演が行われた。

 この劇場で上映される演目は大掛かりだったり、著名な公演だったりするので、入場料は高いけど、結構、要チェックだったりする。

 ソウルはかなり前から、東京の次くらいにミュージカルが上演されている街と言われていたが、いまでは、おそらく逆転していると思う。

 ただ、ちょっと残念というか、イマイチ、パッとしないのは、韓国人の手で書かれた、韓国らしいオリジナルをあまり見かけないなぁ、ということだろうか。

 『영웅』は、今後、そうした穴を埋めるべき定番になる可能性もある作品なのだが、日本人から観てやっぱり特異なのは、ナショナリズム丸出しのテーマを、それと矛盾しているようなバタ臭い手法で描いていることだ。

 そして、イマドキの韓国人にとっては、耳タコ状態の「ウンザリ」歴史ネタかと思っていたのだが、公演当日、送り迎えのシャトルバスは、満席の大混雑。
 若い観客が大勢いたのは驚いたけど、家族連れも目立つので、おそらく興行側は、団体向けマーケティングを展開したんじゃないだろうか。

 私は外国人割引で予約を入れていたので、チケット売り場で日本のパスポートを提示しなければいけなかったが、当然ながら、なんの問題も起こらない。

 座席に着いて舞台に目をやれば、巨大な緞帳には「영웅」とタイトルが投影され、何やらゴーン、ゴーンと鐘の音が鳴り続けている。
 上演が始まると、女の子を中心としたグループが奇声を上げながら、一斉に大騒ぎを始めた。
 どうやら、安重根演じる정성화の追っかけらしい。

 なあるほど。
 妙に若い観客がウロウロしていたのは、これも大きな理由なんだろう。

 このミュージカル『영웅』で描かれるものは、光復節後の韓国で「常識」として語られている歴史観であって、日本人として新しい発見は何もない…というよりも、発見しようがない。
 舞台美術や、衣装デザイン、肝心の音楽も、お金はかかっているが、意外と地味で凡庸だったりする。

 街中で抗日の英雄たちを追い回す「日帝の犬ども」は、まるでB級アクション映画に出てくるゲシュタポか、KGBみたいなので、ちょっと笑ってしまったが、彼らが高らかに歌いあげる「♪ちょうせんじ~ん(日本語です)」という歌詞が、日本人として、ちょっと気になった。

 韓国語の台詞と歌詞は英訳されて、舞台両脇の電光掲示板に同時進行で流されるようになっているが、どうせなら、日本語字幕や中国語字幕も付けるべきなんじゃないのか??
 でも、この掲示板、トンデモな位置に掲げられていて、字幕を読もうとすると、舞台で何をやっているのか、全然見えなくなる。
 これじゃ、一部韓国人の大好きな、英語圏観客が来ても困るだけだろう。

 劇中の伊藤博文は準主役の扱いで、ちゃんとソロで歌う幕も用意されているが、その姿は「悪の首領+すけべな爺さん」。
 対する安重根とその仲間たちは、最初から最後まで「高潔な人物」だが、立派過ぎてなんだか、よくわからない。
 その不自然で硬直した様子は、街角で佇むカーネル・サンダースの人形を連想させた。

 あくまでもお話は、安重根や伊藤博文、その個々の人生や人間性よりも、別の目的に偏向したゴリゴリのお約束に沿って、進んでゆくのだった。
 このミュージカルを観た韓国の子供たちの多くは、これが「真実」だと思い込み、「立派」な大人になっちゃうのかな…

 今の韓国ならば、若くて野心的で、気骨と才能を備えたクリエイターたちがいるはずだから、全く別の角度で、新しい安重根と伊藤博文、そして歴史的背景を描くことが、いくらでもできるんじゃないかと思うのだけど、それはやってはいけない、ヤバイ事なんだろう。

 でも、それならそれで開き直って、「韓国のブレない信念&方針」ということで、このまま堂々とTOKYO公演でもやれば?とも思うのだった。

 NYじゃなくてね。

hero.jpg

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.361 韓国演劇界のエースたち『늘근도둑이야기-老いた泥棒の話』 [韓国カルチャー]

 韓国はソウル、恵化にある複合演劇施設『아트원씨어터』へ、2011年2月から暮れまで長期公演が行われている舞台劇『늘근도둑이야기』を観に行く。

 登場人物が三人きりの小さなお話だが、出演者はなかなか豪華で、最近は映画でもお馴染みの김뢰하や、박원상もキャスティングされている。
 残念なことにランダムの日替わり配役なので、行ってみないと誰が出ているのか全くわからない福袋状態。
 だが、韓国を代表する劇団「차이무」のメンバー中心の配役なので、逆に新たなる発見への、よい機会かもしれない。

 劇団「차이무」は著名なスターを何人も輩出している名門だ。
 日本でも有名な송강호は、かつてここ所属で、いまでも繫がりは深いようだし、名優문성근や강신일は今も所属している(2011年末現在)。

 そして、この劇団の顔でもある演出家の이상우は映画『작은 연못』の監督を手掛けている。

 マロニエ公園の裏の裏にある『아트원씨어터』自体も、本来はこの劇団の所有施設らしく、有名OBたちもかなり出資しているという。
 ここの特徴は、有名スターがキャスティングされた演目をコンスタントに上演していることだが、演目も基本的にひどい外れはないので、「韓国で芝居でもみようかなー」と思う人にはお薦めの劇場だ。
 入場料もそんなに高くない。

 私が観に行った時のキャスティングは、まさに日本では「無名」以外の何者でもなかったけど、逆に彼らの演技は韓国における俳優たちの層の厚さや可能性を十分魅せつけてくれるものであった。
 映画の話でいえば、まだまだ、キャスティングの幅があり、未知のスターが発掘される可能性があるということである。

 お話は特赦放免された老境の泥棒二人組が、忍び込んだ美術館で、とある事実を発見したことから起る騒動を描いており、日常生活と政治意識が密接している韓国らしい内容だが、日本でいえば30年前か40年前のコントをだらだらやられているような感じで、非常に疲れる二時間だった。
 言葉の問題も大きいのだけど、他の韓国人観客も一時間を過ぎるとみんなぐったりし始めていたので、やっぱり長くてくどい戯曲だったのだろう。

 ただ、三人の配役自体は素晴らしい。
 私が観たときは、泥棒ふたりに김학선と송재룡、その他すべてを서동갑が演じていたのだけど、大変表現力のある人たちだった。
 皆すでに、TVや映画の仕事をこなしているが、準主演クラスをすぐ張れそうな実力の持ち主ばかりである(主演はまあ、実力以外の色々な思惑が絡むので…)。

 日頃の鍛錬の成果か、筋肉の動きが衣装の下に見えるくらい、演技に脈動感と瞬発力を感じさせる。
 舞台が狭いこともあってか、汗や唾が客席に飛び込みそうになる様は、迫力満点だった(でも、その分、また疲れたけど)。

 上演が始まる前、私の隣に座っていたカップルが席を入れ替えて、劇場担当者に注意されるという出来事があった。

 その時は「ずいぶん規則が厳しい劇場だな」程度にしか思わなかったのだが、演劇が始まると、それが実は演出の一環であることが分かる。
 この舞台は観客参加型の演劇であり、観客席が展示されている美術品に見立てられて、戯曲が進むようになっていたのだ。

 つまり、席を代わろうとした女性は、小道具として、いじられる役割を密かに振られていて、席を変わってしまうと甚だ演出的に都合が悪いわけだ。

 でも、私はいじられたくないので、内心ガタガタ、ブルブル状態。
 韓国ではこういった観客参加型の舞台を割りと見かけるけど、いじった鉾先が日本人じゃ、内容によっては、お互いバツが悪いことになりかねない気もするのだった。

 今回の舞台で目を引いたのは、まず김학선。
 いかにも韓国のインテリ趣味人といった感じのキャラクターで、日本の作品に出ても全く遜色ない安定感がある。

 相棒役の송재룡も非常に上手い人なのだが、ちょっと個性が強すぎて、演出的には置きどころが難しいタイプの俳優だ。
 でも、このくらい強烈な方が、外国の作品では丁度いいかもしれない。

 残る서동갑はその他すべてを引き受ける雑多な役柄だったが、演じる役を変えるたびに周囲にまとう空気感まで変えてしまう巧妙さは驚いた。
 下品なお笑い役から、シビアな二枚目まで演じるのだけど、どれもまったく演技に隙がない上、なかなか、カッコイイ人なのである。
 日本で言えば、稲垣吾郎と田辺誠一を合体させたようなルックスだ。

 韓国の演劇は正直、外国人にはシンドイことが多いし、大学路で上演される作品も、当たり外れがひどかったりする。

 その代わり、日本では無名、韓国でもマイナーな俳優たちの中に、結構すごい人や実力者がまだまだいることを、思い知らされることも多く、今回はそんな舞台であった。
 これからも、第二、第三の송강호や김윤석に続く人たちが、どんどん登場しそうである。
 
 日本のドラマや映画も、こういう人たちを起用して欲しいよな~、知日家も多いし…もったいないです。

老泥棒.jpg
아트원씨어터では2011年12月31日まで。
千秋楽はサプライズがあったりして…


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.341 『キム・ジョンウク探し』を探して [韓国カルチャー]

 韓国のミュージカル『김종욱 찾기』は2006年に初演されて以来、いまも公演が行われている作品だ。
 いわば、2000年代における韓国の定番ミュージカルのひとつ、といえるかもしれない。
 戯曲を書いた舞台演出家のチャン・ユジョンと作曲を担当したキム・ヘジョンはまだ、結構若い人だ。

 そして、2010年には、チャン・ユジョン自身が監督&脚色というふれこみで、コン・ユとイム・スジョン主演の映画版が公開された。
 この映画が公開された当時、ソウル市内にある劇場では、日本人観光客向けツアー興行がされていたから、観た方も多いだろう。

 そんな訳で、原点である舞台を観に行こうと思い立つが、考えは甘かった。
 既に上演は終了しており、どこでもやっておらず、まさに「しまったぁ~」状態。
 韓国では「やっている時に観る」「ある時に買う」が、やっぱり今でも鉄則なのだった。

 それからしばらく経った頃、ソウル近郊で一日だけ上演されるという情報を見つける。
 聞いたこともないような場所だったが、そこそこ近いので、早速チケットを購入する。
 上演される場所は京畿道ハナム市にある『ハナム文化芸術館・大劇場』。
 地図で観ると、「なんでまた、こんなところに劇場が?」という感じ。

 最寄りの駅の一つは地下鉄5号線「カンドン駅」だから、ソウル市内からはそれほど行くことが大変そうに見えないのだけど、実際は、駅からかなり遠いのである。

 当日。
 生まれて初めて「カンドン駅」で降り立ち、劇場のHPからプリントアウトした道行情報でバス停を探すが、全然違う!
 実はこれ、駅周辺が再整備される前の情報らしく、更新されていないのだった。
 仕方ないのでタクシーをつかまえて劇場に向かうが、その運転手はあまり道を知らない人だった(最近、韓国ではこの手のタクシーが多い)。

 劇場は想像以上にヘンな場所にあり、郊外に作られた住宅地の一角に建てられた文化施設といった趣き。
 あんまりお手軽にミュージカルを観に行くようなところではない。
 土砂降りの中で傘は壊れるし、タクシー代はかさむしで、ほうほうの体で大劇場に入る。

 劇場施設はそこそこ立派で、鑑賞マナーを喚起するアニメーションが中々面白い。
 KTX(韓国高速鉄道)内で流されているアニメーションもそうだったけど、こういう作品を日本で観る機会がないのは、大変残念な事だ。
 日本で行われる韓国アニメーションの上映イベントでも、なんとか、こういうパブリシティ物を紹介して欲しいな。

 大体7割くらいの入り。
 幕が開くと、イム・ギホンの派手なパフォーマンスで舞台が始まった。

 キャストはたったの三人、美術も抽象的で簡潔だ。
 イム・ギホンはMCから老若男女まで複数の役を演じわけ、ロマンスの狂言回しとして八面六臂の大活躍だが、他の二人が異常に地味で盛り上がらない。
 結局、彼のワンマンショーみたいな舞台だった。

 ヒロイン役のチョン・ウンジョンも、相手役のイ・チャンユンも、トレーニングを積んだ良い俳優だとは思うが、とにかくイム・ギホンが目立ちすぎ。
 元々そういう戯曲なんだろうけど、どこか本末転倒だ。

 物語も、好みではない。
 女性演出家の手による作品だから、毛色の変わった視点を期待していたんだけど、なにやら学芸会みたい。

 肝心のミュージカルぶりも、最初はそれなりに面白いのだが、なにせミニマムな舞台なので、一時間くらいならなんとかもつが、それを越えて観客を引っ張ってゆくにはかなり辛い感じだ。

 ちなみに映画版はオリジナルに結構忠実だったと思うのだけど、それゆえ「だから映画もイマサンだったのねぇ~」と納得してしまう有様だ。

 上演が終わり、外に出る。
 雨が降る夜のハナム市を歩きながら、ソウルの裾野が東西南北に拡がっていることを実感する。
 何も無いつまらない街だが、こういう機会でも無い限り、こんなところに来ることもないだろう。

 「カンドン駅」まで韓国名物「弾丸特急ジェットバス」一本で行けた。
 かつてソウルのカンドン区方面といえば、遠くて出向くには、えらく面倒くさい印象があったけど、今は江北からもすぐだ。

 でも、肝心の『キム・ジョンウク探し』には、ちょっとガックリさせられた夜だった。

0400010801_2322_01.gif.jpeg 0400011010_19082_01.gif.jpeg






nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

Vol.339 いつの間にやらナンパの場 [韓国カルチャー]

 韓国でCDやDVDが売れなくなってから久しい。
 最近では本も売れなくなってきているようで、市場が狭い韓国においては、「韓流」印を付けたコンテンツが日本で売れるかどうかが、関連企業の大きな命題になっているようだ。

 売れなくなった原因は色々考えられるが、マニア市場の絶対的な浅さと狭さは、今後とも韓国コンテンツ業界のネックではあるだろう。
 そんな訳で、韓国映画のOSTやDVDの現物入手が、年々渋くなってきているが、逆にダウンロード販売は盛んになり、「エッ!こんなものまで出ているの?」みたいな展開もあるにはある。
 でも、外国人が気軽に購入するには敷居が高いので、そこら辺をなんとかして欲しいのだった。

 かつてソウルにおいて、韓国映画に関するOSTやDVDを入手するには、鐘路三街駅から世運三街方面に並ぶ専門問屋街が一番確実だった。
 店舗の規模は小さくても、アニメやホラーに強いとか、TVドラマが揃っているとか、値段が一番安いとか、それなりに各店の特色があって、韓国映画以外でも結構使える一角だったが、ここ数年、次々とお店が消えてしまい、すっかり寂れてしまった。

 そんな中、日本人観光客向けに「韓流芸能人グッズ」準専門店へ異色の衣替えをして、結構うまく行っているように見えるのが「X」というお店である。
 韓国映画OSTの品揃えについては、今でもここがソウル1だとは思うので、時間があると行くのだけど、取扱い商品を衣替えしてからは、だいぶ客層が変わったように思える。

 この店は昔から外国人客をよく見かけたが、今は日本人女性客ばかりという感じになってしまった。
 もちろん、本来の商品が目的の地元客もいるにはいるが、奇声を上げて騒いでいる日本人客の群や、沢山並べられた安っぽい「韓流芸能人グッズ」に抵抗をおぼえるのか、めっきりその姿は少なくなった。

 しかし、韓国では元々、芸能人関連のグッズというものは少なくて、日本人が大挙して来るような場所にはあまり流通していなかったワケだから、韓国内で音楽CDやDVD需要が頭打ちなら「日本人が欲しい物を売って、銭を絞り取れ!」になるのは、健全なビジネス的発想かもしれない。

 最近、この店で物色していると、あることに気がついた。
 お店の人の接客態度の温度差である。
 相手が日本人女性だと、相手が若いか、そうでないか、独りか、複数かで、けっこう接客スタンスが変わるのである。

 それなりに年季が入った女性客(といっても三十代後半から四十代くらいだけど)や、二人以上の客だと、ビジネスライクな親切さが基本。
 でも、明らかに二十代くらいの可愛いフリーの日本人女性客だと、あからさまにナンパを始めるのだ。
 以前は日本語対応なんかしていなかったので「韓流芸能人グッズ」を扱うにあたって、勉強したんだろう(こういう所はエライです)。

 商品案内をしつつ、「独りですか?」→「結婚していますか?」→「恋人はいますか?」と続き、やがて「お茶に行きませんか」→「食事どうですか」とエスカレートして行く。
 相手にその気がないとそれで終わりだが、日本人女性がちょっと返事に窮している様子が伝わって来るので、「次なる展開は如何に?」と、こちらまで、やや緊張してしまう。
 しかし、おばちゃんのシングル客だと、いくら若作りでカワイ子ぶっても、やっぱりドライな対応だ。

 半分は店員の冗談ノリなんだろうけど、ここ五年くらいの韓国人男子のモテ方は異常なので、おそらく、美味しい思いをしたことがあったんだろう。
 でも、ナンパをやっているのはイケメンには程遠い、ただのオッサンだったりするのが、ちょっとユーモラスで笑えるのだった。

 日本人女性を恋人にすることは、今も昔も、一部韓国男性にとって大きなステイタスらしいけど、実際にプライベートで知り合う機会は案外少ない。
 特にオッサン世代ともなれば一層そうだろう。

 韓国で男女がステディな関係になるきっかけは、「友人の紹介」というパターンが昔からの王道、店頭で赤の他人の日本人客をナンパしても、うまく行く確率は決して高くないと思ってしまうのだけど、たぶん、私の与り知らぬところで状況は大きく変化しているのかな?

NANPA.jpg
余計な美化政策のおかげで、寂しい通りになりました。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:映画
前の10件 | 次の10件 韓国カルチャー ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。